遅れました 右翼っぽくなってごめん 日本人の向かう坂の上の雲
よかったよかった やっと書けました
読んでくれてる、あなた、ありがとう
パソコンがぶっ壊れてしまいまして いや、わたしのせいで無理をさせてしまいまして
液晶画面がばらばらになってしまいました
お待たせして申し訳ありません 謝りつつ、ダメージの大きいのはこちらのほうです
毎日ブログを書き、ベストセラーへの道は遠のくばかり
それでも、 落ち着いてください 哲学はどこへも行きません
むしろ、わたしの文をおちついて読む時間が増えるかもしれません
さて、 今回は 日本という国はどこから来て、どこへ行くのか についてです
言い忘れましたが、パソコンは一年ほどかけて買おうとおもいます
それまではネットカフェや、もうひとつの実家でパソコンをお借りしたくおもいます
1か月に一回、運が良ければ週に一回書けるかな 夏になると、生活体系も、 少し変わる予定なので、なにか変わるかもしれません
より質のいい、問題提起、哲学を提供しようとおもいます
よろしくおねがいします
日本という国はわたしが生まれてこの方、どこへ行くかが、定まっていない
そして、いま、日本は大きな転換期にある ( これは言ってみたかっただけ )
戦争で亡くなられた人、その家族、そしてそのあと復興を命がけでやってくれた世代
感謝はもちろんありつつも、 ではどうするのか、戦前の日本を見習うのか、戦後として新たに国を建てるのか
昨日、ささみとにんじんをゆでながら、考えていました
( あんまりゆでてもおいしくないね 料理がわかっていないので、しばらくこれで食いつなぎます ) 答えとして出したのは、死にたくないのに死んでいった人たちの、死に物狂いで出した死ぬ理由の代わりに、生きてるわたしは、生きる理由を考え尽くしたい、 ということだった
父上様、母上様、というきれいな言葉で 彩られた 死にに行く前の手紙には、簡単に浮かんでこない隠しきった意図や思いが そこにはあるとおもう
戦争は 男らしい 勇敢、誇り高きものとして 描かれることもあれば、
けがらわしい、悲しく、そして私欲に満ちたものとしても存在する
どちらも本当だけど、どちらもドラマチックすぎる
美化されたり、けなされたり、取り扱いが難しい
戦争はいつでも隣にいる おそろしい 平和は不断の努力によって、かろうじて生まれるものだ
戦勝国としてではなく 戦敗国として
戦争を通して日本がやろうとしていたことを 平和の中でやれるように
先祖の 先輩の 死を美化することなく、日本という国の外交を見守りたい
日本はどこから来たか その過去に平和や成功があろうとも、それでは戦争は止められなかったし、逆に言うと、今の平和もなかったかもしれない
アメリカではない、ヨーロッパではない、ロシアではない、中国ではない、世界のどこともちがう日本は日本の独自の生き方をしてほしいし、
国が滅ぶときは 日本にとっての独自の理由にのっとってほしい
世界中どこだって、戦争はしたくない 日本の向かう先は、平和に甘んずことではなく、他国に迎合し同化することでもなく、日本の生き方を、戦略を、追及することだ
家族や愛といった外来の概念に悩むのではなく ( 外来した言葉だとおもってる )、昔はよかった、と戦前の勇ましい日本を懐かしむのも止めて、 1人1人が、日本の戦略への可能性を持っている
生きる意味というのはそれだけで 十分だとも おもう