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中津での幼少期の記憶

私は大分県中津市に生まれ、中学校までは中津で育ちました

以前お話ししたように、福沢諭吉と縁戚でしたから
家には福沢諭吉関係の書や絵画(福沢諭吉と旧中津藩主奥平公が米国ボストン市
ギルマン・ジョウスチン会社から購入し海外から持ち帰った地球儀やチョッキ等々)、楠木正成の(馬に乗った)人形や古銭(貿易銀・寛永通宝・数千枚の古銭等々)がありました

祖父である辰治の時代に広すぎる位の土地を(塩田・農地)所有していて、
戦後の農地解放により、土地を小作人(その時代)に貸し与えていた為、
塩田以外は、全て没収されました(小作人の皆様に、所有権を渡し)

まだ 私の小さい頃には、
農家の何人かの皆様が採れたてのお米を持って来ていました
・・・その光景を目にした時にはそのような経緯があったと知りませんでしたが

その様な関係から、 自宅には昔の土地権利証(その当時は、まだ地券でした)が
沢山に残っていました

私の父親が 退職後に土地家屋調査士(建築士・測量士)を開業した関係から
各地の法務局員の登記官の方達に、参考の為にと地券をあげていたのです

また、何を考えていたのか、私の亡き母親が貴重な数々の品を何でもかんでも
簡単に知人にあげていました(今でしたら、慌てて止めていたでしょうね!)

話を戻して、祖父が福沢諭吉さんの書いた襖や屏風等々に、丁寧に金箔を貼る作業をしている立ち入り禁止の部屋で、
私はちびっ子仲間でチャンバラをしながら手裏剣を襖等に投げ付けて
遊んでいました

当然、父親から怒られて押し入れに入れられました
そんな記憶を思い出します

また、その当時に流行った喧嘩ごまの紐に大事な古銭をはめて遊んだから、大変!
雷⚡が落ちた苦い思い出があります

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