花粉と歴史ロマン 波浪が示す海底地形
1 自然と環境
遠浅の海岸から繰り返し寄せくる波を見ていると、その複雑な様相がどのように形成されているのか?わからないままでした。ところが、九十九里町誌に引用されていた、辻村太郎氏の解説によって、雪に湯を注ぐごとく氷解?しました。
そうだ!航空写真で確かめよう!
私が類推したことは、「海面下には浜堤の元になった堆積が列状にあって、沖から吹く風から寄せてくる波はこの高まりを超えるときに飛沫をあげ、次の高まりに向かい、減衰しつつ再度、高まりを超える時に飛沫を上げ、岸に向かいながら消滅してゆく。」この線状の高まりが3〜4列海底に形成されていると考えました。
時折、この岸に平行に生じる波浪が絶たれているのは、高まり部分が不連続なって、分断されていることの反映でしょう。岸の砂浜にもわずかな高低が、乾いた部分と湿った部分に示されています。
2 生活者の眼
科学者の観察に匹敵するほどに、砂浜を生業の場としていた人々の言葉には、正確な観察眼が重なりました。以下、九十九里郷土研究会の木島里八氏が作成した 漁事関連方言語彙集より、海岸地関連の用語を列記します。
* イナゴデ:海岸の白砂地内の微高地(ヤツとも)
* イナンゴ(イナゴ):砂浜、白砂地
* オンノウチ:波の折るところから海辺までの間(ナマとも)
* カザゴ:風にともなって海面におこるコナミ
* オキモノ(ン):沖から吹く風
* オンノウシロ:波の折るうしろの沖
* キタゴチ:北東風
* キラナギ:大凪 ベタナギとも
* クロッカ:間潮帯
* コチ:東方 風
* コバ:小波
* コミサカ:潮流 逆潮が岸へ向かって流れること
* コミマショ:岸へ入れ込む真潮
* サカショ:逆潮のなまり、北から南へ流れる潮流
* タカンカゼ:陸の方から吹く風、西風
* ダシサカ:逆潮を沖へ払う潮流
* ダシマショ:真潮を沖へ払う潮流
* ドテツィテル:払暁の東天に雲が横にかかっている状態 風の吹く前兆
* ハマンウラ:浜の裏の 海辺・海岸
* ベタナギ:よく凪いだ状態
* マショ:真潮のなまり、南から北へ流れる沿岸流
* ミヨ:澪(ミオ)のなまり
* ヤツ:海岸の第一砂堤
* ヤリアゲ:荒れて満潮時の潮位が著しく高くなる現象「ヤリアゲがツェー」という
* ヨツクラ:四倉港(いわき市)で使われていた生イワシ運搬用の木箱
* ヨブ:干潮時に現れる瀬と瀬の間の深み、汀線に並行して生ずる
* アゲショドブ:満潮の最高潮
以上の言葉は、海岸を生業の地として共有する人々が効率よく仕事を進めるために使われていたものと思いますが、具体的な環境把握が現実に必要だった時代、鮮明な情景が浮かび上がるようです。
3 サーファーから聞いた話
サーファーはウェットスーツから地元では「クロットリ」と呼ばれていました。そのサーファーに聞きました。ボードに乗るのは沖合にできる最初の波浪からだそうです。そこは、沖合でも足がつくほどの浅さで、波をとらえられるそうです。
4 集落の成り立ち
辻村太郎氏の「地理学序説」. 1954. には集落の記述がありました。
第六章地形と集落
海岸平野の浜堤列として、九十九里海岸平野は典型のようですが、浜堤列の中間にある低地に沿って小河川が形成されたことも、この地域の用水路が海岸にほぼ平行に配置していることからわかります。以下、明治期の低湿地です。
江戸時代の新田開発に伴って、水源となる作田川から引き込む用水の使用に関しては、争いも起き、この争いの和解を記念した「関万歳」のお祭りが続いています。
5 松露
大正8年(1919年)11月19日 芥川龍之介の書簡(滝井孝作 宛 ハガキ)
和菓子 松露はお馴染みのお菓子でありながら、キノコを模したものであること、今回知りました。九十九里海岸に限らずマツ林の下生えに発生するこのキノコは、和製トリュフとも呼ばれる高級キノコ、芥川龍之介は一ノ宮館に滞在していたこともあり、このキノコを知っていたのでは?この句に合わせて、もう二首添えられています。
いずれも日が短くなった冬の寒さを謳ったものですが、松露の収穫もこの時期行われたのでしょうか?
https://www.sansai01.com/category5/entry8.htmlによれば、夏の暑い時期を除く時期が旬とされていました。現在では幻のキノコだそうです。
芥川が滞在していた一ノ宮の海岸付近では、マツ林の斜面に、松露が出ていたようです。大網白里ではショウロではなく、ヒョウロと呼ばれていたそうです(隣人より聞き取りました)。同時に、ソウメンダケも取っていたそうです。