毎日が日曜日?65歳までにしておきたいこと、65歳からしたいこと♯11

こうして私の「ハイブリッド年金生活」が始まった。健康であれば向こう5年は生活基盤は安泰だ。

あとは充実した「在職老齢年金受給者」の方だ。表面的には自分のやりたいこと、条件を満たしている。ただ会社の方は行ってみないとわからない。しかも生まれて初めての転職、同じ会社内での異動とはわけが違う。

社員30人の中小企業、これから始まる第二の人生の働き場所だ。今時、企業は規模だけでその価値は決まらない。スタートアップ、ベンチャーも規模で言えば中小企業、だが私が入った会社は創業50年を超える。

それでも前期は最高売り上げ、最高益を達成した。業種的には成熟産業そのもの、市場が急増することは期待できないが、プレーヤーが減って、ネガティブな寡占状態のため、仕事量に困ることがない。安定性、これも志望動機の一つだった。

入社初日を迎えた。二十日締めだから9月21日が初日?、結果「毎日が日曜日」を20日間堪能できて程よいインターバルにはなったが、人生の区切りとして10月1日スタートが良かったなあ…。

その日は社長が不在で初対面の取締役工場長を訪ねるように言われた。8時半始業、更衣室に案内され、まずは社服(作業服)に着替え、最初の仕事はラジオ体操、恒例の全員朝礼の後、最後に「今日から営業に入ったNさんです」パラパラと拍手…。

その後、別棟の本社、工場を案内されご挨拶、手土産は「鳩サブレ」50人分、別棟の本社用と二つに分けたが、金属の箱に入った50人分を持っての通勤は大変だった。食べ応えがあり、何しろ味が良い。これが最適と妻の勧めに従った。

狭い社内、施設の案内を入れて丁寧にあいさつしても10時の休憩までには終了、「このあとYさんと引継ぎしてください」とデスクに案内された。Yさんは申し訳なさそうに「私つなぎなんであまり引き継ぐことがないんです。」

聞けば私の前任者3か月前に退職しており、アシスタントを務めていた女性がこのy田さんだった。「引き継ぎ書は?」「私ももらっていません」結局、現在、製作中の注残の日程計画を渡されただけで、引継ぎは終わった。

翌日から、担当ユーザーから彼女宛のメールが容赦なく、転送されてきた。質問しても答えられないものは前任者のドロップボックスを見て、手掛かりを探してほしいと言われた。

そのあとは私を入れて三人しかいない、営業のリーダー格、年の頃、70に手が届くOさんから、手つかずの引き案件を渡された。見積の書式や、工数単価などこの会社特有のやり方を伝授され、案の定、そのまま私に丸投げされた。

その日の午前中には引継ぎは終わった。顧客へのあいさつ周りなどの計画は皆無だった。何しろレクチャーしてくれた二人もお客さんとはメールと電話だけのやり取りだけだったらしい。

中小企業をひとくくりは行けないが、ここは独立した個の集まりで、自分のことと前後工程とのかかわりしかないことが分かった。組織は工場長を頂点としたフラットの組織でしかない。その工場長もあくまでも製造の長で最もスキルフルな職人だった。

もとより、組織の力など期待していなかったが、初日から経験した業種でよかったと思いを強くした。「真の即戦力になろう!」強がって見せるしかない。新入社員と言っても65歳、しかも前職は同業の大手メーカーだ。

私のデスクは最上階と言っても3階で、私の前工程である設計と同居している。総勢5人はこの業界では充実している。もともとユーザーだったので何人か面識のある人もいて、実力もそこそこと認識していた。

驚いたのは年齢構成、人のことは言えないが、30代一人を除いて、60歳以上うち二人は70歳を超えてすでにフリーランス、私などまだまだ若手、中堅?

一番よく知っているIさん、直前まで私のことは知らされていなかったようだった。「Nさん、手が一杯だからあんまり、新しい仕事とらないでくださいね」のっけから出そうな杭を打たれてしまった。

そして長老のMさんからは一言「はじめまして、よろしく」、実は以前名刺交換して数回面談しているのだが…。とにかくチョイと不安になる初日となった。

ひとつよかったことは手土産の鳩サブレが効いた。すれ違う一人一人から「ありがとう」と言われたし、工場の人がお昼休みに私のデスクのある3階までわざわざごお礼に来てくれる人もいた。家族経営を味わう、これはこの日の最高の収穫だった。

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