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花粉と歴史ロマン その19 紙幣に描かれた花粉
1 スウェーデンの紙幣
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旧100クローナは、2000円程度の価値で流通量も多いはずで、スウェーデンの人々にとって、カール・フォン・リンネ(1708〜1778)は常に目にする人物になったはずです。紙幣の表側の植物は、雌雄異株のように見えます。また、裏側には雄蕊が合着した構造がありますが、植物名は不明です。
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2 ところが、Bunaさんから、
有力情報がもたらされました。
西村三郎著「リンネとその使徒たち」に、リンネの著書「植物の婚礼」で使われた挿絵と説明文には、確かに、紙幣の植物図の原型ともみれるスケッチがあり、説明文には、ヤマアイ属の一種を描いたもので、右側が雄で左が雌とありました。
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ヤマアイ(Mercurialis lepiocarps Sieb.et,Zucc)は、Bunaさんと長崎県の対馬に調査に出かけた際に、和多都美神社裏の社叢で教えていただいたものでした。Bunaさんのブログをぜひ、ご覧ください。(http://forestplant.blog.fc2.com/blog-date-201904.html)
このヤマアイ属の属名Mercurialisは、ギリシア神話のメルクリウス(守護神)から由来したものとあり、俗名はDog's mercuryとあります(以下、「〜」部はLeader's Digestからの訳です)。
なんのことかと、意訳すると。「動物も人間も同様にこの植物に注意しなければならない」。ふーん、「それは極めて毒だから」。えっー。後続の説明文には、「森林の林床植物や生垣の下を覆いに多量に見られる。また、その悪臭によってその存在を騙す」とあり。どうやら繁殖力に優れた先駆的な植物らしい。
その臭いの目的は?「林床や生垣の下を這うブヨ類をひきつけ、雌株に受粉を促すこと」だそうです。Bunaさんの説明では、雌雄がそれぞれクローンを作って広がるため、雌花ばかりのパッチでは雄花からの受粉がより困難になったことから、昆虫媒介の方向を進んだのではないか?林の下層は風の力も弱まるからか?
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さて、「野生動物は通常この植物を避けるそうですが、家畜がこれを食べると、数週間はぶらついているが、死んでしまう。これが、ローマ人の商いの神様であるMercuryに繋がった」ようです。さて、さて、「その植物の俗称は、中世では価値のないもの、あるいは犬用から来ている。」 日本でも、「犬」は、「犬死」など「無駄な」と同義の形容詞として使われるので、共通の語源があるのか?はたまた明治期の翻訳からきたものなのか?新たな疑問が浮かびます。
いずれにせよ、人にとって有益ではない理由として、複文の後半「1年生の同属の植物からは浣腸や吐瀉に寄与する薬剤として用いられており、これとの比較において、」と続くところから、1年生のものには価値があるようです。それでも、「実際、多年生にせよ1年生にせよともに危険である。」となり、「17世紀になると、この植物以上に致命的な危険な植物は我が国(英国)に自生するものはないと植物学者のNIcholas Culpeperが言った」。とあり、どちらも危険もしくは無益だと結論か?と思いきや、
「驚くことに1年生のMercuryは、ドイツではかつて野菜であった。その毒性は葉を煮沸することによって取り除かれると思われていました」と続き、なおも、「1年生のものはしばしば庭の雑草として現れます。」「その年の内に枯死しますが、たくさんの種子を残し、その種子は数年にわたって毎年、土壌中から再出現するのです」と厄介者扱いで閉じています。
回り道をしてしまいましたが、ヤマアイが人間にとって注意を喚起させるだけの強力な個性(雌雄異株、種子生産力、発芽能力、毒性、悪臭)を持っていたことが、リンネの「植物の結婚」に取り上げられた背景になったのではないかな。と思います。
3 ヤマアイの花粉
ヤマアイの花粉について、「日本産花粉図鑑」(三好教夫・藤木利之・木村裕子[著])によれば、「長球状で、等極性で、3溝孔型、外壁の彫紋は微穿孔状紋が覆う」とあり、昆虫媒介に特化した器官がない。また、「溝は両極近くまで伸び、あまり広く開かないために孔は確認しにくい」とあり、いわゆる溝孔型であるが、堆積物中から検出するための特徴はないでしょう。
形態に特化した器官を持たないことは、イネ科のように花粉形態の単純化を説明する逆説的な特徴ですが、イネ科の場合は風媒に適した多量の花粉を生産する能力が残されています。一方、花粉生産力は少ないと見えるヤマアイは、無性生殖と有性生殖の能力を維持しつつ、臭いによる昆虫媒介の方向に進化した植物にとって、形状よりは化学物質生産に特化したのかも知れません。
4 韓国紙幣 50000ウォン(サイムダン)
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ブドウとナスがモチーフになった、細密画をよく見ると、リンネの紙幣と同じような細かな円が描かれています。ひょっとして、更に裏面を見ると、同じように描かれていました。花粉ではありません。残念でした。植物の精密画に科学的な知識が加わると、更に鋭い観察力が発揮されたかも知れません。
5 日本の植物学者として将来の紙幣
分類学の父と言われた、リンネは生物名を、属と種小名を組み合わせた二名法を考案し、人為的な分類基準の客観化を目指しました。
将来紙幣に登場する代表として、日本ならば、理学博士「牧野富太郎」さんが適すると思います。牧野富太郎は、図鑑に「結網学人」と号しています。「釣り人の脇で、釣果を羨むより網を編むことの大切さ」を意味する漢書にある言葉(参考:礫川全次HP)を引用されており、哲学的な総合力の豊さを感じます。
私ごとですが、高校入学前の春休みに1週間バイトした4500円で「牧野新日本植物図鑑」を手にした時、表紙に続くページに著者の93歳の学者の姿を見て、圧倒的な学者の重みを感じたものです。
牧野植物図鑑には、原色少年植物図鑑、学生版があり、カラーの少年版は植物美の世界への入り口でもありました。今回、学生版の図中に、花粉のスケッチを探したところ、拡大図を付した8種類の中に、エビネ(ラン科、花粉塊)、アズマシロカネソウ(キンポウゲ科)、ヤマザクラ(ばら科)、セイシカ(つつじ科)の4種に花粉が記載されていました。小さなスケッチの中で、つつじ科のセイシカ(Rhododendron ellipticum)には、4集粒と粘着糸が表現されており、彼の眼が花粉にまで届いていたことがわかりました。
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リンネが好んだリンネソウの場合、学名はLinnaea borealis ですが、属名はリンネの名に因んでいます。
「Gronoviusがその師,Carl von Linne(1707-1778)に捧げたもの,ラテン語化してある。リンネはこの花がすきで、愛用の器にはこの花が描かれていた。スイカズラ科」とある。種小名(borealis)「北方の」を意味します。
リンネソウはスイカズラ科の「常緑小低木で、茎は長く地上をはい分枝し、高さ5〜10cmの直立した花枝に頂生、2花ずつ下向きに咲く」。英名では「Twin flowerと呼ばれています。耐陰性のある植物で、自然林の伐採によって希少種になっている」ようです(Wild flowers of Britain, READER'S DIGEST)。
また、英国の植物相の歴史(H.Godwin,1975)によれば、英国では約1万年前の最終氷期晩期の高緯度地域の堆積物から花粉が産出しています。スカンディナビアの北部では大変普通に生育していますが、英国では東部スコットランドの標高730m付近に稀に見られるそうです。
この他、英国には、リンネの名を冠した「リンネ協会」があり、花粉学の専門家の集うグループ(Linnnean Society Palynology Special Group.)がキュー植物園を中心に活動しています。日本の花粉学会との交流が1994年から始まり、研究論文の英文査読など協力を受けております。