ストリートフォトはラップ音楽なのか?
私のあまり理解できない写真がストリートフォトだ。
代表は須田一政さん、森山大道さん辺りだ。
私はこの辺りの写真を理解できない。
なぜなら、美しくなく、内容もそれほどあるようには見えないからだ。
(と書きつつ、実は私がイメージしていたのは、もっと雑然とした街中でのスナップであり、探したが見つからなかった。思っていたよりストリートフォトは内容のあるものが多いようだ。私のストリートフォトの定義が偏っていたのかもしれないと感じつつも、最初に思ったストーリーで書き進めることとする)
私が写真に求めるものは、
・美しさ
・内容、意味合い
であり、どちらも持ち合わせているようには思えない写真に価値を感じることができない。
単に私が鈍くて、その中に意味を見出せていないだけかもしれないが。(これが正解?)
私の娘の保育園時代の父親仲間に、サラリーマンカメラマンがいる。
大西正さんだ。
海外のコンテストに応募して評価され、活躍されているようだ。
彼のFacebookへの投稿から何枚かご紹介する。
彼が写真を始めたばかりの頃は、きっちりと構成したセンスのいい美しい写真を撮っていて、よく私に感想やアドバイスを求めてきたものだった。一緒に地元の美術展に作品を出品したこともあった。そのセンスは素晴らしかったので、そのような、構成のしっかりとした写真を作る力は充分にお持ちの方だ。
それがいつの間にか、ストリートフォトに魅力を感じたのか、そちらの世界に軸足を移して長い。
ふと感じた。
もしかすると、「美しい写真、意味のある写真が飽和しているのを見て、別のジャンルに活路を見出したのではないだろうか?」と。
それはちょうど、1960年代にビートルズから始まったロックが、ハードロック、プログレッシブロック、ヘビーメタル、AOR(大人向けロック)、パンクロックなどを経て1980年代にはメロディーを出し尽くしたと感じたのか、メロディーを放棄したかのようなラップ音楽が流行り出した。
かつて、絵画の置き換えから出発した写真が、その立ち位置から脱皮しようとする一つの動きなのかもしれない、などと思った。
ストリートフォトを撮られている方から、この辺りの感覚を一度お聞きしたいと思う。
「なぜストリートフォトなのか?」。