夢を喰うメスライオン 2
数日後、メッセンジャーの通知音が響いた。
Kさんからのメッセージだ。
「どこかでお茶しませんか」
おお、いよいよ本題か?
宗教か? それともマルチ商法か?
どちらにせよ、私が求めているのは
カフェラテでもエスプレッソでもない。
勿論、「あなたの心を浄化します」でも、
「このビジネスチャンスは人生を変えます」でもない。どちらも断固としてお断りだ。
しかし、タヌキは好奇心旺盛な動物だ。
何事も観察が大事。タヌキとしては、まず
相手の手札をじっくり見ることにした。
暫くするとkさんから再びメッセージが。
「その時間、都合が悪くなったので、
マサゴさんの家に行ってもいいですか?
最近改装されたお店を見せてもらいたいな
と、思っていて❤️」
家に来る?
おいおい、なんだこの唐突な展開は。
タヌキの家は狸穴(まみあな)。
そこにライオンを引き入れるなんて、
油断も隙もない話だ。とはいえ、観察を
続けるために承諾した。
ところが次に飛び込んできたのは、
更なる奇妙な一文。
「私がお世話になっている先輩も
一緒に行っていいですか?」
ん? 先輩? 誰それ。
なぜ私の家に、謎の先輩を連れ込もうと
するのか? 突然、私の中のタヌキが立ち
上がった。「さすがにこれは怪しすぎる。」と。そこで私は、ついに腹をくくった。
「Kさんが来るのは良いですが、会ったこともない人が家に来るのは嫌です。
ハッキリ聞きますね。宗教の勧誘ですか?
マルチ商法ですか?」
返事はあっさりしていた。
「MLMです」
MLM。聞いたことがある。
昨今この業界の人たちは自分たちの商法を
「マルチ」と呼ばれるのを嫌がり、横文字でカッコよく包んだ略称を使う。
MLM。
ミラクル・ライオン・マーケット
の略だとでも思えばいい。
私は頭の上に葉っぱを乗せて
全力でタヌキの術を繰り出した。
「そういう話でしたら、来ないでほしいの
ですが。やりたくないし、話も聞きたく
ないので。」
一瞬の沈黙。
画面越しでも分かる、彼女の動揺。
そして、しばらくして届いたメッセージが
これだ。
「やりたくない理由を教えてもらっても良いですか?」。
理由だと? 理由なんてものは、
タヌキの世界では必要ない。
「なんとなく」とか「面倒くさい」とか、
それで十分だ。私はそのまま書き送った。
「面倒くさいです」
これ以上ないシンプルさ。そして、締めの言葉はこうだ。「仕事の面でこれからもKさんと仲良く出来たら有り難いです❤️」。
私としては、ほぼ大人の対応だったと
思っている。Kさんからは「わかりました」という短い返事が届いた。Kさんが家に来ることはなかった。ライオンとの戦いは
終わったかのように見えたが、実は戦場は
続いている。
仕事関係の集まりで、たまにKさんと顔を
合わせる。そのたびに、私はタヌキの術を
磨き直すことを忘れない。
Kさんと目が合うと、彼女の瞳が微妙に泳ぐのが分かる。あのメスライオンの強気な
表情に、一瞬の曇りが生じる。そのたびに
私は心の中でこう呟くのだ。
「タヌキ、今日も勝利」
それにしても、夢を問うことが、こんなにもエネルギーを吸い取る行為だとは知らな
かった。MLMの人たちは「夢」という言葉を手札にし、他人の心にスルッと入り込んで
くる。でも、夢って、本来はそんなに面倒くさいものじゃないはずだ。
私の夢? それはタヌキのままでいること。
適当に生きて、適当に逃げて、適当に笑い、
のんびり暮らす。
そして、自分の巣穴に容易に他の動物を
招き入れない。
それで十分だ。