最近は暑いです。 前編
桜はとうに散り、紫陽花すらも終わりを迎えた。春はあっという間に過ぎ去り、梅雨明けも分からぬほど暑い夏。
「うぅ……なんでこんなに終わらないんだぁ〜!」
「大学のレポートなんて、そんなに簡単なはずないですよ……私も課題が終わらない……」
春から時は流れ、私は新学期を迎えた。私こと渚と茜さんは、それぞれの学校生活を楽しんでいる。
そんなある日。
私と茜さんは、時雨さんの屋敷にお邪魔していた。
そうして、私は高校で出された課題を。茜さんは大学のレポートをやっていた。もう少しで夏休みのはず。なのに、課題やレポートは遠慮なくやってくる。
常にちょうどいい気温になるよう、気温調節がされている時雨さんの屋敷ならば、外が暑くてもまったく影響がない。
もちろん、ただ涼しくて課題がやりやすい、そんな理由だけで居座っているのではない。
「あのさ。二人とも」
「あ、時雨さん」
静かに縁側の方から入ってきたのは、夏らしくサラサラな長髪を後ろでまとめ、薄蒼に小さな蝶柄の浴衣を着こなした、時雨さんだった。
「ここは、課題をやるための場所じゃないんだが?」
だが、時雨さんの言ったことは私たちの耳に入ることはなかった。それは、彼女が手に何かが乗った盆を持っていたからである。
「よっしゃ! 冷たい飲み物と茶菓子!」
「抜け駆けは許しませんよ、茜さん」
私たちがここに来た本当の理由は、時雨さんが出してくれる菓子である。
「はぁー……もう何も言わない」
呆れ気味に持ってきてくれたのは、青から透明へのグラデーションが見事に美しい錦玉とサイダーだった。
「うわ、めっちゃ綺麗……」
「よくここまで綺麗な和菓子が作れますよね……」
「いんや? これは貰い物。こんな綺麗な錦玉は、流石に作れないよ。この間会った客の実家が和菓子屋らしい。その時に、貰ったやつ」
そう言って、本人は錦玉に手を出した。早速、私たちも手を出そうとした時。時雨さんはそれを制した。
「せめて、あと四ページ以上はやってからになさい」
「えぇ〜? ケチ〜!」
「こ、こんな目の前に出しておいて……っ!」
「これは私が食べるぶん。ほれ、早くしないと無くなるよ」
見せつけるように、半透明な錦玉を頬張る時雨さん。
「そ、そんなに言うなら……やってやらぁ!」
「頑張ります……」
時雨さんの上手い煽りを受けたおかげで、私たちの課題はかなり捗ったのだった。
「美味しい〜〜!」
「あぁ……体に染み渡る……」
無事に課題を進められた私たちは、半ば齧り付くように錦玉を頬張っていた。
そんな私たちを見て、時雨さんは呆れたようにため息をつく。
「ったく、人参ぶら下げた馬みたいだな……」
「失礼な。人を馬扱いしないでよ! もう……ホント変わらないよねぇ。その嫌味な言葉」
「はは、私は人じゃあないんでね。君らみたいに、素直な言葉なんぞ吐かないよ」
「むう……天邪鬼め」
「その言葉は、私という存在の肯定と受け取るよ」
毎度毎度、この二人はこんな軽口を叩いている。
私が時雨さんと出会った時には、すでに仲が良かった二人。私が出会ってから、まだ二年ほどしか経っていない。それもあってか、まだ遠慮というものがある。しかし、この二人にはそんなものが一切感じられない。
馴れ初め……と言うのは少し違うが、出会った時はどんな風だったのだろうか。
(……今更聞くのも、何となく気不味いしなぁ)
スッキリした甘みのサイダーを飲みながら、私は軽口を叩き合う二人を見ていた。
不意に、口論に区切りがつく。
「どしたの、渚」
「茜の下手な反論が、そろそろ聞き飽きたんじゃないの?」
「あのさ、なんで時雨さんっていつもーー」
「ちょ、ちょっといいですか? 二人とも」
話をやめて首を傾げる二人。意を決して、私は話を切り出す。
「二人は出会った時から、そんな感じだったんですか?」
少しばかり身構えたが、私が欲しかった答えは簡単に貰えた。
「んなわけないよ。それよか、茜の方がもっと尖ってたからねぇ」
「失礼な。そっちこそ冷たい態度だったじゃん!」
また口論が始まりそうだ。寸前で割って入り、さらに問い詰める。
「じゃあ、それだけ長い期間一緒ってことですか?」
「そう……でもないかな。まだ茜とは……三、四年くらい?」
「長いっしょ! 三、四年は長いっしょ! あと三年と半年だから」
「細かいな……もうちょっとフラットに生きようや」
意外と細かい茜さんの指摘に、私も時雨さんの言葉に流されかけてしまった。しかし、ギリギリで留まって話を戻す。
「話を逸らさないでください。どんな出会いだったんです? 茜さんが尖ってたっていうのは?」
好奇心がどんどん膨れ上がっていく。
詰め寄る私に驚く時雨さんであったが、あまり焦ってはいない。
それどころか、何かをボソっと呟く。
「あの時は……亜香里も凪沙も、まだ生きてたからなぁ……」
時雨さんは、どこか遠いところを見つめていた。
(ん? 私……?)
微かに聞こえた言葉で、一瞬疑問に思った。だがすぐに、自分が祖母と同じ名前だということを思い出した。
この人が私と茜さんの祖母と大親友だったというのは、本人たちから聞いている。
感傷のような、そんな陰の気を晴らすように、明るい声を上げた。
「それで、どんな出会いだったんですか? 私だけ仲間外れ?」
ちょっとだけ、ねだるように聞いてみる。この二人は……特に茜さんは、こうした責めに弱い。
予想通りに茜さんは、さっそくボロを出す。
「え゛っ、いや……時雨さん! 絶対にあのことだけは話さなーー」
「ふふっ、初めて会った時にね。茜が急に矢を射ってきたの」
「え……? どんな状況ですか、それ……」
「あ゛ぁぁぁぁ〜! 言わないでよ!!」
茜さんの慌てようから見て、これは事実なんだろう。しかし、一言聞いても状況は分からないまま。
「それから?」
「それでね、茜が……」
「あぁぁ〜〜言わないでよぉぉぉ〜!」
悶える茜さんを横目に、時雨さんは茜さんとの出会いの物語を、語り出した。
私たちは祓い屋という、人ではない者たち……俗に言う、妖怪と呼ばれる者を祓うことを生業にしている。それは家業として、代々受け継がれているのだ。時には大怪我を負って、長期間入院することも多々ある。
私はともかく、渚や茜は一度怪我をしたらしばらく動けない。
私はそんな二人に血塗られた仕事を、家がやらせているようにしか見えないのだ。
初めて会った時。茜は大怪我をして、この屋敷に迷い込んできた。
私に矢を射る力も、ほぼ無いにも等しかったのかもしれない。それでも、あの子に取って私は……鬼は、祓うべき存在だったのだ。
『はぁっ、はぁっ、……っ、鬼……は……祓わなきゃ……』
庭の茂みの中から、縁側に座る私に向かって射掛けられた矢は、細く右頬を掠めた。
(私に……傷をつけるとは……)
酷く驚いたものだ。自分の血など、久しく見ていなかったのだから。
『君、ここに何しに……って、気絶してる?』
彼女は私に矢を射った直後、倒れた。
酷い怪我だというのに、この娘は逃げることなく戦うことを選んだ。
(生粋の、祓い屋なんだな……)
過去の私に、よく似ていた。
とりあえず屋敷の一室に寝かせ、祐樹と共にできるだけの手当と治療をした。
『なんで矢を飛ばしてきたヤツを助けるんだ?』
『……怪我をしてる人を助けるのは、当たり前のことだよ。私が人であろうがなかろうが、そこは揺らがない……いや、揺らぐことは許されない』
思いの外早く目を覚ましたおかげで、茜の怪我も少しずつ治癒していったものの。
『鬼に情けなどかけられたくありません。治療に関してはお礼を言いますが……』
本人からの当たりは、かなり辛辣だった。
「えっ‼︎ 嘘……この茜さんが、辛辣……」
「そうそう。酷いよねぇ……突然、攻撃してきた人を助けてあげたのに、ニコリともしないの」
「酷い……流石に酷いですよ……茜さん」
部屋の隅で小さくなっている彼女に、何となく話を振った。しかしそんな事など聞きもせず、何かブツクサと言っている。
「あれは放っておいていいよ。そのうち治る。それでねーー」
時雨さんは更に話を続けた。
茜が屋敷に来て、三日後。
不意に、茜は無理をした。
縁側から外へと出ようとしたのか、縁側で力尽きて倒れていた。
『君さぁ……自分の怪我の具合くらい、把握しようよ』
『うぅ……い、いつまでも世話になるのは、その……悪いというか、そろそろ帰らないといけないというか……』
幾分かはマシな態度になったが、私への辛辣さは変わらない。
『はぁー……。その気持ちは、分からなくもない。正直共感する。でも、君は人間だ。いくら祓い屋とはいえ、ただの人間が大怪我をして、たった三日しか経ってない。そんな状態で動けると思うかい?』
今の私はよく無理をする。それは人の限界というものに、自分の身体が当てはまらないことを知っているからだ。人の頃もよく無理をしたが、それとこれとは話が違う。
だが、こういう祓い屋が言って聞かないのは目に見えている。
『……なぜあなたに、そんなことを言われなければならないのですか。余計なお世話です。それに私とあなたでは立場が違いますし』
呆れてしまう。本当に、かつての私のよう。
茜を布団に運び、横に座った。
『ご尤も。だがね、これは私が心配して言っているだけだ。聞き流してくれてもかまわんよ。だけどねぇ、術で鳥を飛ばすなり何なりして、安否報告した方がいいのではないか? 安倍家のお嬢様』
茜はあからさまに肩をビクッと震わせ、顔を背ける。私はその様子を横目に、キセルに火をつけて続けた。
『君の家には、それなりに縁があってねぇ。一番関わりがあるのが、君の祖母なんだ。あの子、ものすごく心配してるよ』
『嘘……お祖母ちゃんにまで伝わってるなんて……』
『うん、がっつり。明日来るってさ』
『えぇっ!? なんでここに……って、なんであなた安倍と縁なんてあるんです? ウチの先祖の元式とか?』
『んなわけないだろ。私は……ただの古馴染みで、』
なんとなく、続けることができない。だから私は、隠すことにした。
『ただの、商売相手さ』
ふぅ……と、誤魔化すようにキセルの煙を吐き出す。
こういう子は、自分の祖母が祓うべき対象である鬼と友好関係にあるという事実を、知りたくはないだろう。
茜は不思議そうに首を傾げている。だが、私と亜香里に関しては、あまり長く語ることもない。
『古馴染みで、商売相手……ですか。なるほど……なら、私のことも知ってておかしくはないですね』
『あぁ』
この子は、亜香里によく似ている。あの子の面影が濃いのだ。
何かに悩む茜は、おそらく依頼か何かで一人で突っ走った。結果、山中で迷い、大怪我をしてここに辿り着いた。
(まったく、亜香里も時々迷ってここに来てたし……なんでこんなとこに迷い込むんだか)
そんなくだらないことを考えているウチに、この屋敷の正面入り口辺りから裕樹の声が聞こえた。
『あっ、ちょっと! 約束は明日って、』
『何言ってんの? 外では明日になってる。こっちは、自分から何一つ連絡よこさない孫のこと迎えに来てんだよ』
キレ気味の声だ。おそらく怒ってる。
『お悩み相談する時間もなさそうだ。お迎えが来たよ』
『ま、まさか……』
すると、玄関を通さず庭を早足で近づく足音が聞こえてきた。
「あの、なんか……今とあんまり変わらないんですね。茜さん」
「まあ、素は変わらんよ。コイツの祖母ちゃんが来るって話したら、本当に怖がってたし。ねぇ、茜」
時雨さんはとてもいいところで話を切り、今なお頭を抱える茜さんに話しかけた。
「そこで今の私に振らんでよ……酷い……私を笑いものにして楽しんでやがる……」
「笑い物にはしてないよ」
「だったらなんでこの話続けるのぉ〜!!」
畳に拳をダンダンッと叩きつけ、うわぁぁぁー! と一人悶える茜さん。それの元凶でもある時雨さんは、それを微笑ましそうに見つめていた。
なんともシュールな光景である。
「あの……続きは?」
「あぁ、うん。それでねーー」
ーー……後編へ続く
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