【コラム】触れると壊れそうな本
今月も【Webライターラボ】のコラム企画に参加させていただきます!
テーマは「お気に入りの本」
わたしの幼少期から愛し続けたシリーズについてお話しさせてください。
居場所は小学校の図書室
わたしは本の虫だ。
おもちゃやゲームやテレビといった創意工夫の余地が少ない娯楽を厭う母に育てられたおかげで、暇つぶしと言えばいつも本だった。
遊びに行くのは公園か図書館。
幼稚園の年長の秋には絵本ではなく、挿絵の入った児童書のハードカバーを読んでいたらしい。
つまり本の虫になる条件が十分に揃った環境でわたしは育ってきた。
5歳になる直前、生まれ育った東京を離れて北海道の母の実家近くに家族で移住した。
方言や生活、文化の違い、地方の過疎地区ならではの濃密な血族のつながりに馴染めなかったわたしは、小学校に上がっても友達よりも本と対話をするほうが楽だった。
楽しそうな同級生の声に背を向けて、自然と足は図書室に向く。
冬は寒く、夏は涼しい。そして誰もいない。
古い本と埃の匂い、本棚に囲まれて現し世から隔絶された空間。
耳がキーンとなるほどの静寂。
本棚の間に蹲って本を読み耽るうちに休み時間が終わってしまうこともしばしばだった。
たくさんの児童書や漫画に出会った。
かいけつゾロリ
シャーロック・ホームズ
悲劇の少女アンネ
エリーテ姫の冒険
霧のむこうのふしぎな町
かぎばあさん
ピラミッドのひみつ (まんが世界ふしぎ物語)
世界の歴史漫画全20巻
日本の歴史漫画全20巻
漫画世界の偉人全集
王家の紋章
ベルサイユのばら
好みがまるわかりになるのがとても恥ずかしいが、物語に没頭することでどうにか孤独と疎外感に折り合いをつけられたのだろう。
運命の出会い
小学校の本棚にシリーズで揃っているポプラ社刊のミステリー児童書の定番がいくつかある。
たとえば……
怪人二十面相
名探偵ホームズ
怪盗ルパン
解説も注釈も不要の名著ばかりだ。
そのなかでわたしが愛したのは
「怪盗ルパン」
訳者は南洋一郎。
長年、彼の訳本だけを読み続けてきた。
お恥ずかしながら、未だにポプラ社の児童書シリーズがいちばん読みやすい。
小学生のわたしにとってフランスは未知の国で憧れだった。
アルセーヌ・ルパンが生きた時代には、まだフランス革命の残り香があった。
シリーズの中にもシャルル7世やナポレオンやドイツ皇帝、ブルボン王家に仕えた下女の逸話など、歴史の流れを感じられる描写が数多く出てくる。
王政時代の領主の一族が絶大な権力を維持し続けていたり、革命のどさくさで隠されたと目される財宝を探す人がいたりと、歴史の浅い蝦夷地で暮らすわたしにはむせ返るほど歴史の匂いがした。
貴族が暮らした古城で生活するルパン。
財宝室やサロン、絵画展示室、電話室など、現代の生活には則さない部屋が数多くあり、隠し部屋や隠し通路が点在している描写に心が躍った。
想像するだけでは飽き足らず、活字を頼りに間取り図を書き起こしたことも一度や二度ではない。
電話の普及が進む過渡期の描写や、馬車と自動車が入り乱れる往来の様子。
「鳥打ち帽」や「マホガニーの机」や「革の水袋」や「辻馬車」など、小学生のわたしには想像の域を超える単語や描写も数多かった。
はじめのうちは母に意味を尋ねていたが、読書を中断するのも億劫になり、わからないまま読み進めるすべも徐々に身に着けていくことになる。
わたしの宝物の本
小学生から少しずつ古書店で買い集めてきた。
ポプラ社のシリーズはほぼ揃っているはずだが、多くは実家の屋根裏部屋の本棚にある。
あまりの量で重いうえに嵩張るとあって、引越しに差し障り実家に預けざるを得なかった。
今、わたしの本棚に入っているのは厳選されし「怪盗ルパン」だけだ。
そのなかでも、わたしにとって珠玉の一冊がある。
それがこの本だ。
購入したときから劣化を防ぐために表紙を保護していたため、わたしも表紙を見たことがない。
何色なのだろう?
本が伝える過去の記憶
怪盗ルパンだ。
正式タイトルは「怪奇探偵ルパン全集 第四巻 三十棺桶島 外二篇」
怪盗じゃないんかーい。
怪奇探偵ってなんやねん。
言葉のチョイスに文学のかほりがする。
二十代の半ばに神保町の古書店から通販で手に入れたもので、価格はリーズナブルだった。たしか、三千円もしないくらい。
なぜ訳者も出版社もちがうこの本を購入するに至ったのか覚えていない。
想像するに、失われつつあるオリジナルを保存したかったのではないだろうか。
当時のわたしに訊いてみたい。
平凡社の年表を見ると昭和2年「有島邸」に社屋を移している。
平凡社の歴史を語りだすと長くなるので割愛するが、まだ華族が住まう武家屋敷や宮邸がそこここにあり、今の東京からはかけ離れた景色が広がっていたらしい。
現在でいう「千代田区六番町3番地」が旧「東京市麹町區(区)下六番町10」だ。
菊池寛や文藝春秋社の名前が出てきて、この本が過去からきて今へつながっている重みを感じる。
肝心の中身はといえば……
活版印刷だ。
現代のオフセット印刷とは文字の印象が全く異なる。
活版印刷については以下のホームページを見ていただくと分かりやすい。
味わい深くて、職人の手のぬくもりを感じるのはわたしだけだろうか。
今となっては「歴史的仮名遣い」や「旧字体」が入り交じっていて、判読は難しい。
大人向けの本なのに全ての単語にルビが振ってあるあたりに、当時の識字率の低さが窺える。
祖父の書斎にあった「サザエさん全集」姉妹社刊で、旧字体や歴史的仮名遣いには馴染があったが、あれは4コマ漫画だから耐えられたのだと3ページ読んだところで実感した。
馴染みのない単語、描写、漢字、ルビに目も頭も疲れて物語に没頭する暇がない。
現代において昭和4年の印刷物は、古文書と同等のハイレベル書物になってしまった。
ためしに今年86歳になる読書家の祖母に読ませてみたが「もう今となっては読めないわ」と言われてしまった。
それでも大切にする理由
ろくに読めもしない本を後生大事に抱えているわたしを奇妙に思う方もいるだろう。
埃臭くて黄ばんでボロボロで、しかも中身は解読が困難なレベルであれば当然の感想だ。
しかしわたしにとってこの本は、持っていることに意味がある。
実際に読むのはポプラ社の児童書版でいい。
今更大人向けの恋愛要素やドロドロがあるルパンを見たくない気持ちもあるが、何よりわたしの手にも頭にも、一番馴染んでいるのだ。
骨の髄まで染み込んでいると言っても過言ではない。
小学校5年生のときには読書感想文に「怪盗ルパン 青い目の少女」を選んだ挙げ句「もしわたしがこの本の世界へ入ったなら」というタイトルで、異世界転生短編小説という名の妄想を原稿用紙20枚にわたり書き綴ったのはその証左足り得るだろうか。
原稿用紙20枚の自称大作を提出して、担任に諦観の笑みを浮かべられた生徒はわたしくらいのはずだ。
前述の通り、アルセーヌ・ルパンに支えられてわたしはどうにか昏い少女時代をやりすごすことができた。
フランスで原作者のモーリス・ルブランが第一作を発表したのは1905年だ。
平凡社版の「ルパン全集」の訳者であり、ルパンシリーズのスタンダードと言われる保篠龍緒は、大正7年から翻訳に取り組んでいた。
ポプラ社版の訳者である南洋一郎はフランスの古書店を巡って原書を手に入れて、児童向けに翻訳に取り組んだという。
購入した当時のわたしは今以上に無知で、深い思考もなく購入したが、ルパンシリーズの日本の祖と言っても過言ではない(何人か該当者がいらっしゃることは重々承知の上で)保篠龍緒の訳本と、ルパン児童向け翻訳の道を拓いた南洋一郎の訳本。
どちらも持っているわたしは幸せだと思う。
当然のことだが、洋書は誰かが訳してくれなくては読めない。
わたしが少女期に現実逃避をして救われた本は、洋書への馴染が薄い時代に奔走した訳者や編集者、出版社があってこそ現代まで存在する。
ライターの世界を垣間見る機会が増えてはじめて気づいたことだ。
先人たちの苦労も功績も計り知れないが、今はわたしの本棚にひっそりといてくれる。
歴史とロマンとたくさんの思いを含んだまま、静寂の中に。
わたしはたまに本棚を見て微笑む。
なんだか、見守られているような気持ちになるのだ。
最初に出会ったわたしの味方、なのかもしれない。
Discord名:綾瀬そら
#Webライターラボ2410コラム企画
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