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詩月の困った日常 壱

 ある日の放課後。
 私こと詩月は、幼馴染の時彦に用があったので、弓道場に向かった。明日の依頼内容に、大きく変更があったからだっさた。
 しかし、近道である道場裏に続く道にて、女子の声が聞こえた。
「分かりましたわ。私があの女よりも、時彦くんに相応しい事を証明して見せましょう。一週間だけ、時間を下さいな」
「は? ちょっと、何言ってんですか。ちょっと待って下さい。俺はアイツ以外の人とは、」
「その考えを覆してみせます! なので、待っていて下さい。時彦くん。それでは練習に戻りますね。うふふっ」
「ちょ、先輩!」
 物陰に隠れ、覚えのある声と誰かの口論を盗み聞きする。けれどあらかたの経緯は予想できてしまった。幾度も見聞きしてきた中で、最悪の口論である。
 足音が遠ざかると、奴は盛大なため息を吐く。呆れ果てて、私も物陰から出た。
「時彦。また痴話喧嘩? いい加減その体質治せ、莫迦」
「うわっ! し、詩月……なんでここにいるんだよ」
 無駄に反応が大きい時彦。相変わらずどこか抜けている。
 まず手始めに、脛に蹴りを入れた。
「この……莫迦野郎め!」
「いってぇ! お前急に、」
「は? 当然だろ。お前がフった女が、ウチの店に嫌がらせに来たりするんだから」
 時折、この男に群がる女が告白して玉砕して、その八つ当たりのためだけに私の店である天野屋に怒鳴り込んでくる事もあった。(その時は、冷たく遇らって追い返した)
 あの男の起こす問題は十中八九、女子関係だ。私も時たま、告白しに来た男をフる事もあるが、私のそれとはおそらく別だろう。
(コイツ、虫みたいなフェロモン的な何かでも垂れ流してるんじゃ……)
 幼馴染の私の場合、もうどうでもいい。
 さっきから、脛を押さえて痛がる時彦を一瞥する。
「それで、時彦。今度は一体何やった?」
「濡れ衣だって! 嘉山先輩に告られて、断ったら泣かれて宥めてたら、なんで選んでくれないのって逆上されて、そしたら一週間だけ時間をくれって言われて、そんで……」
「最後は聞いた。自分でなんとかしたら? 私はもう、巻き込まれるのはごめんだよ。それにたぶんあの先輩って、ウチの部に嫌がらせする筆頭だと思う」
 あのキャラキャラしたトーンの高い声。あんな不快な声は、他に聞いた事がない。
 何度も何度も我が剣道部に喧嘩をふっかけてきては、我が部長に返り討ちにされる。それの繰り返しだ。主な理由は、私である。
「時彦。周りに私のこと話してるでしょう。女子男子関係なく」
「話して悪いのかよぉ?」
 未だに脛を押さえている時彦は、涙声になって顔を上げる。本人からしたら反論なのだろうが、私には文句を言っているようにしか見えない。
「アンタがフった女子が、私に八つ当たりしにきてんだよ。剣道部に嫌がらせする奴らの殆どはただの八つ当たりなの。本当に嫌になる」
 この男と幼馴染というのも、なかなか困ったものである。あからさまに大きなため息を吐いてやると、時彦は少しだけムッとしたように顔を顰めた。
「詩月。お前も大概だぞ。お前に告った男が、俺のとこに来て乱闘になりかけた事もあったんだから!」
「は? 何それ、初耳なんだけど」
「……言ってなかったからな。だけどお前、俺がいるから付き合えないとかってフってんだろ? 俺たち似た者同士だな、やっぱり」
 たしかに、告りに来た男子をフる時のフり文句は、時彦がいるから、だ。
(でも、嘘は言ってない。時彦の家にはかなりお世話になってるし、他に男なんか作ったら色々と問題が起きそうだし)
 そろそろフり文句も変えなければマズいだろうか。そこで、この男が発したある言葉を思い出した。
「時彦、お前似た者同士つったか?」
「おう。俺もお前がいるからって言ってる。本当の事だし……」
 少しだけ恥ずかしそうに赤くなった時彦。しかし、最後の言葉がよく聞こえなかった。
「何、最後聞こえない」
「なんでもねぇよ。それよりさぁ、詩月。お前関わりたくないって言ってるけどよ、嘉山先輩が嫌でも突撃してくるぞ? 多分」
「はっ? なんでよ。私関係ない!」
 時彦が被害を受けるのは、まぁ別に気にかける必要はないだろう。気づいたら終わっていたなんて事も、よくあったから。
 でも今回は、そう簡単にはいかないだろう。何しろ、今回の相手は剣道部副部長としても、ただの天野詩月としても厄介な相手だ。
「だってさ、詩月。嘉山先輩は部活の連中の中でもかなり嫉妬深いって事で、結構有名なんだぜ? それにあの人、この一週間は絶対そばに寄ってくるだろうし。俺と詩月は行動パターンがほぼ同じだから、二人して被害を受けるなぁ。はっはっは、これで一連托生だ」
「はぁ⁈ なんでそうなるわけ? 私は絶対に関わりたくない! その気もない!」
 もう一発ぶん殴ってやろうかとも思ったのだが、普段見ないくらいの気持ち悪い笑みを浮かべていたので、触るのが嫌になった。

 この時の私は、女の妄執がどれほど強く恐ろしいものなのか。思いもしていなかった。



 その日から私は、謎の感情を抱く事になるのだが、それに名前をつけるのは先の話である。

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