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エトムント・フッサールを語ってくれるnote記事4/4
フッサールの用語で、主観性を戒める態度を「判断停止(エポケー)」と言いうらしいです。自身の判断に問題がないかを客観的な位置から検証することも求めているということです。
人は、言語を習得した時点から、主観とエポケーの交錯の中で育ち、生を紡いでいるということになるでしょうか?
コロナワクチンの問題には、強制的エポケーも複雑に絡み合っていると言えるでしょう。
地政学立場の歴史上で、言葉の意味は地理が持つエネルギー、さらには国家や、政治としての集合無意識が持つ言語や価値観に生じるborderは超えられない可能性は出てきました。
更にそこで発露する主観とエポケーの交錯も考慮にはいるのでしょうかね?
Negi-Pon(哲学系社労士)さんの記事です。
現象学の現在地点~フッサールその4:哲学系社労士はかく語りき|Negi-Pon(哲学系社労士) (note.com)
https://note.com/fair_impala134/n/nf3f0180e8537
https://note.com/fair_impala134/n/neda7db4bca63
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