見出し画像

大学がガチでモラトリアム化している件

「そうなんだ、じゃあ来年からは専門学校に行くんだ」

『そうなんですよー、私、普通に働くのに向いてなさそうだし、やりたいことが見つかったんでー』

__________________________________

話相手は今年大学4年の子だ。4年間大学生をやり、就活もしたがどうにも納得がいかず、もう一度専門学校に通い直すらしい。

まあ人の人生なので、好きに生きるのが一番だ、ってのは結構本心だが、ハッキリいってモヤモヤもする。実はこの類いの進路を聞くの、これで3例目だ。

聞くところによると、大学では文学系、でも今目指しているのは演出とかを学ぶ専門学校らしい。私は理系なので、あまりその辺の分野に詳しくないが、「じゃあ大学の4年って何だったのだろう」という疑問が純粋に湧く。

勿論、人生に回り道なんてない。日本地図を初めて作った伊能忠敬は50歳から天文学を初めてその後日本中を歩いてあの高精度な地図を完成させたと言う。好きであれば、物事はいつ始めたって遅くない。それは先人が何人も証明してくれている。

でも、現代日本はどうだ。これを読んでいる目の前の貴方も、大学の学部と今の仕事が一直線に繋がっている人がどれくらいいるだろうか。文学部に行ったから全員作家になるのか?経営学部に行ったから全員社長になるのか?そんな話は無い。専門学校に行った人だって、例えば美容専門学校を卒業した人はとりあえず最初は美容師になる人が多いというけれど、仕事がつらくてすぐに辞める人も一定数いる。

いや、そんなの当たり前じゃないか、学んだことが直結する人生の方が少ないに決まっている、っていう指摘が来るのは分かります。

でも、現代日本の子どもにかかる教育費ってすごい。受験を複数回する度に塾代がかかるし、中高大は私学に行くとかなり出費が増える。親もかわいい子供のために一生懸命に働いて教育を受けさせるのが当然になっている。しかし、あまり考えるべきではないかも知れないけど、実際こういう教育に対する「コストパフォーマンス」っていかがなものだろうか?っていうのが今日のお題である。


かくいう筆者も現在進行形で大学院生ですが…

かくいう私も、大学院生です。大学院(博士課程前期)は、通常の大学4年間(学部)を卒業した後に、さらに2年、大学の研究室に所属して研究・実験を行う場所です。教員と学生という関係性は学部時代を変わらないですが、場合によっては大学の研究者の一員的な感じで、しっかりと研究に打ち込む人もいます(私はけっこうこのタイプで、責任感や日々の拘束時間は学生と社会人の中間くらいな気がしています)。

私自身が大学院に進学した理由としては、自分の長所を活かせる仕事に就きたかったから、というのが端的なものでしょうか。小さい頃から探究心が強く、勉強するのが好きだったので、大学や企業の研究者として「考える」という自分の能力を武器に仕事したいと考えていました。

大学院に進学するには、大学の勉強を頑張り、入試を突破する必要があります。また、進学してからの研究も、学部時代に講義等で出てきた内容をベースに考えたりする機会が多いため、大学院進学をする者にとって、大学の学部時代の勉強は侮れず、学部時代も将来の為に「必要な時間」であると結論づけて良いと思います。


大学生は時間がとにかくある

自分の人生を正当化したような形になってしまいましたが、私自身も学部時代を思い返してみれば、時間が有り余っていたというのは間違いないと思います。私の時代は学部時代にちょうど新型コロナが蔓延していたので、ある意味当然かもしれませんが、大学というのは高校と違い、平日のフルで授業が詰まっているわけでもなく、自分が自由に使える時間が多いです。勉強やバイトを頑張るにしても、それでも時間があるっていうパターンはけっこう多いと思います。

それでも人間、余った時間というのは無駄なことに使ってしまいがちです。私自身も、ヒマな時にYouTubeや映画を流し見するのが大好きです。自分の人生に役立つことではないかもしれないのは分かっていても、ついつい見てしまいます。

多くの大学生はそんな生活をしていそうですが、就活の際に後悔する人も少なくないと思います。
「あの時もっと●●しておけば良かった…」と
いわゆる「ガクチカ」がない状態。

ガクチカを作りたい

「ガクチカ」がすごい就活生って本当にすごいです。海外留学したり、会社を立ち上げてみたり、学生団体を頑張ってみたり、、、
ただ、個人的に「ガクチカ」って「何を頑張ったか」より、「自分が何にモチベーションを感じて頑張ったか」が大事な気がしています。理由は、ガクチカで頑張ったことの内容そのものを仕事にする訳ではないからです。もっとわかりやすく言うと、例えばただ海外留学するだけならお金と時間があれば誰でもできるけど、それでは人間的に全く意味がないということです。それよりも、固定観念を打破するためとか、コミュニケーション力を向上して仕事に活かす為とか、海外留学してそれに見合うだけのリターンがないと行った意味があまりありません。

でも昔の私を含め、多くの未熟な大学生にとって、もっと身近な所に学びはあると思います。バイトやサークルをしっかり責任を持って活動しているだけで、苦労や困難な経験を経て人間的・社会的に成長できるような気がします。

でもぶっちゃけバイトもテキトーにこなすことはできるし、サークルだって無理に参加する必要はないです。やりたいこと(家でゴロゴロとか?異性とデートとか?推し活とか?)やってれば4年の月日はすぐに経過します。

社会人になると、否が応でも責任と結果が求められるようになります。さらに平日コンスタントに8時間くらいの実働が要求されるわけですから、身体的にも疲労は溜まります。つらい苦しい中でも、仕事に食らいついて一人前の社会人になる人も多いと思います。私はここに違和感を感じています。

ゆる~い大学生活とキツい社会人生活のギャップがひどすぎる?

現代では世代の過半数が大学に行く時代になりつつあるため、「大学生になる」ハードルは下がっています。大学生にとって最低限求められることは卒業することだけであり、日本の大学は卒業要件が緩めであはるので、大学生活はゆる~い生活を送ることができます。

一方で社会人になると、ゆる~い生活は確約されていません。特に、大学時代に頑張った人こそホワイト企業の椅子を勝ち取っている印象すらあります。このゆる~い大学と、きつい社会人のギャップが大きすぎる印象があります。どうせ、社会人の最初の3年で仕事の実務の他に精神的にも厳しさをたたき込まれます。

じゃあ大学の4年って何だったんだろう、ってなります。私は、24歳にしてまだ学生ですが、18で社会に出て働く人を見ると偉いな、と純粋に思ってしまいます。教育は国の発展に大事ですが、日本の大学という教育機関は(勿論大学の中でも色々ありますが)、国の発展に寄与しているのか不安になることがありあす。

日本の学生よ、勉強しよう

そう考えると、勉強するってコストパフォーマンスが良いと思います。勿論、日本の中でも、経済的事情があって勉強したくてもできない人もいることは承知の上ですが、良い成績って基本的には高評価に繋がる。ほとんどの人間が勉強するという行為をイヤと感じているからこそ、とにかく1秒でも机に向かう時間を増やせば、周りを差を付けられるってお得じゃないですか。

割と今の40代50代くらいの人と話をすると、「昔もっと勉強しておけば良かった」という人が多いように思います。現代までの典型的な、「勉強すればするほど偉い」的な価値観です。他方、現代の若者たちは案外そんな価値観を持っていないような気がしてならないのです。

かつて、東大生の就職先は圧倒的に官僚が多かったと言います。素人目ですが、霞ヶ関の官僚は、激務激務に次ぐ激務。それでも日本の中枢にはそういったブレインがいたわけです。ところが2020年代以降、東大生や京大生など、日本トップの頭脳を持つ人達の就職先は変化しているように思えます。

現代の高学歴新卒就活はコンサル、不動産、次点で商社あたりが来るようなイメージがあります。これらの業界の共通点には、「圧倒的高年収」というのがありますが、特にコンサルには「自らの市場価値」を上昇させることができる、という志望動機も少なくないです。ここから、日本の大学生・大学院生が勉学を諦めた理由がありそうです。


日本の学生が勉強しなくなったのは、国が原因

大学生、大学院生が人生の次のステップとして踏むのは社会人です。つまり、の経済力に頼らず、何なら配偶者や子を養う必要性が出てくる。現代日本ではそんなお金がかかる社会人を生き抜くために、「高年収」そして不足の自体に備えて、「自らの市場価値の向上」が重視されています。こういう先見の明的な選択をできるのは、流石東大生といったところでしょうか。

何が言いたいかというと、キャリアを選ぶ理由が現実的というか、自分の生活を守るため、みたいな感じになっています。まあ無理もない、これまで並々ならぬ努力で勉強してきた優秀な学生は、豊かな生活をして、今まで頑張った恩恵を受けたいと考えるのは当然です。昔だと、それはある程度自分の「やりたい仕事」をしながらでも十分な生活ができる見込みがあったのですが、ここ最近の日本の経済的動向から考えると、そうも言ってられないな、というわけです。


刹那的な仕事が台頭する時代が来ている

上の東大生たちのように、もともと高い頭脳で評価される学生たちは、コンサルで稼ぎながら、自己投資するという賢い時間の使い方ができそうですが、それができるのは一握りの人間です。それ以外の凡人はどうすれば良いでしょうか。

凡人の価値観は、先行きが不透明なのに、未来に花咲くかもしれないと信じて若い時間を犠牲にするのが、馬鹿らしいというのに落ち着きそうです。そして、そういった価値観の行き着く先は、若い間に稼げるなら稼いでしまえ、後のことは後になってから考えようというものです。

FIREという言葉が流行っているのだって、インフルエンサーがやたら増えたのだって、女性が歌舞伎町で立ちんぼしているのだって、深く考えればそういう価値観があるのではないかと思ってしまいます。「だって、何時間も我慢して勉強しても、そんなに年収増えないんだよ!?こっちの方が稼げるよ!人生その方が楽じゃん!」ってコトです。冒頭で出した言葉を借りるなら、現代日本では教育に対する「コストパフォーマンス」が悪化していると言えます。


刹那の対極にあるのがアカデミアの仕事

ここで、話をアカデミアに移します。私も現在大学院生ですが、博士に行くと言う人は、ハッキリ言って私の周りでは「珍しい人」扱いです。私自身も博士後期課程への進学はあまり考えていませんでした。なぜか、最大の理由は金銭面だと思います。年齢が年齢だし、経済的に自立したいという思いが強かったことがあります(奨学金など勿論ありますが、それなりに狭き門になります)。

でもアカデミアにいる人っていつ成功するか分からない人生で、しかもそれが訪れるのがすごく遅い。50代とか60代になって大きな成功体験をしたっていう研究者などもいくらでもいそうです。さらに、国の成長という面で語るなら、技術開発もとい産業の源になる研究者ってなくてはならないし、ハッキリ言って国力に直結するといっても過言ではない存在です。勿論時間はかかりますが、じわじわっと色々な人の生活に役立っていくというのが研究のやりがいといったところでしょうか。

対して、いわゆるエンターテイメント業界はどうでしょうか。エンターテイメントって多くの人が面白いと思うことによって、そこに価値が生じます。でもこの面白いって感情はすごく難しいですね。YouTuberは莫大な収益を得られることが今では広く知られていますが、オワコンという言葉ある通り、人気を長続きさせることが非常に難しいコンテンツだと思います。常に人々が見たいものを創りつづけるってすごく難しい。

最後に 勉強が役立つ社会になって欲しいな

本当にこれにつきます。私自身は勉強すること自体が好きなので、「勉強頑張ったのに報われない社会ゴミ」みたいな感情は特に無いですが、どちらかというと、学生という肩書きでありながら全く学ばない人の方が見ていてやきもきします。みんなが切磋琢磨して勉強し、それが豊かさになって返ってくる社会にもっと成って欲しいなと思うばかりです。






いいなと思ったら応援しよう!