とある素人探偵の日常的事件録 9
「水上のハーレム事件」その3
「一通り聞いてみて、容疑者のランキングは変化したか?」
権藤の問いに俣野は顎をひと掻きしてから答えた。
「滝田がランクダウンしたのは言えますね。押し相撲で負けたのにはちゃんと裏の理由があった。くわえて、彼女が今、殺しをやらかして捕まったら、病気の身内の面倒を看る者がいるのかっていう疑問もあります。治療代をこんなバラエティのあぶく銭に頼るなんて、相当追い込まれているはず」
「やけに肩入れするじゃないか。ま、俺も同意見だがな。んで、必然的に北野が浮上した。残る三名の中で、水に濡れたのをごまかせるのは北野だけだ」
「そこなんですが、ちょっと変じゃありません?」
「変だと思ってたら、浮上したなんて言ってないさ。具体的に頼む」
「はあ。緊急ボタンを押したのは犯人。これが前提の一つですよね」
「ああ。犯人以外が押す理由がない。殺人が起きたことを知りようがないのだから」
「では犯人がボタンを押す理由は」
「早く遺体を見付けさせ、犯人は髪の濡れた者だと認識させるため……あれ?」
「ね、おかしいでしょう。ボタンを押したのが犯人なら、それは江利か中上でないと辻褄が合わないんです」
「……犯行可能かどうかばかりに固執して、こんな単純な点を見落とすたぁ、俺も歳だな」
「そんなあからさまに落胆しないでください。自分だって、ずっと同じ思考経路を辿っていたんですから」
肩を落とした権藤に、俣野は励ましの言葉を掛けた。
「じゃあ、残る二人のどちらかが犯人だろうとも、何らかのトリックを弄したことになるな。どんな小細工なんだ?」
「細工を考えるのに向いていそうなのは、江利の方でしたけど……中上には演劇の経験があるそうなので、芝居をしていたのかも」
「うーむ、しまらんなあ」
刑事二人が揃って小首を傾げたところへ、鑑識課員により新たな情報がもたらされた。
「犯行現場周りの指紋採取、水気のおかげで苦労したんだが、いくらか取れた。と言っても、被害者のものばかりなんだが、ちょっと偏って見付かったところがあってな」
「どこですか」
「ガイドラインと浮島のつなぎ目を中心に、何度も触った痕跡があった。しかも興味深いことに、かなり先の方まで触ろうとしていたようだ。水を被って指紋は無理だったが、油脂分は微量ながら残っていたからな」
「先の方って、どのぐらい」
「ざっと五、六メートルは。もっと行こうとしていたかもしれないが、それ以上は油脂も流されていたよ」
鑑識課員が立ち去って、権藤と俣野は再度、頭を捻ることになった。
「何かをしようとしてたみたいですね、鬼塚は」
「それも夜中にな。まさか、暗闇の中、ガイドラインに掴まって泳ごうとでもしたのか? 岸のペンション目指して」
「あり得なくはないですけど、鬼塚の遺体は濡れていなかったと聞いてます。夜が浅い内に泳いだとして、髪は何とか乾かせても、水泳パンツは無理な気が……」
「穿いてなかったのかもしれん」
「いやあ、そいつもどうかなと。鬼塚の方から夜這いを仕掛けたと考えてるんですよね? 仮に合意の上でも、穿かずにっていうのは他人に見られる可能性を考えると、無茶でしょう」
「だったら何なんだ。おまえも意見を出してくれよ。一方的に言わせるだけじゃなく、お互いに出し合って真相に近付いていく努力をだな」
「いやぁ、自分はもう限界の出涸らし状態。言いたかありませんが、お手上げです」
「まじで言うな、そんな縁起でもないこと」
苦虫を噛み潰したような顔になる権藤。俣野はおずおずと、“最後の選択”を提案する。
「権藤さん、今回みたいな限定的な状況で手間取っていたら、警察の内外問わず、何を言われるか分かりません。ここは一つ、例の」
「例のって、おまえの知り合いだか旧友だかの力をまた借りるってか。そう何度も何度も捜査情報を」
“苦虫噛み潰し”が続く権藤。俣野は説得に徹した。
「池原の発想力が優れているのは、実感されていますよね? あいつの口が堅いことも」
「そうは言ってもだな。こう、しょっちゅう頼っていては、示しがつかんだろうが」
「誰に対してですか。池原に推理してもらったことを知っているのは、権藤さんと自分の二人だけ。僕自身は池原を“推薦”した立場から、示しも何も関係ありませんよ」
「……」
「あとは権藤さん自身の気持ち次第ってことになります、よね? プライドに拘るか、早期解決に努めるか」
約一分後、権藤は折れた。
待ち合わせ場所の駅で落ち合って、俣野と池原の二人はカラオケボックスに入った。もちろん、歌いまくるのではなく、内密の話をするには何かと都合がよいからだ。
「ふぁ、惜しかったですね、俣野さん」
捜査に関する話を聞き終えた池原は、そんな第一声を漏らした。
「惜しかったとは?」
小首を傾げて聞き返す俣野に、池原は届けられた飲食物の中から長細い焼き菓子を一つ手に取り、弄ぶ。
「解決目前まで迫っていたように思えましたから」
「え? てことはもう解けたの?」
驚きを隠せない俣野。今の自分の目はまん丸なんだろうなと、変なことを意識した。
「真相と言い切るには早いかもしれませんが、説明が付く仮説は浮かびました」
「そうか、それなら聞かせてほしい」
「分かりました。閃きの素になったのは、お二人のやり取りでした」
「そんなヒントになるようなこと、言ってたかな……」
思い出そうとするも、とんと心当たりがない。
「言ったのは権藤さんの方でしたね。お互いに意見を出し合って、真相に近付いていく、みたいな」
「ああ、そんなところまで話して聞かせてたっけ。しかしそれのどこが閃きの素に?」
「『お互いに』『近付いていく』ですよ」
池原は不器用なウィンクをすると、彼の推理を語り始めた。
分かったあとで思い返してみれば、確かに単純な構図だったなと、俣野自身も痛感した。それほど、池原の述べた推理はシンプルだった。
犯人ではなく、被害者の方が岸に移動したのだ。それも、身体を一切濡らさずに。
鬼塚は夜中、闇に紛れてガイドライン二本を手に取り、ゆっくりと、しかし力強く引っ張った。ガイドを通るロープは長さに余裕があり、しなやかなので、じわじわとでも進み、やがて岸に辿り着く。そこで予め約束していた女性と逢い、関係を持とうとした。
だが、女の方にその気は実はなく、殺害こそが目的だった。用意してあった針金で絞殺すると、遺体を浮島コテージごと元の位置に戻そうと試みた。自白によれば、当初は蹴り出すだけで自然と戻るだろうぐらいに考えていたが、そうはならなかった。慌てて反対側のコテージまで走り、ガイドを引っ張った。重くて手応えが感じられなかったが、それでも徐々に動き出したという。途中で左右のペンションにも行き、それぞれの場所からもガイドを引いてみて、バランスを保ち、どうにかこうにか元あった中央付近まで浮島を戻すことに成功したそうだ。
これでもう明白であろう。
犯人は中上妙子で、四箇所ある各ガイドラインに彼女の毛髪が絡まったのは、犯行後の工作の過程で偶然、抜け落ちたもの。鬼塚の指紋が集中していたのも、中上のペンションへと続くガイドだった。
ちなみに動機は、中上の名字の異なる妹が鬼塚にお金をだまし取られ、それが元で自殺未遂を起こしたことにあった。
「水上のハーレム事件」.終わり