昭和プロレスの謎『仮説:一九八一年5月、アンドレの足骨折による負傷欠場は予め決まっていた?』<後編>


タイガー・ジェット・シンは本当にアンドレの代替参加だったのか


 一九八一年に起きた新日本と全日本の間の外人レスラー引き抜き合戦は、基本的には出来レース、つまりトレードだった――という見方が定説になりつつあるようです。
 個々の事例、「スタン・ハンセン引き抜きだけはガチ」とか、「トレードなら、チャボ・ゲレロが新日本お手盛りタイトルであるNWAインタージュニアベルトを持ったまま移籍できたのはおかしい」といった点では意見が割れるかもしれませんが、とりあえずブッチャーとシンは交換トレードだったとする見方は、それなりに多くのプロレスファンが支持する説だと思われます。

 ここからはその前提に立ち、同年のMSGシリーズを欠場したアンドレの負傷について、想像を再び膨らませてみます。
 まず、ブッチャーとシンの交換トレードが決まった時点で、新日本はシンと既に結んでいた契約を早期に消化しなければいけなくなった。どのような契約なのかは分かりませんが、よく言われるのが「年にX週間は来日して試合をする」といった形式。事実、この年のシンは1月から四シリーズ連続で新日本に参加というそれまでになかった頻度で来ており、契約消化の線が濃厚だと言えます。
 ここで着目すべきは、シンのMSGシリーズ参加は、アンドレ欠場を受けての代打として発表されたこと。つまり急遽決まったこの参戦がなければ、全日への移籍までに契約を消化しきれなかったことになります。
 これはおかしい。本当は、シンのMSGシリーズ参加は最初から決まっていたはず。

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