大変な人生 変わらずみつめる大人☄

おとなになって、意見が変わったことのひとつに
ただ毎日を好きなように生きるのも大変だなということ

ほとんど意見は変わってないし この意見もいま限定で思ってるだけの
ことかもしれない
あと なにが大変でも虐待に関してはただの無責任だから話にはならない

だから大人を敬うようになったとか そんなことでもない
なにかを見守る、とか変えられない過去を引きずりながら前を向きながら生きて行くって 簡単ではないということだ

大人がかっこよく見えるのは 自分や他人を静かに見守ってるからだとおもう
今日だらだらと一人で過ごしていて思った

今日という一日がある
どこまで改善するべきだろう そもそも変えられるのだろうか

そこからはじまるのだ 満足や不満足を認知できなくては
それこそ 人生のスタート地点もわからない
スタートもわからず走り続けられる人はいない ( たぶん )

たとえば今日思ったことは さびしさをどう埋め合わせるべきか
という 改善企画
一応答えは さびしさは 別のさびしさで気がまぎれる
というものだ

前にも書いたように さびしさは消し去るべきではない 乗り越えるべきものでもない だからただ気を紛らわして いつでも やっほー と
声を掛け合える仲でいなくてはいけない

もう戻れない過去
もう戻りたくない過去 ( どんな希望に満ちた子ども時代もわたしはもう必要ない 不安定な未来を背負っている苦労は計り知れないから )
 そういうものを 思い出しては そのとき感じたさびしさと 今のさびしさを 天秤にかけたり かけなかったり

そうして 静かに 過去も未来も 見つめ合う

そんなおしゃれに生きて行きたいものですわ

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