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「極悪女王」視聴完了!✨何者でもなかった少女が、稀代のヒール・ダンプ松本に覚醒する感動の物語。最後は涙が止まらないほど感動的で、何よりも面白い!剛力彩芽さんのライオネス飛鳥役も圧巻の演技。とにかく見逃せない、オススメのドラマです!📺💖

中学時代は、バスケ部、水泳部に所属していたデビュー前はマッハ文朱の大ファンだった私立大宮開成高校へ入学。高校一年と二年度には補欠ではあるがアーチェリーでインターハイへ出場した同校卒。
幼いころから父親の金銭問題・DV・女性問題などで苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、ビューティーペアに憧れて女子プロレスラーになることを志す
1980年に全日本女子プロレスで本名の松本香でプロデビュー1984年の年明けにリングネームをダンプ松本と変更すると、クレーン・ユウと共にヒール軍団『極悪同盟』を結成のちに加わり一番弟子となるブル中野らとヒールのタッグチームを組み、人気沸騰中だった正規軍「クラッシュギャルズ」(ライオネス飛鳥と長与千種が当時結成していたコンビ名)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切りデスマッチを行った。フジテレビ系列で放送されていた『全日本女子プロレス中継』ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの松永高司会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがあるダンプは松永会長からは生前大変に可愛がってもらったとインタビューなどで度々語っている。
得意技はラリアット。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。
悪役レスラーとしての全盛期は、女子プロレスファンの年齢層が低めで、いわゆるマーク(アングルを本気で信じる若年層)が多かった。そのため、ダンプのアンチが実家に押しかけ、「ダンプ出て来い!」と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを何度も受けた。他にも当時ダンプが購入したばかりの真っ赤な新車のフェアレディZを納車直後に傷つけられる、私物の自転車や原付バイクを破壊されたり、当時の自宅マンションの空き巣被害や街中で罵声を浴びせられる、飲食店や服屋、デパートなどでの入店拒否など、ヒールとしての嫌われぶりは相当で、付いた異名が「日本で一番殺したい人間」であった1985年8月に大阪城ホールで行われた長与との敗者髪切りデスマッチでは、試合終了後に暴動状態となり、500~600人のファンが極悪同盟の選手バスを取り囲んで揺らすという事態まで発展した。ダンプは当時の事を「警備員にまで殴られる始末だった。あの時は本当に殺されるかと思った」と述べている他2023年に中野のYouTubeチャンネルに出演した際にもダンプは敗者髪切りデスマッチに関して「クラッシュギャルズにおける意思統一がなされていなかった」と指摘した上で、「飛鳥に聞いたところ、長与との敗者髪切りデスマッチは勝手に会社に決められた」「セコンドについている飛鳥の顔を見ると、憎たらしいって顔してて。千種のことを可哀そうというよりも、私がやりたかった顔だった」「長与の髪を切る際は、最後まで坊主にしていない」「今思えば、余計に腹が立つ」と述べている
また、『夕やけニャンニャン』の片岡鶴太郎への襲撃(片岡へのドッキリ)、『毎度おさわがせします』に出演する格闘技素人の中学生男子(という劇中設定)らに技をかけたり殴る蹴るといった「女チンピラ」のような役どころの影響で、女子プロレスを知らない層にも「ダンプ=公私関係なく乱暴者」というイメージがさらに独り歩きした。母親に怖い思いをさせたことで一時は悪役レスラーを続けるか悩んだが、当時はまだ薄給だったため、つらい中でも必死で頑張ったという。努力の甲斐あって、徐々にギャラも上がっていくとデビューから5年後には、深谷市に念願だった新築一軒家を購入して母親にプレゼントしている。2019年8月7日にはダンプが幼少時から確執があった父親が逝去した。殺意まで抱く相手であり、50年の間、口を利かなかった父親だが、晩年の入院中に意識が朦朧とした中で「この人は誰だかわかる?」と看護師に問われ「ダンプ松本」と答えたことから、テレビで自身を応援していたことを悟り、和解に至った。これが父との最後の会話となった正確には、その4か月前に父が肺炎で入院していた際に、医師から「持ってあと1週間です」と言われた瞬間、憎しみが消えたという。退院後、認知症の症状が見られた父を介護施設に入所させたが、憎んでいた頃とは全く別人となっていた父と初めて二人きりで写真を撮るなど、父に対する態度は既に軟化していた
母親は、リング上での凶行が演技だと知っていても、暴力的な振る舞いに抵抗を感じており、試合会場へ観戦に赴く際は、怪我をさせた対戦相手の元へ毎回謝罪に訪れていた。そうした行動を執る母親へ「試合中の怪我の事で親が出てくるのは恥ずかしいから謝りに行かなくてもいいからね」とダンプはよく話していたというヒールで世間から嫌われていた為に、母親や妹からは逆にダンプがプレゼントした実家へ1988年の全女引退時までは帰って来ないでとも言われていたという。
当初、リング上でダンプが頻繁に用いる凶器は金属チェーンや鞭だった。しかし、凶器を振り回す際、誤って自らを攻撃し激しい痛みがあったことや、場外乱闘中のアクシデントで「全日本女子プロレス中継(フジテレビ )」 常連ゲストの松岡きっこが指を負傷するといった経験から、現在まで愛用している竹刀へ変更した。ほかにもフォークやハサミ、一斗缶なども試合中には多用した。中継試合ではゲスト出演するタレントを威嚇して無礼な態度をとることが定番だった。しかし、ゲストのガッツ石松はダンプの行為に対して本気で怒り、殴りかかる勢いで抗ったため内心は恐怖で逃げ出したかったが、テレビカメラの前だったため平静を装ったという。また、試合前の入場時や試合後に控え室へ戻る際、テレビカメラマンに対する竹刀での攻撃も定番であった(当時、極悪同盟に肩入れしていたレフェリーの阿部四郎も、ダンプに便乗する形で蹴りを見舞ったり物をぶつけるなどカメラマンを攻撃することがあった)。
凶器を多用した試合内容ではあるが、危険度の高い技の使用は控えている。流血した際は麻酔なしで縫合させられ、ダンプ自身が抜糸を行っていた[15]。食事を共にするなどプライベートでも親交のあったプラム麻里子が試合中の事故で亡くなった際、マスコミに対し「最近危険な技が増えてきていて、いつも危ないと思うことがある。いくら体は鍛えられても頭だけは鍛えることができない」と涙ながらにコメントした。
試合中の奇抜なメイクは、ヒールレスラーでありながら笑うとえくぼが出てしまう可愛らしい童顔を隠すために行っていた。デザインはハードロックバンド「KISS」のコープス・ペイントを参考にしている。コスチューム代は自己負担だった
ピーク時の1試合当たりのギャラは3万5千円。タイトル戦に勝利すると100~200万円を手にし、平均月収は100万〜300万円であった。ヒールキャラがポピュラーとなり芸能活動を開始しバラエティ番組への出演が多くなると、月収500万円の時もあったという全盛期には本業のプロレスと芸能活動のギャラを合わせ年収5000〜6000万円ほどが4年間続いた。しかし、母親のために家を購入後は、普段から極悪メンバーなどの後輩と出掛けた際には毎回全ての飲食代を全額支払い、大好きだったパチンコに散財し全女を辞めるまでに殆ど使い切ってしまったと語っている。現在も親交のある後輩の工藤めぐみは「当時のギャラは現金支給で、支払日に一緒に受け取りに行ったときにダンプさんの給料袋の札束が立つほどに厚くて驚いた」と証言している。
リング上ではヒールに徹するが、リングを降りれば涙もろく人情に篤い性格である。後輩たちの悩みや相談などに対し親身にアドバイスし、引率して飲食に連れて行くなど、親分肌でとても面倒見がよく現在も多数のベビーフェイスの後輩をはじめ極悪メンバー以外からも慕われている。また、レスラー以外にも広く人望があり、多くの芸能人など幅広い交友がある。
ダンプの人柄を表す印象的なエピソードがある。1987年の春、ブル中野や小松美加、コンドル斉藤、北斗晶が、年長の先輩から理不尽ないじめや厳しい指導に対する不満を抑えきれず、青森県八戸市の地方興行中に集団で脱走し、翌日全女の寮へ戻った。そして、先輩たちに気付かれぬよう身を潜めていたところダンプに発見されてしまう。叱責を覚悟し言葉を失っていたところ、ダンプは「おかえり。心配しなくても大丈夫だからね」と優しく声をかけ、皆で思わず抱き合い泣いてしまったという逸話がある。ダンプ自身も、デビュー前や新人の頃、先輩や同期、フロントなどから受けた理不尽ないじめ・しごきに耐えていたと明かしている。後輩には自分が受けた理不尽ないじめ・しごきなどを絶対行わなかったという。極悪同盟としては、悪口・陰口、内緒話、告げ口、人を待たせること、これらの禁止を掲げた
極悪同盟結成以前の全女では、備品や設備の破損を防止する観点から凶器の使用は一切禁止されていたが、結成以降は何を壊しても弁償は求めないから凶器を使ってくれと会社側から要請があった。しかし、不機嫌な際は凶器を用いるパフォーマンスをまったく行わなかった。凶器を使用しなかった意図は、相手レスラーの好感度上昇を阻む目的があった
ダンプは、同じくヒール軍団の一員であった新人時代のアジャ・コングにはあまり目を掛けていなかった(アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周知の事実で、アジャ本人はベビーフェイス志望だった)。ヒール役に対してモチベーションの低いアジャは、ダンプのセコンドだった新人時代、試合中凶器を手渡す際にミスをし、殴られたこともあった。2011年には「自分の中ではダンプさんとは合わなかった」とアジャはインタビューで語っているブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。その際アジャは、希望したベビーフェイスではなくヒールレスラーとして極悪同盟への加入が決まり、渋々取り組んでいたことが普段の態度からも完全に滲み出ていたことに理由があるとして、「自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから」と述懐している[要出典]。古参となった2016年のインタビューでアジャは「当時の自分は考えがまだ子供でダンプさんも極悪同盟も悪役だったから大嫌いで、グループ内で露骨に嫌な態度を取り続けていて他の仲間からは嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。1988年にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した」と、ダンプを敬愛するコメントを出している。しかし、新人時代に極悪同盟を辞めたいというストレスから、禁止されている飲酒をし酔った勢いで先輩達の制止を振り切りダンプに向かって「鬼は外!」と言い放ちかっぱえびせんを投げつけた事があった。翌日ダンプに殺されると思ったが、ダンプは寛容な態度で一切お咎めが無かった。その出来事から15年後の深夜に泥酔したダンプから電話があり、「アジャちゃんはダンプちゃんの事を嫌いだから、かっぱえびせんを『鬼は外』って投げたんだよね〜?」と当時のエピソードをしっかり記憶しており通話中には冷や汗をかいたとインタビューで語っている。
抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの2人はダンプと同期である。長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあった。飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったため、デビュー前から現在に至るまで公私共に親交が深い仲。しかし、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場での会話や懇意にすることは厳禁だった。そのため、クラッシュギャルズファンに二人との仲を悟られぬよう、プライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までクラッシュの2人とは口を利かなかった。また、会社の上役から身に覚えのない互いの悪口を焚きつけられ、一時は長与や飛鳥と険悪な雰囲気になっていたこともインタビューで明かしているこの件は、後年ダンプとクラッシュの2人が話し合った際、会社に仕組まれていたことが判明し誤解が解けたという。また、全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、ファンは要らないと当時のインタビューなどで語っていた。本心はファンに応援されることがとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る際も「暇じゃねぇんだよ!」など、あえて辛辣な言葉を浴びせたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来は優しい人柄で、ファンに声を掛けられると手を振るなどの対応をしてしまうため、「ヒールなんだからそういうのはダメ」とダンプは注意していたという。だが、最初の引退間近の1988年頃から、試合では相変わらずヒールに徹したダーティファイトをしながらも地方興行先では公の場でもベビーフェイス選手と親しげに会話したり、サインや握手、写真撮影などのファンサービスにも応じるようになっていった。
現在は極悪支部というファングループも全国各地に点在し、当時とは異なり「ファンサービスも喜んで応じます」とインタビューで語っている。理想のタイプは俳優の中村雅俊。中村の大ファンであることを現役当時から公言している。
1980年代には、生きたニワトリをハサミで斬首するパフォーマンスを画策したが、生きたニワトリが手に入らなかったため頓挫してしまった

ダンプ松本の半生を描いたドラマ『極悪女王』が、Netflixにて2024年9月19日から配信[20ダンプ松本『ザ・ヒール』: 極悪と呼ばれて - 書評

📖本の概要

還暦&プロレスデビュー40周年記念本!

1980年代、全日本女子プロレスでデビューし、極悪同盟を率いて、クラッシュギャルズとの抗争を繰り広げたダンプ松本。今だから話せる当時の裏話や、本人が抱えてきた心の葛藤や父親への思い。現在からは想像もつかない程の過酷な状況下で、彼女が何を思って過ごしてきたのか。そんな熱くひたむきな思いが伝わってくる一冊です。

【編集担当からのおすすめ情報】
クラッシュギャルズが光なら、その光を色濃く強調するための陰となった極悪同盟。それを率いていたダンプ松本の心の葛藤や、友情、様々な思いが伝わってくる一冊です。リアルなギャランティーの話など、アッと驚く話のオンパレードです。

📖 ブックレビュー
『ザ・ヒール』は、プロレス界で「悪役」として名を馳せたダンプ松本の自伝的な作品です。1980年代、日本のプロレス界を席巻したヒールレスラーの代表格であったダンプ松本は、観客を沸かせるだけでなく、物議を醸し出す存在でした。本書は、彼女のキャリアを振り返りつつ、当時のプロレス業界の裏側、そして「悪役」を演じ続けた彼女の苦悩や葛藤が語られています。

ダンプ松本の生い立ちとプロレスへの道
まず、ダンプ松本の幼少期からプロレスラーになるまでの軌跡が描かれています。本名・平塚 雅人として育った彼女は、幼少期から体が大きく、周囲から浮いている存在でした。しかし、その大きな体格こそが、後に彼女をプロレス界へと導くことになります。女子プロレスラーとしてデビューするまでの道のりには、厳しい訓練や苦しい経験が待ち受けていましたが、それを乗り越え、最終的には一流のプロレスラーとして脚光を浴びることになりました。

極悪ヒールとしての道

ダンプ松本が一躍有名になったのは、悪役レスラーとしてのキャラクターを確立してからです。特にライバルであるクラッシュギャルズとの激しい抗争は、プロレスファンの間で伝説的な試合として語り継がれています。本書では、ダンプ松本がいかにして「悪役」を演じたのか、そしてその裏で抱えていた内面的な苦悩が詳述されています。彼女自身、「ヒール」という役割に対して本当の意味で葛藤していたことが、本書を通じて明らかになります。特に、リング外でファンからの誤解や非難を受け続けたことが、彼女の精神的な負担となっていたことが強調されています。

プロレス業界の裏側

また、本書では、当時のプロレス業界の厳しい現実や、興行の裏側についても触れられています。ダンプ松本は、華やかな表舞台とは裏腹に、選手同士の激しい競争や、マネジメントとの確執、さらには身体的な負担など、プロレスラーとしての苦労を赤裸々に語っています。特に、彼女が何度も重傷を負いながらもリングに立ち続けた理由や、その決断の背景には深いプロ意識があったことが、読者に強く伝わってきます。

引退後の人生

現役を引退した後のダンプ松本の人生も、本書で詳細に語られています。引退後、彼女は一般社会での生活に戻ることになりますが、プロレスという特殊な世界で生きてきた彼女にとって、それは決して容易なことではありませんでした。特に、悪役という強烈なキャラクターを演じ続けたことで、一般社会とのギャップを感じたことや、周囲からの誤解に苦しんだことが、引退後の彼女の生活を大きく左右しています。

本書を通じて、ダンプ松本という人物が単なる「悪役レスラー」ではなく、一人の人間として、プロレスに対する情熱と使命感、そしてその背後にある孤独と苦悩を抱えながらも戦い続けたことが深く描かれています。

本の評価 ⭐️⭐️⭐️⭐️
『ザ・ヒール』は、ダンプ松本のキャリアと人生を知る上で貴重な記録であり、プロレスファンにとって必読の一冊です。その評価は、以下の観点から行います。

強み
1. リアルな視点からの描写
  本書の最大の強みは、ダンプ松本自身の言葉で語られる、リアルで率直な視点です。彼女が経験したプロレス業界の裏側、ヒールレスラーとしての苦悩、そして引退後の社会復帰の困難さが、非常に生々しく描かれています。これは、単なるファンブックやインタビューでは味わえない、当事者だからこその重みを持った証言です。特に、当時のプロレス界における選手同士の関係性や、過酷なトレーニングの実態、マネジメントとの確執といった具体的なエピソードは、一般の読者にも興味深い内容となっています。

2. 悪役としての内面的な葛藤

  多くのファンは、ダンプ松本を「極悪レスラー」として認識しているかもしれませんが、本書ではその裏にある内面的な葛藤がしっかりと描かれています。悪役を演じ続けることのプレッシャーや、ファンからの誤解に苦しんだ彼女の姿は、多くの共感を呼ぶでしょう。また、「ヒール」であることが彼女自身のアイデンティティにどのような影響を与えたのか、その心理的な側面も深く掘り下げられています。

3. プロレス界の歴史的価値

  ダンプ松本が活躍した時代は、日本のプロレス界が黄金期を迎えていた時期であり、その中でも彼女の存在は特異なものでした。本書を通じて、当時のプロレス界の情勢や、ライバルであったクラッシュギャルズとの抗争が、今一度鮮明に蘇ります。このため、本書はプロレス界の歴史的な記録としても大きな価値を持っており、後世のプロレスファンや研究者にとっても貴重な資料となるでしょう。

弱み
1. 視点の偏り
  自伝的な性質を持つ本書は、当然ながらダンプ松本自身の視点に基づいています。そのため、彼女の主観が強く反映されている部分も少なくありません。特に、彼女のライバルや業界の他の関係者との関係については、必ずしも客観的な視点で描かれているわけではなく、読者はその点を考慮して読む必要があります。ダンプ松本の語り口が強烈である分、他者の視点や異なる意見がほとんど取り入れられていないことが、やや一方的な印象を与えるかもしれません。

2. 特定の読者層に限られる内容
  本書の内容は、プロレスファンやダンプ松本に対して強い興味を持つ読者にとっては非常に魅力的ですが、一般の読者にとってはやや専門的で、感情移入が難しい部分もあります。特に、プロレスの試合や業界の内部事情に詳しくない読者にとっては、細かい描写や用語が難解に感じられるかもしれません。これにより、一般的な自伝として読むには敷居が高い側面があると言えるでしょう。

📖著者の目的や視点

ダンプ松本の目的は、彼女のキャリアを振り返りつつ、プロレス界での「悪役」という役割がいかにして彼女の人生を形作ったのかを伝えることです。彼女自身が語るヒールレスラーとしての内面的な葛藤や、プロレスに対する情熱は、本書を通じて明確に伝わってきます。また、彼女は自身の過去を振り返りつつ、悪役としての生き方が必ずしも悪であるわけではないことを、読者に伝えようとしています。

彼女がプロレスに捧げた人生は、多くの読者に感動を与えると同時に、悪役としての生き方がいかにして彼女の中で一つの美学として確立されていたのかを理解させるものです。

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