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1つの言葉が2つの意味にとれる「ダブル・ミーニング」と本質的な意味を問う持続可能な「キャリア形成」


思い込みを脱し、
自分中心の視点から抜け出し、
事実を偏見なしに見ることは
新しい創造をする上でも必須です。


日本の詩人「宮沢賢治」氏の
「注文の多い料理店」は
現実世界から幻想的な世界に入り、
最後は、また現実世界に戻る
という作品。学校の国語のみならず
英語の教材としても取り上げられて
いる代表作で
狩りのため山奥にやってきた
二人の紳士たちを主人公とする、
三人称の物語です。


注文の多い料理店では、
3回の風と7枚の扉が出てきます。
映画や本における風や扉、
またトンネルといったものは
異なるステージの移行を
表していることが多いです。
それは、感情であったり、
生死であったり、対人関係だったり、
場面の移行だったり、さまざまです。


”当軒は注文の多い料理店ですから
どうか、そこはご承知ください”

扉の最後の地点で2人の紳士は、
自分たちが扉に掛かれた言葉を
勘違いして、捉えていたことに
気が付きます。
1つの言葉が2つの意味にとれる
文章を「ダブルミーニング」
といいますが、


扉のこの”言葉”を読んで、
2人の紳士は最初、
「この店はなかなか流行ってるんだ」
と思います(思い込む)。
「注文が多い」を「食事にくる客が多い」
という意味でとったため、
「人気のある店」だと解釈したのです。


しかし、最後にこの言葉が
紳士2人にとって、自分たちが
食べられるための下ごしらえを
注文(多い)されていたと知ります。
自分の都合のいいようにだけ解釈し
自ら危険に近づいて行ったこと、
ダブル・ミーニングによって
意味が逆転すると同時に
自分の立場が「食べる側」から
「食べられる側」に一気に変化したこと、


このお話は、
ダブルミーニングを使うことで、
読み返し、自然と紳士と山猫の
立場にたてる仕組みになっています。


私たちはさまざまな解釈が
可能である文を理解する際、
その中から一つの”解釈”を
選択するという作業を
日常的に行なっています。
それには、自身の知識や経験、
そのときの感情、表情や姿勢
などの要因が関わっている
と思います。


人間の頭は全部が全部
ロジックで動いているわけでは
ないので、理性のレベルでは
相手の主張の妥当性を
理解できるのに
感情レベルでは相手の主張に
納得することができないという場合、
価値観が私たちの「こころ」を
規定している可能性があります。


「価値観」とは、私たちの
ものの見方やものの感じ方を
規定する判断基準の集まりの
ようなもの、
(世界観、人生観、人間観含む)


人の思いは知覚、思考、感情、
知見、意図、信念体系などから
なりたちますから、
人に伝達しようとする際も
通例に連なり表示されます。
人の思いを表示する語も
広い領域に及び、語の意味である
語義は柔軟性をもち、しばしば
あいまいにもなってきますし、


文の内容に構造的なあいまい性が
存在すると、人によって
その文から読み取る意味が
変わってしまうことがあります。


21世紀は
「こころ」の科学の時代といわれ、
クオリアや自己意識などといった
主観ないしそれに類似する問題までもが
研究の対象になりつつあり、
脳がなければ「こころ」もない、
「こころ」の働きと脳の働きは
重ね合わせであるという
神経科学から脳の科学へと
最近の脳に関する科学の発展は
めざましいものです。


たとえば、
主観的症状と客観的症状の
橋渡しをするのは”言葉”ですが
二つの間の厚い壁について考える時、
体験を言葉で表現することの
限界という問題が浮上してきます。


なぜなら、主観的体験、知覚を
言葉に翻訳するためには、
当然ながら、
その知覚にあたる言葉を
知っている必要があり、
逆にいえば、その知覚に当たる
言葉を知らなければ、存在しなければ、
表現はできないことになるからです。


言語は、人間の本質を担うもので
ありますが、
物事の「本質」を完璧に
見抜くことは不可能ですから、
哲学や科学、倫理学では
物事や世界、人物の本質を”考える”
ということが昔から行われていますし、
人間には、現実世界のあるがままの
姿をあるがままに正確に記述し、
それを記憶判読するような能力は
備わっていないので、


現代哲学では
世界(事実)そのものよりも、
世界と心(精神)の関係を探る
ことに注力してきました。
言語はかつて思考から知識へと
直結する、明快なものと
思われていましたが、今では
そう単純なものではないと
考えられています。


”今の時代を生きる私たちは、
何を変え、何を未来に残すのか”

江戸時代の俳人
松尾芭蕉の俳諧論書である
『去来抄(きょらいしょう)』
の一節に
「不易を知らざれば基立ちがたく、
流行を知らざれば風新たならず」

「不易流行」とは、松尾芭蕉が
奥の細道の旅をする中で会得した
概念だといわれていますが、
『不易と流行のその基は一つなり』
芭蕉の言葉とされるものです。


時代を経ても変化しない本質的
または、普遍的な真理(=不易)を
知らなければ基礎が確立せず、
基本を知っていても
常に時代の変化を知り、
その革新性(=流行)を取り入れて
いかなければ新たな進歩がない
という意味です。


ビジネスでいえば、
経営理念やミッションが
「不易」にあたると考えると
"その志をどう実現していくか"
時代や社会の変化を見据えた
取り組みが「流行」だと思います。


コロナ禍で急速に
発展したテクノロジーは
イノベーションを促し、
常識を大きく変えました。
出社しなくても仕事ができ、
オンラインで顧客と
コミュニケーションをとれますし、
無料のデジタルツールを活用して
集客することも可能です。


しかしながら、 
こうした「流行」は、
時代に合わせて新しいことを
やってみるという
単純な話ではありません。


2020年代に入ってから、
本格的に世界を襲った
新型コロナウィルス感染症は
私たちの生活を一変させました。
そのうちの一つが
「見えている世界」と
「見えていない世界」のギャップを
明確に浮き彫りにしたということです。


私たちの生活がいかに
「見えていない世界」に
依存しているかを改めて
知らされることになった、
といっていいでしょう。

 

そもそも
「言葉」や「数」といった
抽象概念を扱うことが
人間の「知的能力」の特徴な
わけですが、
近年のデジタル化はさらに
その「見えない世界」への
依存度を圧倒的に高めている
というわけです。


芭蕉はさらに「その本は一つなり」、
すなわち
「両者(不易と流行)の根本は一つ」
とも述べています。
つまり、「流行」は「不易」という
原理原則があってこそ、
原理原則に立ち返って
物事の本質を問い、
その上で新たなことを
冷静に判断できる
「情報・知識・マインドセット」を
持っていなければ、
ただ「流行」に惑わされて
しまいます。


時代が変ったのに古くからの
法則や方法に縛られていると
国や会社などは衰退してしまいますし、
変えてはいけない部分を変えてしまうと
あっという間に組織などは
滅びてしまいます。
それをどう見分けていくかという
解釈なのだと思います。


これから先も何が起こるか
誰にも分かりませんが、
その時々で最適な
「流行」を捉えるために
原理原則を洞察する学びを
惜しんではいけないと思うこの頃、


世の中には色々な学問があり、
さまざまな書物があり、
またいろいろな歌もあります。
そして、これらの
学問や書物や歌などの成立を
可能にしているのも
「言葉(ことば)」です。


これらはすべて
文化の一側面でありますが、
その中で言葉は、他の文化を
可能ならしめる重要な要素であり、
言葉が存在しなければ、
どのような学問も成立しないし、
書物も存在しないし、歌も歌えない、
つまり、
過去の歴史や文化を知ることもできないし、
これからの歴史も残らない。
このように言葉は
文化の「標(しるし)」であり、
その言語を使用する人の思考を
表していると思います。


文化にも
「目に見えるもの」だけでなく、
ものの見方や価値観など
「目に見えないもの」があり、
両者は互いに影響を及ぼしあって
いますから、
文化を相対的に捉えることで
”自分たちの「当たり前」が
そうではないと気づき”、
既成概念を問い直す機会にも
なると思うのです。
つまり、「異文化」を学ぶことは、
同時に自らの文化や自分自身を
見つめ直すことでもあります。


たとえば、
世界三大投資家と称される
「ウォーレン・バフェット」氏、
「ジョージ・ソロス」氏、
「ジム・ロジャーズ」氏ですが、
高齢にもかかわらず全員が
今尚お金を殖やし続けています。

「投資家」と一言でいっても、
そのキャリアの積み方は
さまざまですが、

「誰もが同じ世界を見ているからこそ
自分で考えることが大切」

「他人が目もくれない場所に
チャンスは転がっている」

「目の前の現状に惑わされず、
常に未来を見据えた投資を行ってきた」

大局を見る力がつけば、
自分たちがどの位置にいるのかが
わかり、そして結果的には、
それが先読み、つまり正しい判断に
役立つといいます。


もう一つ、
「ユビキタス」という言葉は、
2000年代に流行った言葉です。
「ユビキタス」の語源はラテン語で、
「(神は)あまねく存在する」
「いたるところに存在する」
という意味ですが、


いつでも、どこでも、何でも、
誰でも繋がれるということで、
IT社会を「ユビキタス社会」と
いうようになり注目されました。
ITの世界では、コンピューターや
ネットワークが遍在し、
使いたいときに場所を選ばずに
利用できることなどを表す用語として
「ユビキタス」が使われています。


しかし、
携帯電話やインターネットが
普及したことで「ユビキタス社会」は
当然のものとなり、今は死語に
近くなった「ユビキタス社会」です。


そもそも
「ユビキタス」という概念が
情報通信分野で初めて登場したのは、
1990年代初頭に遡ります。
提唱したのは
米ゼロックス・パロアルト研究所の
「マーク・ワイザー」氏、
「ユーザが意識せずに
日常世界の至るところで
コンピュータを利用可能にする手法」を
「ユビキタスコンピューティング」
と呼びました。


つまり、ユビキタス環境とは
人間が機械に合わせるのではなく、
コンピュータやネットワーク、
様々な情報端末を使って、ごく自然に、
しかも意識することなくやりたいことが
自在にできるようなネットワーク環境であり、
社会、生活、産業をあまねくカバーする
高度な情報インフラです。


"あらゆるモノにAIが搭載される
「ユビキタスAI」時代が到来する"

テクノロジーの進化は、
すでに私たちの生活の至るところで
登場しており、
生活のオンライン化が進むにつれ、
IoT「Internet of Things:
モノのインターネット」の時代に
突入しています。


今後、ユビキタスが実現される
ことによって、もはや情報端末を
持ち歩くのではなく、さらに、
小型化した情報端末が家電製品などに
組み込まれるとともに、
コンピュータの機能を身にまとう
ウェアラブルコンピュータの実現や、
さまざまな商品や資材に取り付けられて
情報を管理できるようになる
ICタグ(RFID)の普及、


インターネットにつながる端末数を
大幅に増やすIPv6の定着などにより、
人と人がつながり、モノとモノが結ばれる
本格的なユビキタス社会が到来すると
考えられており、 ユビキタスの実現には、
それを支える情報機器の互換性が
不可欠となり、
「ユビキタスコンピューティング」は
人、機械、モノの融合を加速させると
予測しています。


洗濯機やエアコンなどの
家電製品、位置情報や交通状況を
察知した車の自動運転などがあり、
AR(拡張現実)も
「ユビキタスネットワーク」の
一つとして、進められています。
「現実世界」に重ね合わせて
さまざまな情報を表示して、
仮想空間やバーチャルキャラクターを
作り上げている例もあり、
「何とでも繋がれる社会」を
目指しているたとえ、と
いえると思います。


このように
今日のテクノロジーの世界では、
イノベーションが急速に
進んでいますが、


20年ほど前には
「デジタルでバイト」という
言葉が世界で普及しました。
PCや携帯電話という
デジタルツールの普及によって
そのようなインターネットに
接続できるデバイスを所有し、
使いこなせるかどうかで
二極化が進むのではないかと
いう懸念であり予言でした。


スマートフォンというツールにより、
デバイスの普及そのものでは
予想されたほどの二極化は
起こらなかったものの、
所得や生活水準の二極化が
進行したと感じる人は多いようです。
その原因の一つとして、
デジタル化やそれを支える
「知的能力」を中心とした
社会変化の進展があげられるでしょう。


このように
「見えない世界」の存在が
途方もなく大きくなりつつあるのが
現代社会の大きな変化なわけですが、
見えないものの重要性が圧倒的に
高くなった反面、
「見えない世界」を描き扱うことは、
見えるものに比べて難易度が
はるかに高く、
現状それを意識した限られた人にしか
扱うことができないため、
先に述べたような格差が生じると
いうわけです。


すなわち、言い換えれば、
「見える世界」と「見えない世界」
との違い(ギャップ)の定義とも
いえると思います。


変化が速い時代において、
時代の変化など、環境に合わせて
変化を受け入れ、
キャリアを適合できる能力
「キャリア・アダプタビリティ」は
ビジネスパーソンの必須のスキルですし、
新たな価値を生み出すスキルを
獲得して、道を切り拓くのが、
「リスキリング」の本質です。


日常に出合うあらゆるものが
インターネットに接続される
IoT社会は、日々数億、数十億もの
情報を生み出します。
現代のような情報過剰社会では、
膨大な量の情報の中から
効率的に意味のある情報を見つけ、
ビジネス上の価値に結びつける
専門職への要請が高まってきています。


そうした専門職として、
データ・サイエンティスト
データ・アナリスト
と呼ばれる職業も現れました。
データ・アナリストとは、
収集した情報を分析する
プロフェッショナルのことを指し、
分析した情報で仮説を立て、
クライアントの悩みや課題への
解決策を提案するなども行うため、
高度な分析技術やスキルが
求められる仕事です。


2030年
データサイエンティストや
IoT、AIなどの最先端技術を担う
ITエンジニア人材は
55万人不足することが
見込まれています。
つまり、
需要が伸びている職業の1つが
データアナリストや
データサイエンティストです。


世界経済フォーラムが発表した
報告によれば、第4次産業革命によって
2025年までに8,500万件の仕事が消失、
その一方で、9,700万人分の
新しい仕事が生まれると
予測しています。


「リスキリング革命」では
この技術変化に対応した
新たなスキルを獲得するために、
2030年までに「10億人」に
より良い教育・スキル・仕事を
提供する”と宣言しました。


また、Amazonでは2019年に
「2025年までに7億ドルをかけて
従業員10万人にリスキリングを行う」
と発表し、技術職以外の従業員を
技術職に移すことや、
デジタルスキルの習得を目指す
研修の実施を行うとしています。


”高い人間力とスキル、専門性を有し、
変化を自らの成長の機会と捉え、
変革に挑戦し続ける人材、それが
MUFGにおいて求められる
プロフェッショナル像”

これは、
社会環境・競争環境は激しい
変化に対応できる人材の育成を
めざす三菱UFJ銀行が
2025年4月から総合職といった
採用コースの垣根を取り除き、
全行員を新設する
「プロフェッショナル職」に
位置づけることで
全行員をプロ人材とみなして
事業領域や勤務地を選びやすく
することを発表しています。


「先読み力」とは「予測」して
「行動」するということを
「予測」して「行動」することで
正しい判断に役立ちます。
つまり、「先読み力」は
持って生まれた能力ではなく、
経験を重ねればある程度
身に着いていく能力ですが、
心持ちしだいで、スピード感を持って
鍛えられる能力でもあります。


想定外の変化が当たり前のように
起こる中でやりがいを感じながら、
「価値」を提供し続けるには
どうしたらいいのか、
そのひとつの答えが、
「生涯プロフェッショナル」
という働き方です。


持続可能な
キャリアを歩む人とは、
仕事に必要な専門知識を
アップデートするだけでなく、
仕事から「意味」を引き出し
続けられる人を意味します。
すなわち、「先読み力」がある人は、
ニーズを把握して行動しています。


キャリア形成の本質は
「働くことや生きることに価値を感じ、
自分自身で道を切り開いていくこと」 


どのような職業につくのかではなく、
「いかに生きるか」、
”そのために何をどう学ぶのか”
それを自ら問い、考え、
必要な「知」を身につけていくための
「思考力」や「技能」を養うことが、
リベラルアーツ
( 職業に直接関係のない学問、
芸術のこと。実用的な目的から
離れた純粋な教養)の学びです。


その答えは、
リベラルアーツを通る中で
自ら見つけることになります。
さまざまな「知」に触れ、考え、
また自ら問いを持ち、
その答えを求めていく、
それを通じて、自分の将来も選択し、
切り開いていくのだと思います。


学ぶから道が現れるのではなく、
道を決めるから学ぶ意欲が
現れるというのは
キャリア形成の本質といえる
のではないでしょうか。


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