狂という字は、犭(けもの)の王と書く
詐欺を詐欺と証明する、一つのユニークなやり方は、騙されてやること。その詐欺師が、いつまでも馬脚を現さないとしたら、詐欺師ではないんですよね。
良薬は口に苦く、孔子のような人間でも、60歳を過ぎるまで、人の話を素直に聞けるようには、ならなかった。
非合理な、頭がおかしいとしか思えないような認識が、実は正しいということが、今でもあるんですね。
もし、自分の判断が無謬であるとすれば、とっくに相場で成功しているはずなんですよ。そうでないとすれば、やっぱり、無謬とは言えないんですよ。
中国に『貞観政要』という帝王学の古典がありますが、その要諦は、色んな人に話を聞いてから決めなさい、ということです。同書には、胡亥は視野が狭いから国を滅ぼしたとあって、渡来人である私の先祖は、なぜか、日本では胡亥の末裔を自称していましたから、意識しないわけにはいかなかった。
もっとも、そういう素直さは、さすがになくなりつつありますけどね。
最近、人に教わったのは、意識こそが病だ、というドストエフスキーの一節と、商丘開の話ですかね。
私は運悪く、『阿Q正伝』の主人公、みたいな人ばかり見てきましたから、長らく、無意識を敵視していたのですが、それもまた、胡亥よろしく、偏りであった。
マキャベリは、君主には獅子のような勇猛さと、狐のような狡猾さが必要である、と書いているから、意識と無意識を、自在に使いこなせないと、ダメということなんでしょうね。
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