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グレてもよかった?

ななめてんぱ は、今日もそれなりに元気です。
もうすぐ夕陽の時間になっちゃうけど。
今朝は少し寒いくらいの風が窓から入ってきて、
カーテンという武器を手に入れ、立て掛けてあったキーボードを2度も薙ぎ倒し、お気に入りの雑貨と私の眠気を一瞬で吹き飛ばしてくれました。

しかし、エアコンなしで過ごせる季節は気持ちがいいですね。夏を越えると何か一仕事終えたような気持ちになるし、これからハロウィンやクリスマスだと思うと、なんとも言えないゾクゾクとした楽しみな気持ちに包まれます。
学校はお休みで、子供2人とても暇そうに過ごしているので、このnotoが書き終わったら近くを少し散歩しようと思っています。

私はね、最近までずっと思っていたのです。
子供がグレるには、誰もが
「ああ、それは仕方ないのかもしれない。」
と、言うような理由があって、
私にはそれがないから、グレちゃいけないんだ。って。
自分からこの世を去っちゃいけないんだ。って。
普通の家庭で、両親も兄弟もいて、普通に生活できているから、私にはグレる資格がないとまで思っていました。
だから、たくさん我慢しました。

新しい時代がきて、会社や学校でのパワハラやいじめ、運動部などで度々起こる暴言や体罰などがニュースで取り上げられ、現代の先生や部活の顧問はもう簡単には手も口も出せないような時代になってきて、そうしたニュースを見ているうちに、何か洗脳が解けたような感覚になりました。

これだ。
これにずっと苦しめられてたんだ。

小学校の担任の先生からのセクハラ、
中学、高校の部活の顧問からの暴言と体罰。
大人を信じてたから、自分がダメなんだと思ってた。
だから、誰にも言えなかった。
部活のみんな、朝は暗い顔、帰りはたぶん1日で1番明るい顔をしてた。
夜になると明日のことを考えて、不安で怖くて、行きたくないけど行かないといけない。
どうやったら休めるか、そればかり考えて。
また朝、ここへ来てしまったという顔で、みんな挨拶をしてた。私もそう。
大人は子供を良い方へ導こうとしてくれる存在だと信じてたから、
誰かに相談する選択肢すら頭に浮かばなかった。

自分が大人になるにつれて、薄々わかっていたけれど、大人は別に、みんながみんなそういうのではない。
私も、子供の頃に想像してた40歳にはなれていないし、
想像してた母親にもなれていない。
でも、守りたいと思う。

「これは、おかしい。」と、言えるようになってほしい。自分を大切にして、誰かを守ってあげられるような人になってほしい。

暴言も体罰も当たり前の世界にいた私は、親に守ってほしいとも言えなかった。

子供は我慢する。
真っ直ぐな心でじっと我慢する。

だから私はコソコソと子供の学校の先生をチェックする。
子供のミニバスのコーチをチェックする。
子供に、今日は先生とどうだった?
お友達とどうだった?
コーチはどんな感じだった?

と、毎日聞く。

うざったいかな?

散歩に行ってきます!


ななめてんぱ




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