自分の「魂」がこの人生で実現しようと願っている「神様の前に出しても恥ずかしくない志」
私たちの「人生の目的」は、
この人生を最大限に活かして
自分の本体である「魂」を成長させ、
同時に社会に貢献することにあります。
いくら経済的にあるいは社会的に栄達しても
肝心の「魂」がしおれるようでは、
生きている甲斐があるとは言えません。
どれほど経済的に豊かであっても
社会的な地位に恵まれようとも、
心の内奥には常に不安、焦り、不和、
失望を抱かえることになります。
霊的成長を目指して具体的に
踏み出すために、私たちは自らの
霊的理想を見出すことにあり、
その理想に従って人生を構築し、
その理想実現に向けて
人生を傾注することです。
霊的理想とは簡単に言えば、
「それぞれの魂がその人生で本当に
実現したいと願っている願望」
「生まれ変わってでも実現したい目標」
「神様の前に出しても恥ずかしくない志」
のようなもの。
この霊的理想こそ、人生の可能性を
最大限に引き出す鍵でもあり、
この霊的理想によって
人生のあらゆる局面は展開していきます。
霊的理想は私たちを霊的本源に
同調させる最重要の要素であり、
霊的理想に向けて生きることで、
霊的次元の「創造的エネルギー」が
私たちの人生に豊かに流れていきます。
それによって、
これまで私たちの人生に現れていた
トラブルや苦悩が、私たちの人生を
より豊かで意義深いものにする踏み石へ
と変容していきます。
私たちは「永遠の世界」にしっかりと
根を張りつつも、この物質世界で
意義深い人生を生きることが
可能になるのです。
「霊的理想を見出す」ことは、
自分の「魂」がその人生で実現しようと
願っているところのものを明らかに
することであり、
「霊的理想を生きる」とは、
自分の人生を霊的理想の実現に向けて
ひたすらに注ぐことです。
そして霊的理想に向かって
生きるということは、
生きるべき人生を生きることであり、
そのような人生は本質的な意味での
生きる喜び、希望、勇気にあふれています。
なぜなら、そこには「魂」の豊かな
躍動があるからです。
霊的理想には他者への奉仕的な
要素が必ず含まれます。
自分だけのために生きようとすれば
能力は枯れ、
誰かのために自分の人生を役立てようと
すると、その願いに応じて能力が
高められるもの。
これは宇宙が私たちをそのようなもの
として存在せしめたからであり、
人間が本来的に性善(=人の本性は
もともと善であるということ)に
創られていることの証でもあります。
霊的理想についてはかなり明確に
なってきたと思うのですが、
実際、自分の霊的理想は何だろう
と考えたときに、
必ずしもすべての人がすぐに的確なものを
見出せるとは限りません。
それまでの
人生の目的や生きる意味について
あまり悩んだことがない人にとって、
霊的理想を見つける作用は意外に難事です。
これは霊的理想を見つけ方の一例ですが、
ここにご紹介いたします。
①まず紙と鉛筆を用意し、
一枚の紙に自分が生まれてから
これまでの人生の中で、
自分がやりたいと思ったこと、
あるいは自分が何かを達成して
それによって大きな喜びを感じた経験、
これらを最低でも10個書き出します。
(これで願望リストができる)
②次に別の紙に自分の才能と能力を
列挙する。
才能や能力は他人と比較して考える
のではなく、自分の中で「これは得意だな」
と思えればいいです。
また「こういう才能があればいいな」
と思うものもそれに加えます。
(これで能力リストができる)
2つのリストができ上がったら、
次に願望リストを調べて
それぞれの願望が自己中心的で
エゴを満足させるものになっていないか
どうかチェックします。
もしそういう願望があったなら、
それを神様の前に誇らしく報告
できるような表現に改められるか
どうか試してみます。
もしできなければ、その願望は単なる
肉体の願望であり、霊的理想には
なり得ないので却下します。
そして願望のリストの中から、
自分の魂を最も揺り動かすものを
選んでみます。
この段階で霊的理想が明確になる人も
います。
さっきと同様に自分の能力リストを調べ、
単に自分のエゴを満足させるようなものを
排除します。
そして能力のリストの中で
神様に差し出せるもの、他の人の人生を
豊かにするために差し出せる能力を
選んでみます。
どのような願望を持つときに
私たちの魂は最も喜びにあふれ躍動するか、
自分の能力の中で他の人たちのために
奉仕的に使える自分の能力が何であるか、
という2つのことに気づくと思います。
そしてこの「願望」と「能力」を
創造的に融合させて具体的に実行する
方法を考えます。
つまり、やりたいこと(願望)を
持てる能力で表現するにはどうすれば
いいかを考えるのです。
たとえばそれは、
「困っている人を助けたい」という
願望を選び、
自分が奉仕的に使える能力は、
「コミュニケーション能力」だとすれば、
「話すことで困っている人を助ける」
ということができると思います。
本当の幸せとは「魂の満足度」。
あらゆる可能性に開かれた自由で
決して尽きることのない魂のエネルギー
を惜しみなく内外に放出し続けることが
本当の幸せであり、完全調和たる
宇宙生命(神)の望みでもありますが、
ほとんどの日本人は仕事から
免れることができず、会社は多くの人が
協力し合って成り立っています。
一人の人が優れた発明をしても
その人の名前は残ることがなく、
会社全体の業績になっていきます。
集団社会というのは個人の「個性」を
否定する形で成り立っているので、
もしも個々人の個性を強調しすぎれば
集団は解体していきます。
お互いに自分を消して協力し合うと
いうのが集団社会です。
水瓶座は山羊座の「次」のサイン、
水瓶座はこの山羊座の性質に対して
批判的になり、そこから飛び出すことで
成り立っています、たとえば、
山羊座が会社員だとすると
水瓶座は会社から飛び出して自由な
仕事をする人です。
太陽の位置でスタートし、
発展していき、そして終着点として
土星が存在し、太陽が疲れ果てた段階で
土星が主導権を握ります。
(太陽→スタート→発展→土星〜)
つまり、会社員をしていた人はやがて
山羊座の持ついろんな問題点に対して
疑問を持つようになり、会社から自由に
なって自分で仕事をしていくような
生き方に変わると考えれば、
この2つの組み合わせはとても自然な
流れのように見えてきます。
山羊座では、個々の「個性」は
認められませんが、水瓶座においては
突出した「個性」というのがむしろ
最も重要視されるものなのです。
水瓶座の支配星は「天王星」、
個性、オリジナリティ、孤立的であること、
屈折していることなどが特徴です。
時の流れに受動的に振る舞っている
わけではなく、考え方の問題として
やがて水瓶座が台頭してくる時代が
くるのです。
そして太陽を「大きな自己」と見ると
惑星はそれをいくつかに分割したので
「小さな自己」です。
この小さな複数の「小さな自己」は、
互いに争ったり、衝突したりします。
ですから、この「小さな自己」という
視点からすると悪い星があったり、
暗い星があったりします。
でもこの諸惑星の親元である
「大きな自己」である「太陽」からすると
自分をいくつかに分割したに過ぎないので
惑星はみな「仲間」です。
「小さな自己」からすると悪い星があり、
「大きな自己」からすると
そういう悪い惑星はない、
どれもが必要なパーツなのです。
そういう意味では、たとえば土星が
暗い不幸な星と見ている間は、
私たちはその見方によって、
「小さな自己」に閉じ込められてしまう
ということです。
土星は、
実際の「人生の柱」のようなもので
これさえしっかりしていれば、
あとはかなりおかしな人生を体験して
いたとしても、自分はちゃんとしている
と感じることができると思います。
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