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一遍上人をたずねて②
一遍上人の踊り念仏とは、一体どんなものであったのだろう?私の興味は、その一点に絞られた。
色々調べていると、湘南工科大学の長澤可也という教授が面白い報告書を出しておられた。一遍聖絵を元に踊りの順番を3DのCGで復元するというもので、聖絵は踊りの手順が記されたものではないかということであった。非常に興味深い。
しかし、私にはどことなく言葉にできない違和感があった。一遍聖絵は、一遍上人が亡くなってから10年後に完成した絵巻である。弟子であり弟とも甥とも言われている聖戒が指揮し、円伊という画僧によって描かれた。
この時にはすでに時宗教団も一遍上人の後継者とされる真教上人によって組織化されており、のちに正式な時宗教団として成立することになる。もし、踊りの手順などがあるのであれば、こちらにそれが伝承されていて然るべきなのではないだろうか。しかし、時宗教団には、今日に至るまで一遍上人が踊っていたとする踊り念仏については伝わっていない。
聖絵について少し触れたい。この絵巻には色々な見解があるが、聖戒の指揮であったことはほぼ間違いないようである。円伊という画僧によって描かれたとのことであったが、実際には絵によって絵の癖が違うことなどから、円伊をリーダーとした複数人のグループの制作だったということもわかっている。
鎌倉時代、こういったものを制作するにあたり、グループによって行われることは珍しいことではなく、例えば、東大寺の南大門金剛力士像も運慶を監督とする仏師集団によって制作が行われている。
この絵巻の不思議さは、一遍上人の生涯を描いたものではなく、一遍上人を中心として当時の寺院や町の様子が細かく描かれている点にある。わざわざそんなものに踊りの手順を差し込むであろうか。
絵巻の手法として異時同図法と呼ばれるものがあり、その手法によって踊りの順番が描かれているという可能性はある。とは言え、はたしてそうであろうか。
ただ、私は長澤教授を批判しているわけではない。少なくとも絵巻に描かれた動きをCGによって立体的に再現することは、一遍上人の踊り念仏を理解する上での重要な手がかりであり、平面だけでは気付けないこともある点で、真に迫った非常に意味も意義もある重要な研究であることは間違いない。
しかしながら、素直に納得できない私は、私なりに一遍上人の踊り念仏の実態についての探究を進めるのであった。