北野天満宮の古井戸6止

菅大臣社

道真の産湯に使われたという菅大臣社の「誕浴の井」

菅大臣社は京都市下京区仏光寺通新町西菅大臣町にある。通称・菅大臣天満宮。創建年代は不明だが、社殿が設けられたのは鎌倉時代とされている。 道真の屋敷と、「道真廊下」と呼ばれた学問所があった場所。正式名は「菅大臣社(かんだいじんのやしろ)」。南北と西の3カ所に鳥居の入り口があり、社殿は西向き。かなり広い敷地だったと思われる。「誕浴の井」は社殿の鳥居の手前にあり、社殿鳥居わきには『東風吹かばー』の飛梅の木がある。

菅大臣社社殿前の「誕浴の井」から水が流れる手水場。コロナ感染防止で水が止められている

   

吉祥院天満宮


 吉祥院(きっしょういん)天満宮は洛外の西大通り沿い、西高瀬川の西わき、南区吉祥院政所町3にある。天満宮の社殿は東向き、社域のすぐ東側を西高瀬川が南流する。
 社伝によると道真の曾祖父・土師古人が平安遷都の際、桓武天皇に随行した縁からこの地をもらい居を構えたという。祖父・清公の代から菅原姓を名乗り、清公が遣唐使として渡唐航海の途中、嵐で船が難破しながら吉祥天の霊験で難を逃れ、唐に行き着いた。清公は帰国後、吉祥天の霊験に感謝し居宅内に吉祥天を祀るお寺の堂宇「吉祥院」を建てたのが由来とされている。文字通り神と仏が一体化した神仏習合がそっくり残る古社だ。

東向きの吉祥院天満宮の社殿。狛犬に前に、寝そべった格好の「狛牛」がいる
道真が習字の際に使ったとされる硯(すずり)の水
鑑(かがみ)の井。道真が朝廷に出勤の際、顔を移したという。境内東寄り弁財天の祠わきにある
境内の舞殿で毎年8月25日夜に開かれる吉祥院六斎念仏

 

道真の臍(へそ)の緒を埋めたといわれる「胞衣(えな)塚」


  社伝によると、道真はこの地で生まれ、18歳で転居するまでここで暮らしたとされている。 道真の亡き後、934(承平4)年に朱雀天皇の勅命で社殿を建立し道真の荒魂(あらたま)・天神を祀った。以来、吉祥院天満宮と呼ばれるようになった。   
 神社ではここが道真誕生の地とし、社域に道真の臍(へそ)の緒(お)を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)塚」や道真が朝廷に出勤する早朝、顔を映したとされる「鑑(かがみ)の井」が弁財天にある。
 道真の父・清公が住んだという中京区に菅原院神社や下京区の菅大臣社(菅天満宮)も誕生の地とされる。生誕の地がとされる場所が3カ所もあり、3カ所とも道真が誕生の際に使ったとされる「産湯(うぶゆ)の井」がある。どちらも伝承だけで、明確な生誕の地は分かっていない。。
 この神社はまた、「最初の天満宮」として創祀しているが、西ノ京の人たちが設けた「一之保社」も「最初の天満宮」と伝えられている。産湯の井を含めて、それだけ伝承の地が多いということは道真の荒魂(あらたま)、祟(たた)りが激しく、京都人が道真の怨霊を恐れ、畏敬と崇敬の念を払ったことの一つの証しかもしれない。
 また、北野天満宮にも東風(こち)吹かば」の飛梅の木があるが、道真が大臣になって構えた屋敷跡の菅大臣社に植えられていたという飛梅の子孫の木もある。どちらにしても真偽不明だが、産湯という伝承の井戸が現存し、飛梅の木の子孫も生き延びていることはそれぞれの神社にとっては誇りだし、あちこちの天満宮に足を運ぶことのにない観光客や参詣者にとっても悪いことではない。各神社の社史、社伝に基づく産湯、飛梅だけにどこがホンモノかの考証、検証は古い史資料がないだけに社史、社伝を信じるしかないし、各神社の誇りをとやかく詮索する必要性はあまりないと思う。
 社域は西高瀬川の右岸沿いにある。東側の西高瀬川は南流し、3面コンクリートになる前は、社域の地下にも浸透していたとみられる。毎年8月25日午後8時から約1時間、舞殿で六斎念仏が披露される。露店も出て近隣の子供たちや家族連れで大賑わいだ。ここの六斎は昔ながらの古い形の六斎を伝承する。

 

錦天満宮


錦天満宮の社殿。社殿手前の両脇に井戸水があり、多くの人が飲用するという

 錦天満宮は錦市場が寺町通りに突き当たった場所にある。錦市場は京都のメーンストリート四条通りの繁華街に並行した錦小路通りのうち高倉通りから寺町通りまでつながる食品販売中心の商店街。この市場一体は古い時代から賀茂川の伏流水が豊富に湧き出す場所として知られた。湧水があることから生鮮品を扱う市場が形成されたという。


錦天満宮社殿の右側にある井戸水。水質は定期的に検査されている


平野神社の井戸

 サクラの名所として知られる平野神社。北野天満宮と直接関係ないが、北野天満宮の近くにあるというだけの縁で直接取り上げた。北門から紙屋川の桜橋を渡り、平野神社の西門まで歩いても数分。社殿は国重要文化財指定で、格調の高さがうかがえる春日造りの社殿が横に並ぶ比翼春日造り。社殿は台風で損壊被害に遭い現在修復中。社殿は東向きで、西を拝む古い形。東西に鳥居があり、東の鳥居は西大通りに面している

平野神社の井戸の水屋。井戸水は電動ポンプで地下約100㍍からくみ上げるという

 古井戸はクスノキの古木のわきに現役として使われている。クスノキは大量の地下水をくみ上げるといわれ、クスノキのあるところ、根本から水がわき出るといわれている。

北野天満宮の井戸を同じ水脈と推定される平野神社の井戸水


 北野天満宮に近いので同じ水源、水脈と推測されている。電動ポンプで地下約100㍍から汲み上げている。井戸わきに井戸水を使った水道の蛇口があり、ペットボトルなどの入れ物に水を汲める。

井戸わきに井戸水が出る蛇口がある。近隣の人たちがペットボトルを持って水をくみに来る

 平野神社は桜の名所の1つ。さまざまな桜が植栽されている。桜満開の花見時期、境内は桜吹雪が舞う壮観さで圧倒される。(一照)

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