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被昇天聖伝 -Assumptio-

主の母マリアが「神の母」であり、キリストはマリアから、神の備えられた体を通して降誕してくださったことを私たちは信じている。

"ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。「あなたは、いけにえやささげ物をお求めにならないで、わたしに、からだを備えてくださいました。"

ヘブル人への手紙 10章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神の母聖マリアはキリストの受肉において福音の一端を担って、キリストの公生涯と十字架の死と埋葬、使徒ヨハネにその身を託されたことを経験した。

"イエスの十字架のそばには、イエスの母とその姉妹、そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリアが立っていた。
イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。
それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。"

ヨハネの福音書 19章25~27節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

そして死者の内からの復活と空の墓における出会いを通じて、キリストの昇天による別れの後、主の約束である聖霊降臨を待ち望んで使徒たちと一緒に祈っていたのである。

"彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。"

使徒の働き 1章14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ここまでで、主の母マリアに関して諸教会間は一致するはずであるが、逆説的に、ここからが諸教会間の不一致を生じさせてしまう岐路となっている。その岐路をキリスト教会における一致の根拠とするか、それとも多様性の根拠とするかは私たち次第である。

さて、聖霊降臨後、主の母マリアの名前は聖書から消え去る。厳密には主が派遣されたことを強調するために、使徒パウロの書簡に「女」(γυνη、ギニ)として書かれている。

"しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。"

ガラテヤ人への手紙 4章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ヨハネの黙示録でも比喩的に、即ち、教会の母としてマリアは再登場する。

"また、大きなしるしが天に現れた。一人の女が太陽をまとい、月を足の下にし、頭に十二の星の冠をかぶっていた。
女は身ごもっていて、子を産む痛みと苦しみのために、叫び声をあげていた。"

ヨハネの黙示録 12章1~2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

しかしながら、歴史的には聖書からマリアに関する記述は途絶えることになる。ということは聖書解釈的に、そこからの足跡を辿るかどうかは自由と考えて良いことになる。

諸伝承と数々の文書資料によれば、キリストの昇天後、マリアはなお24年間生きていたらしい。処女懐胎は彼女が14歳の時で、15歳で出産して、それから33年間を御子と一緒に暮らしたとされる。

"イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。"

ルカの福音書 3章23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

キリストの公生涯における宣教期間が3年であることは、ヨハネの福音書の以下の箇所で確定されている。

⑴ユダヤ人の過越の祭り。

"さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。"

ヨハネの福音書 2章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

⑵ユダヤ人の祭りである過越。

"ユダヤ人の祭りである過越が近づいていた。"

ヨハネの福音書 6章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

⑶過越の祭り。

"さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。"

ヨハネの福音書 13章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

キリストが亡くなられた後、マリアは24年生きていたと言われており、彼女が亡くなったのは72歳の時だと伝えられている。

その際、主によって十二使徒たちが集められて、主はマリアに対して詩篇45篇によって語られた。

"そうすれば王はあなたの美しさを慕うだろう。彼こそあなたの主。彼の前にひれ伏せ。"

詩篇 45篇11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

マリアはルカの福音書1章48-49節を歌いながら「痛みも苦しみもなく」帰天したのである。

"この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、"

ルカの福音書 1章48~49節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

主は使徒たちに「ヨシャファテの谷」(ヨエル書3章2節、12節、14節)に主の母の埋葬を命じた。

主がそう言われると、赤いばらと白い百合が聖母をとりまいた。
赤いばらは、殉教者たちであり、白い百合の花は、天使と乙女と証聖者たちの群れである。

ヤコブス・デ・ヴォラギネ著
『黄金伝説』
平凡社ライブラリー

ところで、「ヨシャファテの谷」「キデロンの谷」は同じである。

"彼はまた、アシェラ像を主の宮からエルサレム郊外のキデロンの谷に運び出し、それをキデロンの谷で焼いた。それを粉々に砕いて灰にし、その灰を共同墓地にまき散らした。"

列王記 第二 23章6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

だから、主がキデロンの谷の向こうに出て行かれた時、神の裁きを主が担って、キリストを信じる私たちが罪に定められることなくなるための十字架を示唆していることになる。

"これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。"

ヨハネの福音書 18章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

話を戻すが、マリアの帰天後の出来事とその後の被昇天について、使徒たちは何の報告も残していない。だから被昇天は、歴史的な真実というよりも、信仰的な真実が生み出した聖伝と言える。

当時、あえて「被昇天」(羅・Assumptio、承認、是認の意)とは言われず、「聖母の永眠」(睡眠、休息)などと呼ばれていただけである。だから、マリアの被昇天聖伝の以前に、聖母の永眠への信心が存在しており、8月15日を記念日としたのは、6世紀のローマ皇帝マウリキウスであった。故に、西ヨーロッパにおける聖母被昇天の聖伝は、7-8世紀頃に完成したと考えられる。

言うまでもなく、プロテスタントの諸教会は、被昇天聖伝を認めない。

しかしながら、キリストの昇天に続く、マリアの永眠と被昇天を私たちは、自分自身の救いの「型」として、被昇天の神秘を黙想しながら受容する。

被昇天のお恵みによって、人間の救いはマリアにおいて完成したことになります。
そして私たちすべては、このマリアとのつながりの中で、マリアをモデルにして救いに与かることになったのです。
この意味で、キリストのご昇天と、マリアの被昇天との間には深いつながりがあります。
救い主キリストにおいて、私たちの人間性は御父のもとに帰りました。いとも優れて救いに与かったマリアの被昇天によって、一キリスト者が人間性のすべての要素と共に、御父のもとに帰りました。
このあとは、キリスト者である私たちが、マリアをモデルとして、マリアの助けのもとで、キリストにつながり、御父の光栄に与かることだけが残されているだけです。
聖母の被昇天は、私たちにこの救いの完成の姿を明らかにしているのであり、これによってマリアは、私たちの救いの完成のための力強い代祷者となられたのであります。

被昇天の神秘は、私たちもまた、霊肉共に天に上げられるべく召されていることを教えるものであります。

松永久次郎著
『ロザリオの心』
聖母の騎士社

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