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【短編小説】世界はインシグニスブルーに彩る

「拝啓 貴方の見る世界がどうか光にみちた世界でありますようにーー」

貴方への想いを書いた手紙をそっと閉じる。
書き留めた想いが溢れないように大切に封筒にいれた。
貴方に読まれる事がないこの手紙を、自分の思いや願いとともにそっと腑をした……。

**

若い警官は、浮かない顔で封筒に記載してあった住所を探しだす。その宛名の住所から、たどり着いた場所は家兼アトリエのようだった。

若い警官がチャイムを鳴らすと、暫くしてドアが開く。その部屋の住人らしき人物が出てきた。

黒いロングヘアー、青白い痩せた女は20代後半くらいだろうか。創作途中だったのか、絵の具で汚れているエプロンをつけていた。

華原 瑠衣かはら るいさんですか?」
「そうですけど……」

突然な訪問に瑠衣は、訝しげな顔で警官を見る。

「貴方への手紙を届けに来ました」
「え?誰からのですか……?」

瑠衣は警察官がわざわざ持ってくる手紙なんて、思い当たる節がない。より一層訝しげな顔を強めた。

警官は瑠衣の反応を予想していたものの、居心地が悪い。警官は、右手で頭を掻き始める癖が無意識にでた。

警官は一呼吸おき、勢いよく手に持っていた封筒を瑠衣に差し出した。

「河川敷にあった遺体が持っていたものです。名前は吉原 深雪よしはら みゆきさん43歳女性です」

瑠衣は、名前を聞くなり、両手で口を押さえる。ゆっくりゆっくり頭の中で、記憶の奥にある彼女の笑顔や声、子供の頃に過ごした日々が脳内に再生される。

彼女の事を考えるたびに思い出の色は濃くなり、何だか苦しく、手指が震えた。

久しぶりに苦しかったあの頃と同じように胸の奥の方が締め付けられる。目頭が熱くなっていく。

「昔……小さい頃に……家庭教師の先生をしてもらっていました……。なんで亡くなったんですか?」

先生の手紙を震えながら警官から受け取る。

切手のない封筒は少し色褪せており、出すのを戸惑っていたのか?又は出さないつもりで書いたのか?どちらとも伺える。

瑠衣は封筒の封が開けられている、切られた部分が目に止まった。

若い警官は瑠衣の視線先に気がつく。

「病死です。すいません。捜査で封筒の中は読ませていただきました。これ本当は華原さんに出したかったんじゃないかと思って……。家族の方も瑠衣さんに渡してほしいと言う事で持ってきました」

封筒の字は懐かしく、先生の華奢な体とは似つかない、チカラ強い大きな角ばった字だった。
瑠衣はその字を見ると先生を思い出し、少しはにかむ。

「わざわざ……ありがとうございます」

警官は、瑠衣の表情をみて、やっとほっとすると笑顔でアトリエを後にした。

瑠衣はアトリエのソファーに腰をおろす。
暫く封筒を見つめていた。

先生はなぜ河川敷にいたんだろう?
最後は1人でどういう気持ちだったんだろう?
何年も会っていない私へなぜ手紙を書こうと思ったのだろう?

考えれば考える程真意はわからない。

瑠衣は、意を決して、警官から受け取った封筒から手紙を取り出し読み始めた。

**

「拝啓 貴方の見る世界がどうか光にみちた世界でありまうようにーー。

元気にしていますか?私の事覚えていますか?

貴方が中学生くらいだったでしょうか?私はあなたの家で住み込みで家庭教師をやっていました。
2年くらい貴方と一緒に暮らしました。

あの頃は突然の事故でお母様を亡くされ、貴方は精神的に1番辛かった時期でしたね。
学校へ行けなくなった貴方の世界には、誰も入れなくなっていました。

部屋に閉じこもり1人で、孤独や不安に声もあげれずにひたすら耐えていたのでしょう?
そんな貴方を私は側で見てきました。

貴方が始めて私に話してくれた話は、お母様と一緒に絵を描くのが大好きだった思い出話でした。

いつも大切そうに持っているスケッチブックを見ながら、消えいりそうな声で教えてくれました。

あの頃は私も若く、貴方が楽になるように、かけてあげる言葉もわからず、貴方の言葉を待つしかできなかった事を今でも後悔しています。

瑠衣、ごめんなさい……。

あれからもう15年が経ちます。
今の貴方は、きっと私の記憶に残るあどけない貴方とは違い、立派な女性になっているのでしょうね。

私も歳をとり、最近悪い病気が見つかりました。告知されてからは、精神的に落ち込み毎日が、この世界にいないような感覚の日々を過ごしていました。

そんな日々を送っていましたが、たまたま絵画展を見つけ、懐かしくなり見にいきました。

そこで、偶然にも貴方の絵を見つけたのです。
とても懐かしく、心が震えました。そして嬉しく、涙がいつの間にか頬を伝い流れ落ちていきました。

絵画展で見た抱っこをする親子の絵は、とても素敵でした。
きっと貴方のお母さんとの思い出を表現しているのでしょう?

優しいお母様の笑顔とそれを見つめる子供の視線は柔らかく描かれておりすばらしかった。
絵を見て貴方の暖かさと強さを感じました。

貴方の事はずっと頭の片隅にあり、心配していたのですが、貴方は自分のチカラで世界を広げていったのですね。

弱さを知っている人は強い。
孤独を知っている人は温かい。
貴方は1人じゃない。

貴方は色んな色が使えるのです。
沢山の色を使って、貴方の見る世界をもっともっと彩りに溢れた世界にして下さい。

私は貴方の絵を見て温かい気持ちになりました。残り少ない人生の日々を私なりに、力強く生きていきたいと思います。

瑠衣、ありがとう……。

この手紙は、貴方へエールのつもりで書いたのに私の残り少ない人生の後悔を綴ったもののようになってしまいましたね。

貴方が私の事を知れば心を痛めるでしょう……?

貴方には届かない手紙にした方がいいのかもしれません。

ただ貴方の幸せをいつまでも願っています。

敬具 吉原 深雪」

**

瑠衣はゆっくり手紙を閉じると手紙に一粒の涙がしたたり落ちた。手紙に落ちた涙をすぐに拭くが、手紙は瑠衣の涙をどんどん吸っていく。

手紙はあの頃の先生のように、瑠衣の想いを吸い込んでくれているようだった。

母親を事故で無くしてからぽっなり穴が空き、世界には色がなかった。いつも自分の味方で居てくれた、心から信じられる人がいない。
会いたくても、会えない。

我儘も母の死で心痛めている父を見ると言えず、誰によりかかっていいのかもわからず、1人で寂しくても我慢していた。

学校に行けば、自分だけが不幸な気がして、皆んなの眩しい笑顔が逆に苦しくなって、途中で学校に行けなくなった。

わがままを言うこともできず、悲しすぎて涙もでない。

大人になる前に、世界にはどうすることもできない事があることも、友達の誰よりも早く身に沁みて理解した。

そんな時、学校へ行けなくなった私を父が心配し、家庭教師を呼んでくれた。それが先生だ。
始めから先生へすぐに心開いた訳じゃない。

先生に冷たい態度をとっても、先生は根気よく私を待っててくれた。

ある日久しぶりに学校に行ったものの、やはり辛くなり、泣きながら帰ってきた。

声も出さずに泣いている私をいち早く先生は見つけ、何も言わずに抱きしめてくれた。

こんなこと母親ぐらいしか、してもらった事がなかったから戸惑った。恥ずかしくなってどうしていいのか手の位置も呼吸も何だかわからなくなる。

でも、先生の胸の中でなり続ける規則的な鼓動を聞くと落ちついた。先生の服からは、先生が好きなラベンダーの匂いがした。

それからは、眠れない日は、ずっと手を握ってくれた。私の話しをずっと聞いてくれた。
先生の手は、温かくて大きくて、その手は心まで包んでくれているように感じた。

慈悲で、自分の事を心配してくれる先生は、あの頃欲していたお母さんを充分思わせるものだった。

何も言わなくても、私に寄り添ってくれ、愛してくれた。その甲斐もあり私は、徐々に学校に行けるようになった。精神的にも落ち着いた。

毎日楽しく笑って綺麗なものを見て、沢山の絵を描いて先生と話しをした。

世界にはこんなに色がある事を知った。

そのおかげで私は、先生が家庭教師を辞めた後も、大好きな絵を描く事を続けていた。
美大に入り一度絵画展で大きな賞をもらった。

それから画家になったが、なかなか受賞できないで、2年程スランプに落ちている。

周りの期待、自分のプライド、今までとは違う自分の中から出てくる黒い気持ちに呑まれる。

焦れば焦る程、あんなに沸いていた描きたい物欲求も悩めば悩む程わからなくなり、最近は、何を描いたら良いのかさえもわからなくなっていた。

ここ数ヶ月、何度洗っても絵の具の汚れがとれないエプロンを付け、書こうと試みる。だが、何もせずにキャンバスの前に座っているだけの時間を繰り返していた。

自分でも自覚しないくらい、いつの間にか、あの頃のようにアトリエにこもってしまっていた。

だが、今日先生の手紙を読み、今ここに先生がいるような気がして、何だか心が温かい。

先生の手紙を両手に握りしめて胸に抱きしめた。
そして、何ヶ月も止まったままだった創作意欲が不思議と高まる。

「先生……ありがとうございます……。救ってくれるのはいつも先生です……」

瑠衣は真っ白なキャンバスに向き合い、おもぐろにペンを走らせる。手は止まる事なくキャンバスの上を滑らかに動く。
久々に動くペンは止まらない。
瑠衣の時間は動きだす。

今の瑠衣には描きたい事がある。
先生へ手紙の返事を描く事。

**

数ヶ月後の絵画展。

4才の女の子が絵画展の中を走り回る。
女の子の頬に優しい風が触った。女の子は、頬を触られた感覚に一つの絵の前で足を止める。

風が来た方を探しキョロキョロすると大賞の絵に目を止めた。
その絵を女の子はキラキラした丸い目でじっと見つめた。

「ママ!私とママみたい!」

女の子は絵を指差し、興奮して叫ぶ。
母親は口元を緩めると、すぐに娘の側に行き一緒にその絵を見た。2人はその絵を見て微笑んだ。

大賞に選ばれたその絵は、太陽が眩しいすみきった青空の下。女性に勢いよく飛びつき抱きしめられる子供の姿。

2人の足元にはいつか見た一面を覆い尽くす沢山の蒼いモラフィラが、あの頃のように優しい風に吹かれ、ゆっくり揺れているようだ。

キャンバス全体が青という希望に満ちた色に染まる。寒色の青が何故だが、暖かさを象徴する絵だった。

題『私の日だまり』 華原瑠衣

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