動物占いという、自己発見のジャングルへ 2

数年前、SNSを開くと、知り合いの女性が
やたらと「私、黒ヒョウなのよね」と
連呼していた。どうやら彼女は、自分の中に
潜む“猛獣”を見つけ出したらしい。
だが、私は知っている。この黒ヒョウは、
実際にはスーパーのレジ袋に溜まった湿ったキャベツのような存在感の人間だ。
現実では、威嚇も狩りもせず、どちらかと
言えばテーブルの隅っこで静かにサラダを
よそっているタイプの人間だ。
それが、診断ツールひとつで“
黒ヒョウ”になるなんて。

一方、私といえば
“磨き抜かれたタヌキ”である。
磨き抜かれて、ピッカピカの毛並み。
まるで宝石かトロフィーのような響きが
あるが、現実には道端でチョロっと走り去る地味な存在。だけど、タヌキには変身能力がある。そう考えれば、“黒ヒョウ”より
よっぽどクリエイティブな可能性が広がっているではないか。
私のタヌキは、ヒョウ柄のスカーフを
巻くこともできるし、なんなら黒ヒョウに
化けて「ほら、私も黒ヒョウ」とカフェで
うそぶくこともできる。

そして、問題はこの診断に「資格」が
ついてくる点だ。なんとこの個性診断、
三段階の資格制度があるらしい。
初級、中級、上級。

初級資格を取ると、自分がタヌキであることを堂々と主張できる。
中級に進むと、友人家族に「あんたはゾウだ」「お前はペガサスだ」と判断を下す権利が
与えられる。
上級者ともなれば、企業コンサルの場で
「あなたの会社はチーター型経営です」とか言い放ち、プロっぽい顔でパワポを使うことが許される。

資格三段階…これは個性診断という名のアレではなかろうか?
いや、正確には“動物講”か。

仕事関係の人からグループラインで
誘われた。〇〇個性心理学。
「あれ?これ動物占いじゃない?」
"学"ってやっかいな言葉だね。

人間はいつだってラベルを欲しがる。

動物占いはその欲望を巧みに利用している。「私は〇〇型だから」「私は〇〇動物だから」と言い訳し、あるいは自慢し、都合よく
他人や自分を分類して、気持ちよくなりたいだけなのだ。もちろん、黒ヒョウの彼女がSNSで自分を愛でるのも自由だし、私が
タヌキの名を冠してこの世をコロコロと
転がるのも自由である。
ただ一つだけ言えることは、どんな資格を
取ろうが、どんな動物であろうが、
日々の暮らしは変わらないということだ。
黒ヒョウもスーパーのセールには弱いし、
タヌキも冬の電気毛布には勝てない。
それが個性だとすれば、なんとも愛おしい
生き物たちではないか。
動物占いを使うのなら、自分の動物に誇りを持って使いたい。

磨き抜かれたタヌキには、黒ヒョウ以上の
輝きがあると信じてやまない。

磨き抜かれたタヌキ。
響きは嫌いじゃなかったりする。

いいなと思ったら応援しよう!