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【人生の軌跡】≡【社会人としての始まりに両親の計らい】

【人生の軌跡】≡【社会人としての始まりに両親の計らい】


〆※社会人としての旅立ちに、
*父親・*母親の計らいにより、
🎼大学卒業後に、次男の私は、父親の跡継ぎ
(兄は、東京で就職していた為に)の条件下にて、
東京から(大学卒業後)〜
大阪に(大阪の会社へ入社の為)移動しての、

またもや、コネ就職にて
(大手建設会社=父親の同級生の計らい)

〆※はつらつと、両親からの上から下まで
ブランド品によるプレゼント(スーツ)に包まれて

❗️解放されたかのひと時に、
期待以上の嬉しい気持ちに成りましたが
(これには、両親の下準備からの計らいでした!)

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@つまり、私を就職をさせた上で、
直ぐに退職をさせて(それも、1カ月半の)、
福岡に戻して、父親の跡継ぎをさせる段取りでした

その数ヶ月後に、兄の東京での
(旧赤坂プリンスホテルでの大掛かりな)結婚式が
控えていましたから。

その様な事態は、私なりに、読めていましたが!

❗️知らぬ振りを押し通して
(父親が入院してましたから)

これから待ち受ける!
専門外の仕事内容に目を遣ることに、
時を費やしました!
(建築士・土地家屋調査士・測量士等々の事務所を
開設していましたから)

❗️私が=跡継ぎとして、悩み抜いたのは、
*兄と*私には、自身の道を選ぶには、若き頃からの、
色盲検査=赤緑色盲の判定から
(眼科系の)難点を抱えていましたから、
(現在では、色盲の方は、受験お断りの通達は有りませんが)

兄弟:二人ともに理科系を(父親の仕事がら)
望みながらも父親の跡継ぎには:大きなハンディー
を抱えながらの決心が必要でしたから
(兄は、結婚等の理由付けが上手く)

私は:若くして、
社会の大海原への高所からの飛び込みに成りました

その決心の重きを背負うには、
まだまだひ弱すぎました(但し、その当時は)

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そんな時点で掛かった!
母親からの1本の電話にて、
入社式を終えた会社を退職して
(父親の同級生の副社長から、
実家に帰りなさいのひと言にて)

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何故か、辞表を書く必要も無く、(退職です)

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それからの、凄絶な私の人生は
=もう、no+eにも何度か投稿させて戴きました

兄の結婚式・妹の結婚式・妹の踊りの名取り・
名取り披露パーティー・娘分かれ式・私の結婚式・
父親と私の合作による和風式一戸建て住宅の新築
等々、まだまだ沢山の行事をやり遂げましたが、
終える度に、自分を褒めて遣りました

(^^)前を見るしかない毎日を繰り返しでしたが
投げ出すことなくやり遂げた自分を
誇りに思います!

今は、楽しく〜毎日を過ごしています♪♪

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