和知浄瑠璃。京都府船井郡。グーグルマップをゆく㉝
グールグマップ上を適当にタップし、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は、京都府船井郡。
京都府船井郡に和知というところがあり、鎌倉期は京都市左京区にある仁和寺の荘園・和智荘であった。室町期の終わりには九条家領に変わっており、九条家に年貢を納めている。
中世の荘園にはよくら見られることだが、何かしらの条件の中で領地の交換が行われたのだろう。詳細はよくわからない。
江戸期には園部藩となり、和知という字があてられる。和知に大迫村という村があり、ここから和知浄瑠璃なる芸能が勃興する。村人の稲刈り後の楽しみとして始まったのが起源とされるが、それ以上のことはわからない。
同じくこの地域は、小畑万歳という芸能が伝わっており、こちらは江戸期より、毎年正月に現在の兵庫県あたりから来た3人が各戸を回って玄関で万歳を披露したといわれている。愛知県に伝われる三河万歳も同じような起源であることから、和知浄瑠璃も流れの旅芸人がこの地にやってきて伝えたのかもしれない。
淡路島の淡路人形浄瑠璃は、室町時代末に西宮神社に仕えていた百太夫という人形遣いの傀儡師が、地元の人に人形操りの技を伝えたと言われており、和知浄瑠璃もひょっとすると同じ傀儡子がやってきて伝えたのではないか?という妄想がふいに浮かんだ。
傀儡子は平安期に現れる。箱を首にかけ、それを舞台にして人形に流行歌を歌わせながら物語語った。そうした集団の中から「夷舞」(えびすまわし)という集団が形成され、西宮神社を本拠地とした。それが浄瑠璃と結びついたと言われている。
西宮から和知というと、大阪の能勢町もしくは兵庫県の丹波篠山を抜ければすぐである。淡路島方向と真逆とも言える方向である。西宮神社の百太夫があちこちを行脚して人形劇を披露していたものが淡路浄瑠璃と同じく和知に伝わったしても不思議ではない。
山を越えて見知らぬ村に入ると、初めは不審な目で見られたに違いない。箱などから人形を出し、太鼓や三味線などで音を奏でると次々と村人が集まってくる。中には幻術のようなものだと思った者もいたかもしれない。
しかし、浄瑠璃の開始とともに村人の心は一瞬にして掴まれ、その物語の中に引き込まれたことだろう。お菓子などの村では食べたことのないようなもの売るなりしたかもしれない。とにかく、村人にとって楽しいい時間であったことは間違いない。