推しを追うのを辞める話。
タイトル通りの話です。こじらせた限界感情成人女性オタクが自分の推し活を振り返り、向き合うため、そしてケジメのために書きます。そして、推し活で悩んでいる方へ少しでも力になれればと思い、noteに投稿させていただきます。ほとんどがクソ長いただの自分語りです。それでも良ければお読みください。
沼に落ちるまでの経緯
私には、熱狂的に推している推しがいる。界隈や名前はふせるが、主にインターネットで活動していて、毎日配信をしていて歌を歌ったりもしている。
当初は、その界隈にはにはそれほど興味がなかった。寧ろ、良く思っていなかったと思う。しかし、推しと同じ界隈の方の動画をたまたま見始め、面白いな~と思いだんだんと嫌悪感がなくなっていった。しかしガッツリ追うほどではなく、たまーに気になった時に切り抜きを見る程度だった。
私の日常が劇的に変わったのは、今年の2月頃だ。
とある切り抜き動画というものにたまたま出会ってしまった。多分その推しの切り抜きでとても有名ものだ。
衝撃だった。
こんなにかわいい成人男性がいるのか。かっこよくてイケメンな見た目とのギャップがすさまじかった。何かがずぶり、と心に刺さった。
そこから、ご本人様のチャンネルに飛んだ。歌枠を聞いた。とてもきれいな歌声だった。別の歌動画を見た。また衝撃を受けた。見た目や普段の様子からは想像もつかない、とても迫力のあるすさまじい歌声だった。かわいかったり、かっこよかったり、かと思えば芸人魂あふれる面白さもあったり。そんないくつもの魅力に私はすぐさま憑りつかれた。
私がこの界隈にハマるなんて。それまで2次元のキャラにしか推しがいなかった私が。初めて生きている人間を推し始めたのだ。というか、最新の、たくさんのコンテンツを追うのが苦手で、超マイペースに摂取するスタイル(このおかげで、いつも流行が終わった後、連載が終わった後にハマりだすことも多い)だった私が、配信者という供給があまりにも過多すぎるジャンルに、落ちたのだ。何もかもが新しい世界だった。
推し沼期
それから、私の日常は劇的に変化した。推しの歌を聞き、毎日配信を見始めた。例のごとく界隈専用Twitterアカウントも作った。推しの配信だけでなく、推しが出演している公式番組も見始めた。
販売しているものすべてというわけではないが、グッズも今までで一番買った(もともと私はグッズをほとんど買わない人間だった)。ファンアートもたくさん描いた。バイト中とかは、推しの妄想をいつもしていた。周りの人にも、推しのすばらしさを語ったりもしていた。
朝起きてすぐ、昨日の配信終わりツイートを見る。登校中はだいたい推しの曲を聞く。お昼休みはだいたいツイッターを見て公式やフォロワーの情報をチェック。家に帰ってからは大体配信を見る。筋トレしながら見ていることが多かった。もちろんツイッターも常時チェック。推しのツイートやなにか新情報があれば湧き上がってツイッターでつぶやいていた。そして、推しの配信が始まると、私のゴールデンタイム。配信をただ見るだけのときもあるし、絵を描きながら見ることも多かった。夜に弱いので12時くらいになったら推しに「おやすみなさい~」と(画面越しに)言って寝る。また次の日、見れなかった配信を見る……………私の一日は大体こんな感じであった。いやツイッターやりすぎやろ。見返してみたらほぼ毎日ツイートしていた。調べてみたら、1日平均22.9ツイートしていた。ツイ廃か?。自覚はないがTwitterが生活にかなり浸食していたなと感じた。(現代人ってそんなもん?みなさん1日どれくらいSNS見るんですかね…)とりあえず、推しに出会ってから、生活が劇的に変化した。
そう、私の生活は、というか世界は、推しのおかげでとても良い方向へ変化したのだ。推しと出会ったおかげで、世界が広がったのだ。まず、自分が知らないジャンルのゲームや歌に出会えた。それまで、興味のないゲーム配信なんて、見られなかった。そもそも、長時間の動画を見るのが苦手だった。これが、この界隈にハマらないだろうな、と思っていた理由でもある。推しの配信で興味を持って、自分で買ったゲームもある。
推しが歌って、大好きになった曲だっていっぱいある。ライブだって、人生で初めて行った。というか、ライブ遠征が、人生初の友達との旅行だった。
Twitterのフォロワーさんとも、はじめて会話した。仲良くなれて嬉しかった。大好きな相互さんもできた。
配信などから見えた、推しの泥臭くも強く、美しい生きざまや言葉にあこがれを抱いて、私も少しでも推しに近づきたいと思った。絵も描いた。ファンアートを描いていくおかげで、絵も上達した。クリスタの使い方もだいぶ覚えた。だいたい配信を見ながら筋トレをしていたおかげか、今までで一番筋トレが長く続いた。スタイルも良くなった。推しに出会えたおかげで、私の人生は豊かになったのだ。
気持ちが追い付かなくなった時期
異変が起きたのは、10月の終わりごろだ。なんだか、推しの配信を見ても面白く感じないのだ。虚無。今思えば、その少し前にあったイベントで頂点まで盛り上がり、そこからだんだんと気持ちが落ちていったように感じる。というか、現実でいろいろあって他人と自分を比べることが多くなり、自分のふがいなさをたくさん感じた。「周りの人はすごい人なのに、自分はこんなことして時間をつぶしていて、いいのかな…」というふうに思ってしまっていたのにも原因があるのではないかと思う。
前にも、推しにあまり気が向かないときはあった。そのときは、1週間くらい推し活を休んだら直った。今回もそうだろう、と思った。配信を見ず、たまっていた漫画やアニメを見たりして過ごしていた。Twitterも見なかった。
しかし、1週間推し活を休んでも気持ちが戻らない。もうすぐ推しの誕生日なのに。というか、推し活休み期も、推しの誕生日イラスト描いていたから、実質休んでなかったのかもな。とにかく、誕生日をお祝いする準備だけはして、当日祝った。楽しかったと思う。しかし、いざグッズやケーキを準備しようとすると、体が動かなかった。次の日、短時間でなんとか祝って写真を撮った。あと、新曲も出た。聞いた。ド迫力の、ものすごいカッコいい曲で、衝撃を受けた。でも、2,3度聞いたら情熱がどこかへ消えてしまった。推しの歌の歌詞が大好きだったはずなのに、歌詞を見ても少ししか感動しなかった。
このできごとに、とてもショックを受けた。どうして。誕生日も新曲もずっと前から楽しみにしていたはずなのに。どうして情熱が戻ってこないんだ。このときあたりから、推しの姿を見るだけで、声を聞くだけで苦しいと感じるようになってしまった。これは推しのことを楽しく見られない自分への罪悪感なのか。楽しく見なきゃ、という思いで緊張してしまうのか。
どうしてこのような気持ちになってしまったのか。いわゆる冷め期、というものがきてしまったのかもしれない。あと、推しの界隈で暗いニュースが立て続けに起こり、(推しは直接は関係なかったのだが)それが原因で少し界隈に不満を持ったのも原因かもしれない。
ここ1カ月そんな暗い思いを募らせているうちに、気持ちが常にどんぞこになってしまっていた。
そういうことで、ここ最近は朝起きたとき、そして家に帰った後こういう感情に支配されてとてもしんどい。推しのことを見ていても、見ていなくてもしんどいのだ。なぜここまでなるかわからないが、心臓が苦しいのだ。救心を飲んでいるレベルで。グッズやお写真を見るだけでもしんどい。最近はほかのコンテンツを摂取しよう、という気さえ起きない。精神を回復しようと思って自律神経に聴く音楽を聴いたり瞑想などもした。今はもうあまり効果を感じない。人と一緒にいると、気がまぎれたが、だんだんと誰かと話していてもしんどくなるようになった。
推しから離れようと覚悟するまでと、推し活で気が付いたこと
この間に、推し活疲れについていろいろ調べ、いろいろ考えた。その結果、わかったことがいくつかある。
私は、推しのおかげで生かされていたのだ。悪く言えば、私は推しに依存していた。
推しを推せなくなって、私の生活は灰色になってしまった。
まず、絵を描くモチベーションもなくなってしまった。クリエイティブな趣味を見失ってしまった。学業なんか先月からほとんど進んでいない。推しがいるから、推しの動画があるから頑張れていたことが全く頑張れなくなった。Twitterも活動停止した。毎日がとても辛い。
そもそも、1日において推しに触れる時間が占める割合が大きかったので推し活をセーブしたことで虚無な時間が増えた。何をすればよいのかわからないのだ。以前は、帰ったら推しの配信があるから、という楽しみでバイトも学業も頑張れた。今は何を楽しみに生きていけばいいのかわからない。推しに出会う前の自分は、何に幸福を感じて、どう生きていたのかがあまり思い出せなくなっている。推しのことを、自分の世界の中心にしていた。文字通り推しのために生きていた。
推しのために頑張れる、というのはとても良いことだと思う。1日の疲れを推しで癒す、という行為は極上の幸福を感じる。脳内麻薬がドバドバでている状態だ。しかし、その推しやコンテンツを1つに絞るのはよくないことだと気が付いた。人間関係のことでもよく言うと思うのだが、依存先がいくつかないと、心の安定が得られないという。心が安心する場所がたくさんあるほど、「自立している」という状態になるんだそうだ。(調べたらどっか出てくると思います)推しでもそうなのである。時には休んでほかのことにハマることも大切。もちろん、一人の推しを5年、10年ずっと推している方だっている。それは本当にすごい。それはもう何かの立派な才能だと思う。しかし、私のような一般人がずっと長く推すコツは、マイペースにほどよく推し続けることだそうだ。
そして誰もがわかってはいると思うが、SNSを見続けるのもよろしくない。悪意のあるツイートはもちろん、今の私のような人間にはただの尊い語りツイートでさえストレスに感じる。もちろん萌え語りツイートをしている本人は何も悪くないのだが。この人は推しのここが素晴らしい!と感動しているのに、自分は何も感じることができていない、と自虐的な感情や罪悪感を感じてしまう。気持ちがちょっと離れていた時期は、そのような陽のツイートに、知らず知らずのうちにストレスを溜めてしまっていたんだと思う。SNSは数多の人の数多の感情が常に発信されている、改めて考えれば異常に疲れる場所だ。SNSを見る時間はきちんと管理したほうが良い。
これに関しては、Twitterを見るのをやめれば気持ちが回復するのではないかと思ったが、直らなかった。「きっとみんなは今TLではしゃいでいるんだろうな」と考えてしまう。重症なのかもしれない。なので、垢活動終了宣言をし、ログアウトした。フォロワーさんから暖かいリプやマロをたくさんいただけた。嬉しかった。ただ、大好きな相互さんとは、もっとお話ししてみたかったなあ。その後悔は今も続いている。
そして、推しの活動スタイルが自分と合っていないことも少なからずあったと気が付いた。推しのおかげで新しいゲームを知ることができた、と書いたが、裏を返せば興味があまりないゲームでも頑張ってみていた、ということだ。そして、自分が全く分からない推しの趣味も、すべて肯定しようとしていた。
推しから離れようと決意
こんなことをさんざん考えた結果、一度離れて、これからはマイペースに推そうとした。動画も全部見ず、見たい配信だけ、見たいものだけを見ようとした。しかし、かつてのように毎日ツイートをチェックして、配信を楽しんで追うのはもう無理だと悟った。
推しのツイート1つ見るだけでもつらい。推しの声を聞くだけで苦しくなる。どうして。好きな食べ物を毎日食べていると、嫌いになってしまう理論と同じようなものなのか。罪悪感で思考がぐるぐるする。ずっと幸せをくれていた推しが、今は生活に影響をおよぼすほどの苦しみになっているのだ。
今までのジャンルでは、ブームが落ち着くときにこんな苦しい思いはしなかった。自然消滅、自然に別のジャンルへ行く、という感じだった。今回こんな苦しい思いをしているのは、自然消滅、というわけにはいかないからだろう。 さっきも書いたが、私の生活は以前と変わり、生活が今までのジャンルよりも推しに染まりきっていたのだ。推しを全力で推していたころ、その時私は最っっ高にきらきらしていた。推しを追いかけることを辞めて、何もかもを放り投げてしまった。
これからも毎日大量の供給が来る。なので、追いかけるのを辞める、となると生活が変化する。おまけにカメラロールにyoutubeの履歴もおすすめもすべて推しで埋まっているのだ。そして部屋にはグッズも押し入れに閉まったがまだ手放す気にはなれない。さらに、推しの好きなものや推しが連想される言葉を見るだけで苦しくなってしまう。重症だ。
離れよう、ちょっとだけ見てみよう、また辛くなる、の繰り返しだった。一度は離れても、ライトなファンでもいいから、ずっと応援はしていきたい、という思いを持ち続けていたが、そんな想いさえ切り捨てないと心が直らない、完璧に心から追い出さないといけない、そんな状況まで来てしまったのかもしれない。思い返すと、それほど熱中して、そして推せなくなるとこれほど心が病んでしまうまでに、推しを愛してしまったのだなと思った。
ここまでつらくなって重症化する前に、1度完璧に離れるべきだったのかもしれない。いや、最初から、「推しこそが私の生きがいだ!!」という意識を持たなければ、そうすればもっとライトな感情で、ラフだけどずっと追いかけられていたのかもしれない。
そして、一緒にライブに行った友達、フォロワー、申し訳ない。自分の推しを研究室の人に語ってしまい、もう推し大好きの人間だと認識されている。どう思われるだろう。
推しを推すのも、推さなくなるのも個人の自由だ、という。いつかは飽きる。その通りだ。しかし、そう割り切れない。だって本当に好きだったのだ。卒業するそのときまで推すと決めていた。これからだって応援したかった。それがこんな気持ちになるなんて。推しを見て、こんな感情になるなんて。虚無だ。からっぽだ。推しのいない生活は、なんて面白みのないんだろう。推しのことが好きと感じない生活はなんてつまらないのだろう。こんな別れ方したくなかった。(失恋か?)というか、何のために生きているのかわからない。
推し、こんなファンでごめんなさい。推しはいつも頑張って、なおかつ楽しく全力で活動しているのにね。推しはずっと「好き」「やりたい」を仕事にしている人だ。本当にすごいと思う。
というわけで、いったん完璧に離れようと覚悟を決めた。この気持ちのままで推し続けるのは無理だ。Twitterも動画も見ない。グッズも、いったんしまっておく。少なくとも1週間はこうする。この間に、人とたくさん会おう。話そう。家族とかとも。そして、今まで手を付けられなかったゲーム、アニメを見てみよう。依存しない練習をしよう。推しのコンテンツを見て悲しくなったり苦しくなっていることを知ったら、きっと一番いやな気持になるのは推し自身だよな…
しかし、まだ怖いのだ。とても怖い。これが離れられずダラダラ劣情を募らせている原因だ。怖い。推しを忘れることが。このまま暗い気持ちを持ったまま完全に離れてしまうのが。こんな別れ方をしたくなかったから。あの時の幸せな生活に戻りたい。
もっとやりたいことがいっぱいあった。切り抜きや手書き動画だって作ってみたかった。もっともっとファンアートを描いて、いつか推しにRTされるのが夢だった。本も作ってみたかった。まだ見てないアーカイブだって歌だっていっぱいある。ばちばちな痛バを作ってライブやイベント参戦だってしたかった。
推し離れをしても、冷め期が来ても、本当に好きならまた熱が戻ってくるという。そうだ。あれだけ好きだったんだから。今はいろいろなものが重なっているし、ちょっと疲れただけだと信じよう。信じよう自分を。大好きなら、戻ってくるさ。推し自身も少しの時間でもいい、楽しんでみてくれたら嬉しいと言っていたし。これが推しにとっても最善であると信じて。どうかまた、推しの配信を楽しんで見られる日が来ますように。
もし戻れたら、先ほど書いた通り、依存先をほかにも増やそう。ほかのコンテンツも触れよう。でも、他のコンテンツにハマるときも、このような思いになるんじゃないかと怖くなるんだろうな。なのでもうこれからはここまで熱狂的になる推しは作らない。グッズも極力買わない。Twitter専用垢も作らない。ほどほどで推すことが、一番推しを長く好きでいられると思う。世界は推しだけではない。「推し」の情報はすべて知っていなくても良い。というかほぼ毎日数時間の動画の供給が来る界隈ですべての情報を知るのは無理だ!!ちょっとでも知っていればいい。グッズや円盤だって買わなくったっていい。少しでも推しのコンテンツを知って、面白い、好きだ、と思えられればそれでよいのだ。
そして、もし戻れなくても、今までの日々は無駄にはならない。先ほど書いたとおり、推しはたくさんのいろいろな幸せ、面白さをくれたのだ。私の世界は確かに広がり、いろいろな経験ができたのだ。感謝だ。これを糧にして、前に進める。かつての推しは私の心の深いところにちゃんといる。宝物だ。
結局どうなった
上記の文章を書いてから、約半月が経った。結論を言うと、なんとあまり変わっていない。気分転換にいろいろやってみた。一人旅行をしてみたり、気になっていた漫画を読んだり、ひたすらだらだらしたり。少しは改善したが、変わっていない。早朝覚醒をしてあれこれ考えるのも直っていない。推しもなんだかんだちょっと情報を追っては苦しくなっている。というかなぜか恐怖を覚えていると思う。今は気持ちを落ち着ける漢方も飲んでいる。
推しをキッパリ絶ってみた。推しから離れる決意もできた。推しへの情熱は、失ってしまったと理解した。でも、でも………やっぱり面白いのだ。自分の興味のある動画は見てしまう。前ほどの情熱はないけれど、気になる情報があったら、知りたいと思ってしまう。まだ心臓は少し苦しくなるけれど。もう完璧に離れよう!と決意して離れようとするほど、「推しはやっぱりいいなあ」と思ってしまう。けれど、また追いかけてみようと決意すると苦しくなる。どうしたらいいんだ。
改めて自分のオタク歴について振り返った。その結果、私の情熱は1年以内で冷める。再熱したことはほとんどないということがわかった。もう同じ推しに対しての情熱は戻ってこない。「好き」という感情は変化していく。これは必然なのである。
しかし、当時ほどの熱量はないにしても、自分の好きだったものはほとんど今も追いかけていることに気が付いた。小学生のころにドはまりした漫画だって、もう毎日読み返しはしないけれど今も大好きだ。私の中学時代の青春を彩っていたとあるボカロ曲も、今も好きでたーまにだけど曲を聞き返す。かつて沼に落ちたとある漫画も、いったん離れたしコミックスはもう買っていないけれど、ほぼ毎週漫画アプリでチェックしている。
そう、それでいいのだ。その距離感で好きになればいいのだ。新情報を見るのが1週間遅れでもいい。配信を見るのが月に1回でもいい。気になった時に、気になったものを見る、ただこれだけでいいのだ。配信なら、何かの作業用BGMにもなるしね。それでも、彼のことを「好き」と言っていいのだ。もうかつての情熱が薄れてもいいのだ。やっぱり、前考えた通りマイペースに推すことが一番良いのだ。推し活は、結局はすべて自分のためなのだから。
推しのすべてのコンテンツや言動や行動にキャッキャする必要はないのだ。ライブを見る必要も、グッズを買う必要もない。離れたら彼のことを完璧に忘れることが本当に本当に怖かったけれど、きっとそんなことは無い。月に1回でも、1年に1回でも、私は「彼がやっぱり好きだったなあ」と思い返すだろう。
結局私は推しから完璧に離れるのは無理だった。これは、いったい本当に好きなのか、それともただ依存・執着しているだけなのか、どちらなのだろうか?
どちらでもいい。自分を見直してみて、なんだか自分のオタク以外の部分でも自信が持てるようになった。本を買って、自己分析などもやってみた。推し活のことでも、推し活以外のことでも、自分と他人を比べなくていいんだと気が付いた。今のありのままの自分で、きっと生きていける。ほぼ取り組めていなかった学校のあれこれも、ちょっと進むようになった。今ここでこじらせたことで、自分を見つめ直すことができた。
それと、推し疲れについていろいろ調べる中で、かの大声優、諏訪部順一さんの素晴らしいツイートを見つけた。
とても心強い言葉だ。そう、確かにあの時、推しのライブを見たとき、「ずっと着いていきます。」そう思ったのだ。あの瞬間、「ずっと」を感じた瞬間、そこにはとてつもない価値が生まれていたんだな。普通ならば、画面越しにしか会えなくてただゲームや歌を歌っている人に、「永遠」なんて感じないだろう。さっきも書いたが、全力で推していたあのときの気持ち、あの時の情熱は本当なのだ。たとえ今はその気持ちが無くなっていても、推しはとてつもなく価値のある宝物としてずっと残り続ける。
これからは、前を向いていろいろなことに挑戦したり、いろいろなコンテンツに触れてみようと思う。そして、見たいな、と思ったら、たまに帰ってこよう。その時も、「尊い~!!」と舞い上がらなくていい。ちょっとでも「良いな」「面白いな」と思えればそれでいい。そして、そのままフェードアウトして長い間コンテンツを触れなくてもいい。こう考えたら、だいぶ気持ちがすっきりしたな。ただ、一緒にライブを見たり語り合っていた友人と付き合うのが怖いな。
最後に。
推し様。こんなファンでごめんなさい。こんなに勝手にこじらせてごめんなさい。おそらく、もう毎日のように配信を見て、幸せな気持ちになって、ライブもチケットを買って死ぬほど盛り上がる、ということはないと思う。けれど、今までたくさんの生きる希望をもらいました。あなたのおかげでたくさん笑顔になることができました。いろいろなことを知ることができたし、経験できました。本当にありがとう。そして、これからは本当に小さく小さくささやかであるかもしれないけれど、応援させてください。これからも、貴方が元気に、幸せに、楽しく活動できますように。
以上です。勢いに任せて書き殴ったので本当にクソ長いうえにわかりにくいですが、ここまで読んでくださってありがとうございました。(読んでくれる人がいるのかは置いといて)
今推しを追うのが辛い方、推し活疲れを感じている方へ。今はとにかく休んでください。一旦、推しを生活から取り除いてください。そして、情熱が戻っても、戻らなくても、好きで全力で応援していた日々は無くなりません。それはきっとあなたの血肉になっています。
そしてもしよろしければ、自分語りで良いですので、推し疲れのことや、私の今の状況に対してコメント等があれば書いてくださるととっても喜びます。ありがとうございました。