魔法使いの夜

しなければならないことに圧壊された精神の瓦礫は社会から見ると何の価値もないのです。ということが、就活を通して知っていく中、いつまで経っても本気でやりましょうとならない理由になっているなら、包摂されない私の今が、未来に与える影響はどれくらい?

死が複数あること。社会的な死、動物的な死、文学的な死。これらの複合的な作用によって、人間が死ぬ。

社会的な死は、いうまでもなく、関係的な死によってもたらされる。社会は自己を含んだ環境そのものであるとする。関係から断絶され、社会から排除され、本来のありたいというものからのEntfremdungが、自己実現も、あるいは自尊感情といったものをも、根底から破壊し尽くす。

動物的な死は、すごく単純だ。病死、縊死の類全て。生物的・動物的機能の欠如、性欲にしろ何にしろ、多機能不全の兆候によって、動物的な死骸になる。個体の生死の状態ではなく、もっとその現状らしさによっても動物的な死となる。売春や買春は、動物的な死であるといって良い。一塊のこの心象は、当人がどう思おうと、重みを持った、自意識を逸した死骸に過ぎない。

文学的な死は、展望の喪失が、上記2つの死の差し迫る中でより強烈に直覚された時、やってきてしまう。人間の一生のうち、これを感じて社会的ないし、動物的に経験する人は、ごく少数しかいない。いずれにしろ、この文学的な死は、紛れもなく、その当人にとっての生涯に瀰漫するのは何か「敗北」というStigmaの臭いだけだ。

慰められたくない。
慰められたい。
報われたくない。
報われたい。


ずっと続いた、メラトニン特有の悪夢じゃなくて
何だかとっても、幸せそうな夢を見たよ。
だから一層、地獄的だった。

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