風の万里 黎明の空 感想考察メモ

全体的な印象について

 物語の構成としては、月影からの主人公陽子、明治生まれの海客鈴、芳の公主祥瓊の三人の物語がそれぞれ並行して語られ、鈴と陽子、陽子と祥瓊、祥瓊と鈴のそれぞれの出会いがあり、そして三人が合流するという構成になっているんだけど、それがロジカルに組まれていて、ごくごく自然に三人の物語が絡み合うようにできているのがすごいと思う。

 物語の構成として完全にエンタメ性を考えられて作られているなあというのが、最新作である白銀まですべて読んだ今の時点での印象でもある。浩瀚という人物に対するミスリード(そういえば虎嘯や遠甫に対するミスリードもあったなあ)や、祥瓊の苦しい場面でみんなの好きな楽俊が再登場するなど、読み手がこう思うだろう、こう読むだろうということを考えて作られているように思う。張り巡らされた伏線がきれいに回収されていく爽快さや、新しい情報が出されて事実が加わるたびに全体像が見えてくる楽しさ、そういう謎解きパズルゲームのようなエンタメ性のある物語だなあと感じる。

 靖共・呀峰・昇紘という悪吏たちが、とても分かりやすい悪であることもエンタメ性が高いと思わせるポイントかもしれない。勧善懲悪な物語は、時代劇のような爽快感があるし、えらい人が身分を隠して悪吏を懲らしめるという構図がまさに時代劇そのもの。ただ、シンプル時代劇ではない、ただ地位の高さに物を言わせた解決ではないところも、また風の万里の良さでもあるんだけど。

 比較して、白銀なんかはエンタメ性が低いと思う。読み手のことをあまり考えていない構成で、とにかく辛い場面が続くし救いがない。しかも、李斎チームが色々苦労してあちこち回った挙句、最終的に再び函養山に戻ってくる展開など、読む方が疲れちゃう。でも、この読み手のことを考えてないエンタメ性の低い物語構成が、白銀の物語をリアルな戴国の歴史なのだと感じさせてくれるところでもあって、そこが絶妙だなあと思う。だからこそ、昇絋たちとは違う、意図がつかみづらい悪役「阿選」が物語にはまるのではないかという気もする。

 つまり言いたいのは、エンタメ性はそれが必ずしも良し悪しの指標ではないけど、個人的には風の万里の作りこまれたエンタメ性が、ものすごく好きですということです(長いよ、ここまで)。

主役三人の相似性

三人の相似性

 風の万里は三つの物語が重なっていく面白さがあるんだけど、それは主役三人の似ているけれど同じではない、絶妙な相似性がポイントになっていると思う。だから、全員女子っていうのも重要なポイントで、誰か一人でも男性が入ると、やっぱりこの物語のバランスは作れない。
 陽子は二人のことを知らないので別として、鈴と祥瓊のそれぞれの陽子への視点の違いが物語の軸になっている。二人とも陽子のことを、見た目の年頃の近い女の子だということは意識しているけど、鈴は同じ海客だと思ってて(実は全然違うんだけど)、「同じ」というところをすごく意識している。対して祥瓊は、自分の失ったものを相手は持っているという、「違う」ところを意識している。鈴が本当は全然違うのに同じであると思い込んでいるのに対して、祥瓊は同じはずなのに違うという目で見ている。この互いに似ているけれど、全然違う女の子たちのバランス感が面白いと思う。

①鈴

 鈴は、陽子が出会う三人目の海客。海客ってのがまず良い(海客好き)。
 原作では特に言及してないけど、アニメでは鈴を迎えに来たおっぺけぺー男が「高崎からは汽車だ」と言っていたので、高崎駅まで歩いて行ける範囲ぐらいの山間の農村が鈴の出身地なのかなあ。渋川くらいだとまだ山間部でもないから、沼田とか後閑とかその辺かなあ。そこから高崎まで一気に歩けるとも思えないので、途中渋川とか伊香保温泉で一泊してそれかから高崎に向かうぐらいの旅程だったのかしら(需要のなさそうなところを掘り下げたがる、私の悪い癖…)。

 鈴は、月影で与えられた海客は数年に一度という結構な頻度で流されてくるという情報の具体的な補足にもなっていて、しかも言葉が理解できないという描写から、陽子と違ってただの海客なんだということがわかる。一見同じ年頃の女の子で同じ日本人(海客)なのに、普通に生きていれば絶対に交わることのない陽子と鈴。似ているのに、価値観も立場も全く違う海客を持ってくるという作りがうまいなあ。

②祥瓊

 祥瓊は月渓による謀反のシーンから始まるんだけど、ここも首を落とされれば王も麒麟も死ぬのだという、月影情報の具体例になっている。しかも、麒麟が死ねば王も死ぬけど、王が先に死んだ場合は違う。これを読者が知っているからこそ、月渓の峯麟への言葉の意味が分かってくるんだよね。それに、ここで何故祥瓊は生かしたのか、月渓の意図が謎として残されるんだけど、そこはまた別のお話ってところがにくいよね~~!!

 祥瓊は、実は鈴よりも陽子に近いと言っていいと思う。王宮内の人間関係のパターンや、細かい礼儀作法を知っているというのは、味方になれば陽子にとってなかなかの強みだし、何より祥瓊本人が自分の強みを理解している。ここが鈴との最大の違いで、祥瓊には結構ちゃんとした戦略があったんだよね。まあ、王の御物を盗んで逃走した時点でなんだそりゃ、なんだけど。王と会うための戦略があったのが、ただ金波宮に行けば会えると思っていた鈴との違いなのかな。

③陽子

 そして、陽子。陽子は王だし主人公なので、物語の中でも、鈴や祥瓊とは一段違う立場にいるんだよね。それに性格も、一人だけかなり男性的な性格をしていて、すでに他の二人とは少し違う感じはある。
 陽子は、出会った時から、鈴や祥瓊に対して自分と「同じ」とか「違う」とか、そういう視点で見てないしね。

 それでも、やっぱり相似性っていうのはあって、陽子がちょっと不自然なほど持ち合わせていない、故郷に帰って家族と暮らしたいという気持ち、華やかに着飾って贅沢をしたいという気持ちを、それぞれ鈴と祥瓊が強く持っている。それは、陽子が意図的に追い出した感情を、外部装置としてその二人が持つような構造になっている。
 陽子が持っていると邪魔になる感情を二人が持っていることで、逆に陽子がそこから解放される。そこでバランスをとっているのではないかと思う。