「考えない」って難しい。
団地の4階、何も考えない時間を作ろうと、カフェラテを持ってベランダに出てみたけど、結局こうやってnoteを書いてる。
何も考えないつもりでいたのに、何も考えないということを考えていたらnoteを書くことになっている、、、
お母さんになってから、自分のこと以外の、とくに家族のことばかり考えていて、恥ずかしながらそれは大半がご飯のこと。
仕事をしていようがいまいが、ご飯のことばかり考えている気がする。
この時間がもし、ごっそり無くなった時は、あまり良いことがあった時ではないだろうから、これは考え続けられることが幸せなことだと思う。
このnoteを始めてから、よりいっそう私の脳はフル回転していて、
大したことは書けないけれど、フル回転しているのはわかる。
明らかに、ご飯の事だけを考えているわけではなくなった。
いろいろなことを感じとろうとする日々にも少し充実感がある。
若い頃の夢は作詞家だった。
その頃はいつも何か考えていて、
その頃にとても似てる。
でも、違うのは、その頃の目標は明確で、ちゃんと夢をみてた。
若い頃はそれなりに苦しいこともあったけど、未来が多いのはやっぱり羨ましい。
「若い」と、いうだけで選択肢も可能性も広がるし、期待もされる。
許されることも多い。
歳を重ねるとそれが一気に減ると同時に、もっとしっかりとしなければいけなくなる。
笑ってごまかせる年齢はとうに過ぎた。
それでも私は笑ってその場をしのいでしまう癖が抜けないのが悩みで、
日々痛感するのは、もっともっと挑戦して経験すればよかったということ。
そうすれば貫禄も言葉の重みも、もう少しはあっただろうに。
notoにも、もっとマシな文章が書けたのかな、、、と、思う。
また、こうやってなんだかんだと、考えていることに気づく。
やめよう、やめよう。
ななめてんぱ