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国譲り交渉第二の使者 天若日子と大国主の娘 下照比売の悲しい結末

トップ写真 下照比売を祀る式内社 建比売神社(古烏神社)


ようやく桜が満開となりました


ここ数日で、かなり暖かくなったせいか、
桜が満開となりました。

週末の土日は天気も良く、
絶好のお花見日和となりましたね。
皆様はお花見行かれましたか。

徳島県佐那河内村 しだれ桜


しだれ桜と野菜売り 佐那河内村で会えますよ

私は、移動の車の中から、
自宅近くの桜並木に咲き誇る満開の桜。
楽しむことができました。

つい先日、
私が上野公園へ案内した外国人ゲスト。
上野公園はまだ早すぎて、
ソメイヨシノはほぼ開花してませんでしたが、

京都にて、満開の桜の元、
和服姿で撮影した写真。
SNSにて送られて来ました。

日本で楽しみにしていた桜。
観ることができたようです。
なぜか、ほっとひと安心。

このブログの裏事情


さて、このブログ。
主に、徳島の神社のお話。
中心に書いておりますが、

他には、旅で訪れた場所の話など、
まとまりなく書いております。

シナリオを決めて書いている訳ではなく、
書きたいと感じたことを書く。

また、神社や古代史のお話だと、
予備情報なく、
適当に書くことができないので、

書く際には、
参考とさせていただいた書籍を手元に、
間違ってないか?
確認しながら進めます。

出張などで、
重い荷物抱えて移動する時には、
書籍は自宅で留守番となることが多い。
よって、徳島の神社や古代史ネタではない時。

そんな日は、
出張なんだと思って許してください。(笑)

出張中の書き手 ジュネーブにて(笑)

不思議とつじつまが合う阿波説


前置きと言い訳はここまで。

古事記阿波説によると、
古事記上巻に書かれているお話。
現在の徳島を中心としたエリアで、
実際に起こった実話を元に書かれている。

高天原も九州ではなく徳島。
出雲も島根県ではなく徳島。

通説天孫降臨の地 宮崎 くしふる神社

このブログを初めて読まれた方には、
荒唐無稽なお話に思えるでしょう。

実は私も最初、
町おこしの一環で、
壮大な作り話をでっち上げやがった!
いくらなんでも、
やり過ぎの言いすぎちゃう?
そう思ってました。

実際、徳島県民でない私が、
なぜか徳島に導かれたか飛ばされた。
どちらか分かりませんが、
3つの土地と、ご縁をいただきました。

元々、神社好きの古代史好き。
徳島の神社を巡っているうちに、
荒唐無稽のでっち上げ。
にしては、出来過ぎたお話。

通説の高天原(九州)や
出雲(島根)では、
つじつまが合わない部分。
阿波説に当てはめると、
不思議と、つじつまがあってしまうのです。

例えば古事記に書かれる出雲。
実話なら、
大国主他、出雲族の神々の痕跡が、
古くから記録されているはず。

島根 出雲大社

古い記録と、
現在に残る神社に祀られる神様。
多く一致する場所。
私が知る限り、徳島にしかない。

今のところですよ・・・

国譲り交渉失敗編もありました


下照比売(しもてるひめ)。
大国主命の娘さんです。

古事記の中の国譲りのお話。

一番最初、高天原から送られた使者。
天照大御神の二子である、
アメノホヒノカミが送られました。
しかし、アメノホヒノカミは、
大国主の家来となってしまい、
三年経っても帰って来ず。

続いての使者が、アメノワカヒコ。
アメノワカヒコは、
大国主の娘である
下照比売と結婚してしまいます。
八年経っても帰らず。

おそらく幸せに暮らしていたのでしょう。
そんな折、アメノワカヒコは、
高天原の返し矢に当たって死んでしまいます。

返し矢については割愛。
調べてみてください。面白いので。

夫が死んでしまった下照比売。
悲しみに暮れ、泣き続けます。
下照比売の鳴き声は、
遠く離れた高天原にも届きました。

阿波説 高天原にある 徳島県神山町 上一宮大粟神社

その声を聞いた、
アメノワカヒコのお父さん。
アマクニタマ神は、葦原中国へ行き、
アメノワカヒコの喪屋を建てて、
殯(かりもがり)を行ったとあります。
かりもがりとは、貴人の遺体を棺に治め、
仮に安置して祀る。
そんな意味です。

この一連のお話の節々に、
人情の機微というか、
複雑な心情が絡み合った情景。
浮かんできます。
なんとも言えない気持ちになりますね。

また高天原から送られた使者。
二人ともに何年たっても帰らない。
よほど、葦原中国は
住みやすい場所だったのでしょう。
今でいうと、
田舎から都会へ出た子どもが、
田舎に帰らず、都会に住み着く。 
そんな感じ?

建比売神社(現 古烏神社)

アメノワカヒコの奥さん。
大国主の娘。
下照比売をお祀りする式内社。
建比売神社。
現在の古烏神社がそれと比定されてます。

建比売神社由来
拝殿内 賽銭入れの隙間から 神紋からす?

場所は徳島県阿南市。
今は、境内の周りが住宅となり、
敷地はとても狭いです。

車を停める場所も近くにはなかったので、
長居は出来ず。
短時間の参拝となりました。

建比売神社から三キロ離れた地に建つ、
式内社である八鉾神社には、
父である大国主命がお祀りされている。
(八鉾神社については、以前書いてます。)


大国主を祀る八鉾神社 徳島県阿南市

式内社の記録から考えても、
現在に残る神社の位置関係から見ても、

古事記に書かれる出雲の本拠地。
いわゆる大国主の本拠地は、
現、徳島県阿南市を中心にするエリア。

そのように、
やまと研究会さんは書かれています。
私も、そんな気がします。

今ではすっかり、出雲は島根県。
立派な出雲大社がありますから、
国民の共通認識ですよね。

私も島根県の出雲大社は素晴らしい。
その事には、異論も否定もございません。

ですが、もし、
出雲阿波説。
高天原も阿波説。
通説からかけ離れた荒唐無稽なストーリー。

この目で見てやろう。
そんな変わった人がいらっしゃるなら、
是非、徳島県阿南市を訪れてみてください。

阿波説が事実かどうかはさておき、
目から鱗の発見がたくさんありますよ。

今日は久々に古事記阿波説の神社紹介でした。

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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。







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