たまには教祖っぽいことも書いとくか
自前のブログで、政治的な主張を繰り返す人を、多く見てきましたけども、果たして、彼らの希望する世界が、招来された例を、私は知らんのですよね。人を、言葉で動かす力のない人が、こういうことを、いくらやっても、無駄なんですよ。
私は、本を、時にはお金を出して、読んできた人間ですけども、そんな人、あまり多くないじゃないですか。それを、曲がりなりにも、してきた人間っていうのは、目が肥えてんですよ。
『韓非子』の例でもそうですけど、人は、形や重さのないものに、お金を出さないものなんですよ。
人の話は聞かず、読むべき本さえ読まず、ただ、自分の話を、一方的にするだけ。これを、コミュ障と言うんじゃないですか?自分がそういう人間だから、周りもそういう人間ばかりになる。あるいは、投影という形でそう見えるだけ。違いますか?
理想が、あるいは我欲が、さては狂気が、ファクトに勝てるものなんでしょうか?私は、そうは思わないですけどね。
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