1999年から2003年までの阪神タイガース その⑯
「阪神は必ず強くなる」
軍団の一人、大鍋がこう話した。
みんな真剣な表情になった。
2001年。
阪急東通りの酔虎伝。
二次会でひたすら大暴れした後だ。
この日は朝まで語った。
タイガースは野村監督。
若手が確実に育っている印象にあった。
タイガースが優勝したらどうする?
タイガースが優勝したら大阪はどうなる?
タイガースが優勝したら世の中はどうなる?
みんな、タイガースが優勝したら絶対に飲み交わそうな!
一生タイガースファンでいよう。
16歳の高校生の僕。
周りは20代〜30代半ばの大人だ。
みんな目をキラキラ輝かせていた。
実際に二年後の2003年。
阪神タイガースは優勝し、
日本中でフィーバーが巻き起こった。
世の中が少し、輝いて見えた。
高校生の僕にとって、
野球場は魅力的だった。
甲子園、そして阪神タイガースが無かったら。
軍団のみんなとも知り合っておらず、
こんな非日常な体験も出来なかっただろう。
高校生だったあの頃。
世の中を今よりも真っ直ぐに。
素直な心で見ていたと思う。
人はみんな平等なものだと信じていた。
だが、それは残念ながら違う。
世の中は競争。ドロドロとしたものだ。
当時の甲子園球場は半端なくガラが悪かった。
目を覆いたくなるような人間、
私生活では絶対に絡んではいけないような人間も沢山球場に来ていた。
しかし、球場に来れば性別も学歴も国籍も職業も関係ない。
ただ「阪神タイガース」を応援する。
勝利後は二次会に酔いしれる。
それだけだ。
社会で生きることに不器用かもしれないが、
応援の一体感と二次会で発散されるエネルギーは凄かった。
こういった光景。
学校や社会で学べる機会は無いだろう。
あの頃に比べると球場はクリーンになり、
客層も随分と変わった。
SNSが普及し人の価値観が変わり、
ヤジや替え歌まで議論される時代となった。
あの頃球場にに来ていた人たちは、
もう全く見なくなった。
実際に僕も球場へ足を運ぶ事は少なくなった。
あの頃の甲子園の猛者。
野球しかなかった。
その中で成り立っているルールを無理やり変えられ、僕らは応援を奪われた。
2004年以降、私生活は随分とつまらなくなった。みんな別人のように冷めている。
でも、這いつくばって生きている。
今年の阪神。十分強い。
もし優勝したらどうなるんだろうな。
僕の目から
涙は流れるだろうか。
「生きててよかった」
そう思えた。
2003年9月15日。
ライトスタンド48段86にて。
続く