昭和プロレスの謎『仮説:一九八一年5月、アンドレの足骨折による負傷欠場は予め決まっていた?』<前編>


カーンがアンドレの足をたたき折ったとされる試合は、いつどこで行われたのか


 はじめに、元も子もないようですが、最新の定説を記しておきます。

 アンドレ・ザ・ジャイアントは一九八一年5月2日、ボストンにてキラー・カーンとの一戦が組まれていたが、当日朝、ホテルで起床し、ベッドから降りた際に左足首を亀裂骨折。試合は欠場となり、代わりにドン・デヌーチがカーンと対戦した(カーンのフォール勝ち)。その後に、アンドレの足をカーンが折ったとして因縁を盛り上げ、ドル箱カードに仕立てた。

 以上のホテルのくだりは、ボブ・バックランドの自伝やネットの情報にあるそうです。バックランドの自伝は未確認ですが、ネットに同様の記述があるのは確かめました。さらに、今年(二〇二四年)5月下旬にスカパーのヒストリーチャンネルで放送された、アンドレ・ザ・ジャイアントのドキュメンタリー番組においても、ベッドから降りるときに骨折したことが紹介されていました(日付やどこのベッドかの言及はなし)。
 前田日明がカーンから密かに聞き出したという「アンドレは試合前から怪我をしていた」との証言と併せて、とりあえずこれを最新の定説としておきます。

 本稿は、この定説に対し、疑問を呈するに足る合理的な根拠に基づき推測し、敢えて別の仮説を立てて、いかがでしょうか?と問い掛けるものになります。

 以下、ボストンのホテルで負傷した云々は一旦忘れてくださいませ。

 では本題。カーンがアンドレの足の骨を折ったとされる試合は、いつ・どこで行われたのでしょう?
 プロレス業界でのいい話として語られることが多かった、アンドレ骨折を端緒とするカーンとの抗争とその裏話。今年二〇二四年の1月にキラー・カーンの逝去が報じられた際にも、付随する形であちこちで書かれていたのを見掛けました。
 が、肝心の試合、アンドレが足を負傷したカーンとのシングルマッチがいつどこで行われたのか?となると、はっきりしていないみたいなんですね。
 カーンは自著で一九八一年4月13日と記しており、ネットにあるプロレス試合結果データベース系のサイトを複数当たると確かにその日、アンドレvsカーンは行われている。ところが、アンドレは翌日以降、分かっている範囲で5月1日までは試合に出ており、4月13日の試合で足を骨折したとは考えづらい。怪我の程度はポッキリ折れたのではなく、ひびが入っただけ・亀裂骨折だとする話が現在では有力のようですが、それでもアンドレのあの巨体で、試合に出続けるというのは厳しいような。

 カーンが日付を記憶違いしている可能性も低い。というのも、4月13日から5月1日までの記録を紐解くと、アンドレとカーンが絡んだのは4月13日が最後なのだから。この点、少し補足説明をします。
 アンドレは、日本時間5月8日に開幕する第四回MSGシリーズ参加のため来日予定だったが、シリーズ参加をキャンセルしているので、5月1日から6日辺りまでの試合にて骨折したのかもしれない。この内、記録が残る5月1日はバトルロイヤルであり、キラー・カーンとは絡んでいない。2~6日にアンドレが試合をしたかどうかは不明だけれども、カーンの試合記録を見ると2~6日にアンドレとは試合をしていない。連日、ボブ・バックランドやペドロ・モラレスのタイトルに挑戦しており、確かな記録だと思われます。
 なお、“この日の試合でアンドレは骨折した”とよく語られる5月2日、カーンはドン・デヌーチとシングルで対戦し、フォール勝ちしたとあります。

 これはいったいどういうことか。
 以下で想像を逞しくしてみます。
 仮に、アンドレが骨折(ないしは欠場せざるを得ないほどの負傷を)したのはカーンとの試合ではなく、5月1日のバトルロイヤル中だとする(ちなみにこのバトルロイヤルで優勝したのはアンドレではなく、スティーブ・カーン。バトル優勝常連のアンドレが勝っていないのは、負傷の有力な状況証拠か? それにしても優勝がスティーブ・“カーン”とは)。
 一週間後に新日本のツアーに参加する契約のアンドレは慌てたでしょう。でもどうしようもない。負傷によるキャンセルを新日オフィスに伝えるとき、お詫びとして提案したのではないか。
「俺の足を折ったのを、おたく(新日本)の選手の誰かということにして売り出せないか。俺が主戦場の一つとしているWWFには今、新日所属のキラー・カーンと谷津がいる。ルーキーの谷津ではさすがに無理があるが、カーンなら俺の足を折ったとして、説得力がある」
 とでも。
 新日本にとってはありがたい話で、断る理由はない。もちろん、カーン自身も。
 また、この頃のWWFの制服組トップたるビンス・マクマホン・シニアも新日本との関係を大事にしていたと聞きますから、アンドレのこの提案を受け入れるのではないか。復活したアンドレとカーンの因縁対決を煽れば観客動員につながるし、アンドレのブッキング権を持っていたマクマホンからすれば、アンドレのミスによる新日本への借りを、カーン売り出しによって帳消しにできる。

 こうして関係者全員の思惑が一致した結果、アンドレの足を折ったのはキラー・カーンという“伝説”があとから作られたのではないでしょうか。
 さらに手の込んだことに、伝説からだいぶ年月が経ってから、裏話として、「カーンがアンドレの足をたたき折ったのではなく、アンドレ自身の不注意による負傷だった。それを察したカーンが機転を利かせて試合を終わらせ、入院中のアンドレを見舞ったところ」云々のエピソードを付け足してきたのでは……。

 と、書き綴ってきたところで、ふと思い立って、X旧Twitterのつぶやきを検索できるサイトにて、「アンドレ カーン」で検索してみました。
 すると何と言うタイミングか、ボブ・バックランドの自伝や英語のサイトで、アンドレ骨折事件の真相が記されているという話がヒット。それによると、5月2日の朝、ボストンのホテルに宿泊していたアンドレが起床して、ベッドから降りた際に左足首を負傷したとのこと。同日ボストン興行でアンドレはカーンとのシングルマッチが組まれていたが、欠場に至ったとか。※筆者自身もあとでいくつかの英単語で検索し、該当する記述のあるサイトを確認しました。
 つまり、上で記したカーンvsデヌーチは代替カードだったと。
 うーむ、困った。空想が本当に空想だったことが逆に証明されてしまいました。

 しかし。往生際がよくないですが、藻掻いてみます。

 自伝に書かれているからと言って、真実であるとは限りません。カーンは自伝(しかもバックランドの自伝よりもあとに出版された書籍)にて、自身との試合でアンドレが負傷したのだと述べているし、日付も違うのですから。少なくともどちらか一つは真実ではない。

 一方で、バックランドが嘘を書くようなキャラクターの持ち主でないことも分かります。ですが、嘘を真実だと信じ込まされていたとすればどうでしょう?
 バックランドとて、アンドレがベッドを降りて負傷する瞬間を目撃した訳ではありますまい。仮に同じホテルに宿泊していたとしても、「アンドレ負傷!」の報を伝聞で知らされたか、せいぜいホテルから搬送されるアンドレを見掛けたくらいじゃないかと想像されます(ちなみにバックランドは前日の5月1日、メキシコでの昼興行で猪木の挑戦を受けてWWFヘビー級王座の防衛戦を行っており、ボストンのホテルに泊まったかどうか微妙なところ?)
 ということは。
 ビンス・マクマホンがアンドレ欠場の補填を求められる可能性を排除すべく、新間寿の協力のもと、すべてのプロレスラーやプロモーターを含む業界関係者の目をくらます目的で、アンドレがホテルで負傷したという芝居を打ったのだとしたら。そして「表向きは、アンドレはカーンとの試合中に骨折したことにする」とお触れを出す。

 さて、この妄想をちょっとでも補強する材料がないかと探したのですが、試合の記録の辻褄が合わないという事実以外に、有力なものは見付けられていません。
 が、これは傍証になるかもという事実が二つあります。
 一つ目は、タイガー・ジェット・シンがアンドレの代打としてMSGシリーズに途中より出場したこと。
 二つ目は、前田日明がキラー・カーンから直接聞いた“真相”だとして、「アンドレは試合前から怪我をしていた」との旨を述べていること。
 これらを併せて推測を重ね、想像を掻き立てると、上に記したのとはちょっとだけ違った、別の空想、妄想が生まれてしまうのです……。

 以下、後編に続く。

※<後編>は、note主催の企画に乗っかって、初めての有料記事としてみました。すみません。



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