1999年から2003年までの阪神タイガース その㊺
僕らの二次会は全盛期を迎えた。
経験した事のない高揚感を目に涙が流れた。
2001年の事だ。
新庄•大豊•タラスコ。
70本のホームランがチームから消えた。
チームはドン底。
スター不在のタイガース。
その裏で僕らの場外二次会の熱量は最高潮に達した。
最高潮の二次会は数々の名言を生み出し、
後世に語り継がれた。
平日に弱いタイガースを応援しに来る猛者たちの偏差値はとてつもなく低く、汚く、醜い。
しかし、その熱量は常軌を逸していた。
アイパーは2001年もホームゲームは忌引を除き皆勤。
60試合以上、全て外野で観戦し
300人以上が集まる二次会のイニシアチブを執った。
勝った!勝った!また勝った!!!
21号門前のお立ちに登るアイパー。
親衛隊が周りを固める。
アイパーの一声で、古参の熱量は最高に達した。
ヒッティングマーチからスリーコールへとシフトする。
腹筋が崩壊するレベルの笑い。
声量、センス。
言葉のチョイス。
不衛生な顔面。
讀賣の選手は『海坊主』と揶揄した。
警備員や球団職員まで笑いに巻き込むボルテージはアイパーにしか出す事は出来なかった。
見事だ。
本当に見事だった。
社会から阻害され、拒まれ、恨まれた男。
生きる事に不器用な男。
漢字の読み書きもまともに出来ない発達障害は
タイガースの場外二次会で美しい華を咲かせた。
人を纏めるという事は容易に出来る事では無い。
アイパーは古参の各々の性質を把握していた。
何を言えば高揚し、熱量は最高に達し、締めにどうチルアウトするか。
みんな色々とあるやろ?
面倒くさいよな。生きるって。
けどな。。。
今夜だけは、騒ごうや
僕にはそう聞こえた。
アイパーは暗黒を脱する翌年までの礎を築き、その名を全国区とした。
東の古参も、西の二次会もなかなか面白いらしいと声に出すようになる。
僕らはいつしかアイパーの事を『団長』と呼ぶようになった。
二次会のリーダー、団長。
ホームを纏めた男。
大阪ドームも西京極も行くぜ?
球場に行くのが本当に楽しく、
毎日を過ごすカンフル剤となっていたのは間違いない。
この頃の二次会の常連は沢山の名言を世に生み出した。
2001年。
忘れられない年。
奇しくも2001年はアイパーの全盛期のキレを発揮した最後の年となる。
チームはドン底だったが、
二次会は全盛期。
誰よりもタイガースを愛し、支え、
あきらめる事など無かった。
雨の日も風の日もタイガースを支えた猛者たち。
フィーバーで掻き消されるまであと少し。
アイパーは2003年に跡目争いに巻き込まれ二次会から消える事となる。
あの頃の猛者共へ。
間も無く球場で騒げなくなるよ。
もたもたするな。
行ける試合は
絶対に行っておけ。
野球場でのルール。
それはグラウンドの中だけでなく
外野席、いや、
球場の外まで変えてしまった。
誰でが気軽に行け、隔たりの無かった野球場は
宮殿に生まれ変わり、大きな城壁ができ隔たりを作った。
野球場での魅力って
一体どこにある?
続く
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