気づこうとするとか、
こんにちは、ななめてんぱです。
オノ・ヨーコさんのグレープフルーツジュースという書籍を中古で買って読んでみました。
気になった書籍や絵本を、Amazonで中古で買うことが多いです。
新しいものが届くよりも、誰かが手放したものを受け取るほうが好き。
絵本ももちろん自分用。子供たちとはもう、絵本の趣味が合わないので。
このグレープフルーツジュースという書籍は、
「読む」よりも、「感じる」が、正しいのでしょうか。
昨日と今日とではまた感じ方が違うから、答えも変わります。
そのページを開くその時が、その時の答えだと言うことでしょうか。
団地の4階からの景色は素晴らしいものではないけれど、太陽と生きるには丁度良い距離です。
外からは、車のドアを閉める音、走り出す音。
子供たちが遊んでる。
男の子の奇声と女の子の笑い声。
バイクがやってきたと思ったら、またすぐに行ってしまった。
遠くで誰かがボールをついてる。
鳥が草木を揺らしてる。
飛行機の音。
あそこに人が大勢乗っているんだと思うと、魔法のようだなといつも思う。
なんともない、いつもの音に薄い膜がかかる。
耳を塞いだわけではないのに、この本を読んでいる間、ずっとそんな感覚になるのはなぜでしょうか。
耳掃除は割とやっています。
得意ではないけれど。
本を開くと時が止まる。
胸がグッと押されるのです。
私には大した想像力はないけれど、何かすごいものにでもなれるような気がするし、逆に何にもなれないことを覚悟したような感覚にもなります。
何かになろうとすることを、そろそろやめようかな。
でも、憧れるって大切ですよね。
目標があったほうが今はまだ楽です。
だって誰かと生きていくのなら、自然体で生きることは、私にはとても難しい。
どのように生きていたいですか?
どのように存在していたいですか?
なぜ生まれたのか考えたことは?
ある程度、歳を重ねていて、なんだか後悔もしていて、でも意外と諦めていない誰かと、そんな話をしたいなと思いました。
今日も、いい天気。
読んで頂きありがとうございます。