日子刺肩別命 姉は卑弥呼?弟は桃太郎?を祀る天佐自能和気神社
TOP写真 天佐自能和気神社
四国三郎こと吉野川
今日は徳島県にある式内社。
天佐自能和気神社(あまさじのわけ神社)
という式内社をご紹介します。
場所は徳島市不動東町。
吉野川にかかる四国三郎橋のすぐ近く。
鮎食川が吉野川と合流する辺りにあります。
余談ですが、
吉野川の別名を四国三郎といいます。
おそらく、手に負えない暴れ川を示す名前。
豊富な水量を持つ吉野川。
古代より多くの水害をもたらしてきた暴れ川。
そのおかげで、土地はよく肥え、
古代からたくさんの農産物を生産しています。
式内社 天佐自能和気神社
天佐自能和気神社。
元々の主祀神は
日子刺肩別命(ひこさしかたわけ)。
あまり聞いたことがない神様だと思います。
日子刺肩別命は第7代孝霊天皇の皇子。
姉には卑弥呼説もあるモモソヒメ。
巫女としての力を持ち、
大物主神の奥さんになったが、
大物主神のほんとの姿を見てビックリ。
陰部を箸のようなもので突いて亡くなります。
たしか大物主はヘビだったような。
弟には、桃太郎説のあるキビツヒコ。
と、古代神話の有名人を兄弟に持つ神様です。
天佐自能和気神社。
日子刺肩別命の他、母神様をお祀り。
その後、タカミムスビもお祀りしており、
それらを総称して天佐自能和気大神。
そう呼んでいるそうです。
吉野川流域の神社。
これまで多くが
洪水の被害を受け流されています。
タカミムスビをお祀りするのも、
おそらく、鮎食川上流にあった
タカミムスビを祀る高木権現が流され、
その祠を祀ったのではないか。
そんな説が有力です。
現在の社殿は鉄筋コンクリート。
木造ではありませんが、
広い敷地を持つ立派な神社です。
ご本殿の裏には、
石の祠が数多く並べられています。
どの神様をお祀りしているのか?
さっぱり分かりませんが、
元々の石祠に加え、
やはり上流から流されて来た祠を祀っている。
のでは?
そんな説もありました。
やはり阿波にはなにかある
なによりも私が凄いな~と思うこと。
欠史と言われる天皇の時代。
その時代を生きたと記紀に記されている神様。
このようにお祀りしている神社が多くある。
阿波の歴史に感心させられます。
日子刺肩別命。
私もそうですが、多くの日本人もまた、
その名を聞いたこともない筈。
そんな神様をお祀りしている式内社。
現代も存在していること。
天佐自能和気神社だけでなく、
徳島県には、記紀に記されてはいるけど、
他の地では珍しい神様を祀る神社が多数。
延喜式神名帳。
書かれた時代。
その前の時代は分かりませんが、
その時、確実にそこに存在していた。
延喜式神名帳の記録。
神社の歴史を知るうえで、
かなり信憑性の高い資料です。
崇神天皇の四道平定がポイント
また日子刺肩別命の兄弟神。
卑弥呼説のももそひめ。
桃太郎説のキビツヒコ。
これも凄い話です。
ただ、ここで浮かぶ疑問。
ももそひめは奈良。
箸墓古墳の主説があり、
キビツヒコは
岡山のキビツヒコ神社で祀られている。
そして日子刺肩別命は徳島に。
この位置関係をどう捉えるか。
ここも古代への妄想を膨らませるポイント。
大和朝廷が北陸、東海、西道、丹波を
平定するために派遣した4人の 将軍。
その一人がキビツヒコ。
なぜか、平定するための四道には、
四国は入っていない。
よ、いうことは、
既に四国は平定する必要がない国であった。
か、
都が四国であった?
など、いろいろ推理が膨らみます。
そもそもの先入観。
奈良に都があった。
そう信じ込んでいるから、
行く先が大きくずれる。
なんてことも考えられます。
奈良に都が遷る前、
倭王権の中心地。
私は、阿波、淡路、紀州。
海を中心としたエリアではないかな?
そう思っています。
あくまで個人的趣味の域ですけど。
支配地を広げるために遠征する。
遠くへ行くのに歩くか?
やはり船を使ったでしょう。
そうすると、海人族が活躍するエリア。
そこが中心となるのではないか。
そうすると、阿波、淡路、紀州。
ここが倭王権の初期の勢力圏。
そう考えると、
辻褄が合うことが多い気がするのは
私だけでしょうか?(笑)
最後に、日子刺肩別命。
一大海人族であった海部氏の祖。
海直(あまのあたい)の祖にあたるとか。
古代、重要な水路であった吉野川のほとり。
そこに立つ天佐自能和気神社。
近くには忌部氏の拠点であった大麻山。
日本最古の前方後円墳に式内社の数々。
事前に下調べして回られると、
とても楽しい発見があるとおもいますよ。
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