自己紹介 その2
こんにちは。
昨日に引き続き自己紹介をしてみようと思います。
幼少期から大学4年まで将来のことは何も考えず(考えれないと言う方が本当かもしれない)競技に没頭してきました。そして前回のnoteにも書いたように私は大きな挫折を味わいます。
その後、競技から逃げたくて就職活動をしました。目立ちたがり屋という性格もあり、ぴーんときたのが「女子アナ」😆またもや狙う場所が超絶高すぎるということをしでかし、受かるわけもなく敗退。
貧乏くじ世代、就職超氷河期世代の私はこの時ばかりは本当になんで競技ばっかりやってきたんだよー!と親や先生を恨みました。言う通りの良い子を演じてたらこうなったじゃないか!と。
そして私の知らないところで勝手に私の就職が決められていました…。
「教員」です。
1番やりたくなかった仕事。
なぜなら私の先生も女性で2人の娘さんを試合会場で遊ばせながら試合引率をしていました(泊まりがけのインターハイでも)毎日夜遅くまで学校の仕事、部活の練習後には幼稚園へお迎えしている姿を見て、私は絶対にこんな生活は嫌だ!と思っていましたが、その先生の後釜で、と水面下で勝手に話が進んでいました。
東京で就職したくても競技しかしていない私は何をしたら良いかもわからない、お金もない(出してももらえない)、完全な燃え尽き症候群になり、強制連行で泣く泣く地元に帰りました。
教員の3年間は死んだような生活をしていました。まさにこれが「籠の中の鳥」と思っていたことを思い出しました。
ただ嫌々やっていながらも真面目な性格もあり22歳の私は18歳の女子高生に舐められるわけで、よく生徒と言い合いになり喧嘩もしましたし、理不尽だ!と泣いて帰ったこともありました笑
周りからは「教員にすぐなれていいね」とか「教員、向いてるよ」とか言われていました。ま、みなさん私の本当の状況を知らないので…。
その時の口癖は「今年で辞めます」でした。
そしてついに3年後に教員辞めました!!
親も先生も周りも全員敵!!みんな大嫌い!!
「二度と日本には帰国しません!!」と言ってスーツケース1つでオーストラリアキャンベラにワーホリに旅立ちました。
続きはまた明日…。