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2024年4~6月履修コンテンツ ゆるキャン/ユーフォ/変サラ/夜クラetc


アニメ
ダンジョン飯

ゆるキャン3期

響け!ユーフォニアム3

無職転生Ⅱ(第2クール)

鬼滅の刃 柱稽古編

この素晴らしい世界に祝福を!3

じいさんばあさん若返る

変人のサラダボウル

夜のクラゲは泳げない

ブルーアーカイブThe Animation

僕のヒーローアカデミア7期

ガールズバンドクライ

TPぼん


漫画

ここは今から倫理です。


書籍

哲学・倫理学概論


ピックアップ

TPぼん

単体のエピソード群はそれなりだが全体を通して見ると惜しい。

タイムトラベルを駆使して人命救助をする手垢のついたシナリオですが「歴史に影響を与えない人物しか助けられない」という縛りはそこそこ珍しい。この手の作品は歴史上重要な人物の運命を変えて未来の大勢の人々を救うのが鉄板ですが、本作では歴史を変えること自体がタブー視されているため史実に残らない個人がフォーカスされます。

ただ史実に関係のない個人の救済は、なぜその個人を助けるのかという恣意性が問題となってきます。魔女狩りや太平洋戦争のエピソードが顕著ですが、その出来事の犠牲者は何万人もいるのにその特定の個人を助ける理由は謎のままです。ぼんが言うようにその場の全員を助けるべきですし、個人しか助けられないのなら偉人や著名人を救う方が功利主義的に考えて人類の利得が増加します。歴史が変わると将来的に多くの人間が不幸になるからという回答は可能ですが、なぜその個人なのかという問いへの根本的な回答にはなっていません。

総じて、設定と問題提起はよかっんですが回答が微妙で全体的に惜しい作品という印象。単話のエピソードで見ればそこそこ楽しめると思います。一応続編が作られる予定らしいですが、古い作品なのもあって回答にはあまり期待していません。一応見るけど…。


ゆるキャン△(3期)

最早キャンプというよりアウトドア趣味全般と飯のアニメと化していますが安定しています。面白いかと聞かれると微妙ですが、古風なきららアニメらしくキャラクターが可愛いのでノンストレスで視聴することができます。

一期から思っていたことですがキャンプやアウトドアの度に彼女たちは何かしら失敗しています。3期の中だとリンが訪問した吊り橋が強風で渡れないとか、なでしこが姉とドライブして駐車できず目的地を変更するとか、大垣が設備の整ってない場所でソロキャンして寝付けないとか、ひとつひとつは小さいんですがこういう描写は大事だし、ひいてはこの作品の意義に繋がってくると思っています。この作品、というか趣味系きららアニメといいところって趣味を共有できる優しいコミュニティがあるところだと僕は思っています。どんな趣味でも基本的には一人よりコミュニティに所属している方が楽しめるものです。ソロキャンの失敗にしても一人なら「貴重な休日を無駄にした」という感覚に陥るかもしれませんが、ゆるキャンなら部員間で思い出話として昇華できるじゃないですか。彼女たちは完璧なキャンパーになりたいわけじゃなくて、趣味のコミュニティの活性化を目的としています。だからキャンプそれ自体が多少失敗しても楽しさは逓減しないし、そういう「ゆるさ」(ゆるキャンだけに)とコミュニティの温かさを眺める作品だと感じました。


響け!ユーフォニアム3

映画の内容忘れてたけど普通に面白い。3期の久美子は部長ということもありプレイヤーよりもマネージャーとしての側面が強調されます。それは自分がいかに良い演奏をするかではなく、いかに部員のモチベーションを保ちいかに彼ら彼女らの人間関係を上手く取り持つかという、これまで求められてきたものとは違った能力を要求されることを意味します。

「失言王」と揶揄されるように久美子は良くも悪くも思ったことをストレートに言ってしまう癖があり、これまではそれこそが大人びた先輩たちの拗れた関係を解す一撃になっていました。ところが人の上に立つ者としては何でもストレートに言ってしまうのは悪手になりがちです。副部長の麗奈がまさにそれで、彼女はとにかく正論をかますのでよく部員を泣かせます。確かに実力主義を掲げる以上的確な指導は必要なのですが、人間は感情の動物であり正論は人を救いません。それが協調性がそのまま実力に反映される吹奏楽ならなおさらです。だから久美子が誰も傷つけないよう部員の感情に寄り添いカウンセリングしていく様は彼女の成長を感じられました。

しかし実力主義を貫くことと部員の協調性を保つことは対立し、それが3期(というかシリーズ全体を通して)の大きなテーマになります。実力主義とは感情を度外視することで、反対に協調性を保つことは感情を重視し実力は脇に置いておくことです。それを体現したのが高い実力を持つのにコミュニティの和を保つため身を引こうとする黒江真由という新キャラでした。

葛藤した久美子は全員に本音を打ち明けます。管理職として成長したはずの久美子のアンサーが原点回帰して心情を叫ぶことというのはベタですが好きな展開です。

また12話において久美子がオーディションで黒江に敗北する展開も見事。久美子は本心では麗奈と演奏したいにも関わらず実力主義を建前に「上手い方が舞台に立つべき」と黒江の辞退申請を躱し続けます。久美子はコミュニティの調和を重視することを理由に自分が舞台に立つこともできたはずですが、実力主義を掲げた以上久美子だけ主人公補正でその舞台から降りるのはフェアじゃありません。部長だろうと主人公だろうと全員を実力主義の俎上に載せ音楽に誠実であることを貫徹するのは立派な構成です。

なんかこういう本音と建前とか正論と感情論とかプレイヤーとマネージャーみたいな話って自分が働きはじめてから身に染みて分かってきたので、昔と今ではこのアニメに対する自分のスタンスも変わってきています。個人的には部活アニメであると同時にお仕事アニメにカテゴライズすることもできて、見る時期によって感想が変わるかなり味のする作品です。



変人のサラダボウル

これは結構好み分かれると思うけど僕は相当好きなタイプの作品です。アニメ界のメインストリームが異世界転生ものに移行した昨今、こういう日常系コメディアニメも珍しくなりました。

「僕は友達が少ない」の作者のラノベだけあって2010年代のラノベアニメで青春を過ごしたアラサー(僕のことです)に刺さる作風であることは間違いありません。アニメ界のメインストリームが異世界転生ものに移行した昨今、こういう日常系コメディアニメも珍しくなりました。10年代ラノベアニメというと学園バトルか日常コメディが主流で僕は後者に腰まで浸かっていたオタクでした。バカテスとか俺妹とか生存とか、この手のラノベには「ロリ」「ドS」「男の娘」といった、性癖や趣味が人格と直結したキャラクターが変なことをして読者を笑わせるというテンプレートがあります。それと流行りのアニメや漫画のパロネタ、メタネタ。

『変人のサラダボウル』はタイトルからしてその要素をこれでもかと詰め込んでいます。本作も例によって「のじゃロリ」「ホームレス」「教祖」「ビッチ」といった変人属性を持つキャラクターがサラダボウルされて変なことをしていくという表題で全てが終わっているアラサーオタク向けコンテンツであることは言うまでもありません。良くも悪くも古のテンプレートをなぞっているので斬新さはありませんが、現代においては一周回って目新しいまであります。当時と違う点があるとすれば転売やいじめ、ギャンブルなど令和における社会問題を重くなりすぎない程度に話に組み込んでいる点でしょうか。また属性と人格が直結していた当時のラノベの性質にも自覚的で、主要キャラの多くが何度も属性をスライドさせていきます。例えば異世界からやってきた女騎士のリヴィアはホームレス→キャバ嬢→パチカス→ヒモ→バンドマン→アイドルと毎話属性や職業を変化させていきます。人格と属性が直結しているからこそキャラクターのポジショニングが高速で変化していく様がこのアニメの魅力のひとつと言えます。

全く異なるキャラクターの要素と社会問題をテン年代ラノベにぶちこんでまとめあげる技量は見事で、個人的には毎週楽しみにしていました。ちなみに作画の終わり具合から予算のなさが透けて見えて哀愁を感じます。


夜のクラゲは泳げない

サムネにもしていますが黒髪のレズが好きすぎる。本当はレズじゃなくて狂信的なドルオタなんですが、思考と行動が常軌を逸していて好きです。あとビジュアルも一番好き。

まあそれはそれとしてアニメの中身についてです。特定のキャラは好きだし絵も可愛いんですが、ストーリーや作品を貫く思想があまり受け付けませんでした。というのもこのアニメはZ世代や若年層の世相を反映させ過ぎているのです。まず大体のキャラクターが「何か特別な存在になりたい」という願望をうっすらと抱いていて基本的に全員承認欲求が肥大化しています。そのため作中での目標も「視聴者数を○○人集める」とか「再生数○回達成する」みたいな分かりやすい「バズ」に集約されます。それに付随してルッキズムも少々多めであり、意図的なものですが近年のSNSを想起せずにはいられない内容です。最近Twitterがそういう話題ばかりで辟易してるのにアニメそんなテーマをお出しされても素直に楽しめないというのが正直な感想です。これはもう個人の問題であり作品に罪はありません。

ただし個人的な好みを抜きにしても夜クラを貫く「バズること=何か特別な存在になること」という価値観には首肯しかねます。主人公とか金髪とかピンク髪とかがそうですけど、夜クラって没個性的だったり社会のレールをまっすぐ歩けなかったような人間の集まりなわけじゃないですか。そんな彼女たちが集まってやることが数字稼ぎなら、結局自身の評価軸をレールを作る側の他人に委ねてるわけで、はたしてそれは彼女たちの救済になるのかという思いがあるんです。大衆に認められなくても特別になれる、自分を認めてあげられるという救済もあると思うんです。

そういう点では最後まで敗者の物語でありつづけたガルクラのほうが今期では好みでした。…とは言いつつ夜クラのキャラの気持ちも分かる。俺もTwitterの大衆はカスだと思いつつもあわよくばそいつらに認められてバズりたいし。二律背反。

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