斉藤知事報道問題と活字プロレス
兵庫県の斎藤知事が選挙で当選され、その過程が話題となっている。SNSで挽回したとか、オールドメディアの敗北などが騒がれたが、真実は分からない。個人的にはあのテレビ報道姿勢はSNSの罵詈雑言より公共電波を使う分ひどいと思うが、真実は分からないので斎藤知事再選についてどうこうという話ではない。だが。
私は、心躍った。かつての活字プロレスのように今回の兵庫知事選挙は、新聞テレビとYouTubeなどが淡々と選挙結果を伝えるのではなく、週プロがファイトが好き勝手に試合の描写やその試合の選手感情を(勝手に)書くような感覚があった。一方はヒールに描き、一方はHEROに描いた。心情も含めて。同じ事象にこれほどちがう論評・描写があったのは近年でも珍しい。メディアは、媒体が売れるためにそのように頑張った、この点は過去の雑誌と同じだとは思う。そして、メンツやプライドである、最初にヒール認定している以上、彼の心や周辺をヒールに描かないといけない。ブル中野が本当は綺麗で常識人なのは、その時点ではリング上(ファンタジーとして)ではいらない情報なのだ。もう、その人の人物像がキャラクターとして造ってしまった以上は、ヒールターン、ベビーフェイスターンをするしかない。それが報道する側は勝手にはできない。その人がそうしてくれないといけないからだ。
同じ選挙を報道するメディアが、論調の違いから人々を動かした。良い悪い、そして真実は分からないが、私は心躍った。令和の時代にこのような事象があることに!私は、どっちが正しいではなく、テレビ新聞がつまらなかったから支持を受けなかったと思っている。①斎藤知事バッシング→→→→→→→→→ ②違う情報が出た→出た際に無視をした。本来は違う展開にもっていけたはずだ。つまり違う展開にもっていけていないことがつまらない本質だと気づいていない。報道姿勢?そんなものとっくに捨てているはずのテレビ局社長が「テレビは本当の事しか報道しません」と言っても賛同は得られない。本当の部分もある、しかし、切りとって報じている。そのことにみんな気づいている。そうであれば、開き直って視聴率のためにスポンサーの為に頑張って面白く報道する姿勢が最低限は必要ではないか。毎日同じ対戦カード、全日本プロレス 浅子覚対井上雅夫の対戦を昨日負けたから今日は勝つ、お前にだけは勝ってやると盛り上げる活字プロレスを知らないのか。どうして、想像力なく一辺倒なこたつ報道をするのか。コロナ禍でコロナだけ報道すれば良い時期におかしくなったのか、報道の意義以前に面白くないのである。
面白くない。これは致命的だ。結果として面白くない、表現が時代に追いついていない、様々あると思うが現実は「面白くないものを最初から作っている」ことに気づいていない。もしくは、「気づいているが直せない。」のどちらかだと思う。そこはYouTubeの方がでてくる情報に対して素早く報じた。つまり展開があった。活字プロレスのすごさは、その試合にはこのような背景があって、このような心情のもと闘っているのだと(勝手に)記すことにある。ああ、彼は三沢に憧れているから反則をするかしないか迷いながら勝負しているのか等、ある意味ワイドショーのコメンテーターも同じような仕事のはずなのだが、それぐらいの想像力でコメントいただければと思う。大衆が求めているものを提供できないから失っていくものがあるのではないか。最終的に、敵が増えたり色々あって活字プロレスは終焉し仕試合経過を報ずる普通の記事に媒体はなったことを申し添えるが、四天王プロレスと活字プロレスはもうみれないと思っていた自分にとっては、このコンプライアンスの時代に疑似体験ができた思っております。