花粉と歴史ロマン その16 海を越えた花粉と胞子
1 マオウと相馬先生
マオウの属名(Ephedra)は、「ギリシア語からきた女性名詞で、 epi(上)+ hedra(座)で石の上に生じるためという」(牧野植物図鑑 学名解説)。
なお、頭痛薬の「エフェドリン」は、生薬“麻黄”の成分であり、葛根湯に含まれているという記事がありました。(参考:証クリニック 「暮らしと漢方」https://www.akashi-clinic.cpm/kurashi/017html).
マオウの分布域を示す、図(堀田 満:植物の分布と文化、三省 堂、p.216)を見るとロシア、最大の淡水湖バイカルの中央部は含まれていません。
1997年 バイカル湖調査(後述します)で湖の東側に流入するセレンガ川の下流域で撮影することができました。(表紙のバイカル湖東岸のセレンガデルタ北側から)
2 大陸内部からの偏西風に乗って
大陸内部から偏西風で日本に運ばれたマオウの花粉が、日本で検出されたのです。
マオウ(麻黄)属の花粉は、スターフルーツのような紡錘状の長球体であり、縦軸にそって波状の模様があり外形から2種類に分類できるようです(POLLEN
ANALYSIS 2nd edi.1991)。下図の詳細なスケッチは、光学顕微鏡像を元にしていながら、走査型電子顕微鏡像観察ができなかった時代、ここまで立体観を組み立てた観察力には圧倒されます。
この花粉は、日本各地で発見されますが、日本で初めての検出者は、東北大学の相馬先生でした。
Sohma, K.(1965): Ephedra pollen from the Tertiary sediment of Japan.Scii.Rep. Tohoku Univ.ser.4(Biol.)31:243-246.
相馬先生が発見された経緯(那須先生の記事)の概要を引用します。
3 相馬寛吉先生 植物分類学教室
青葉山理学部の生物棟の6階にあり、同じ階に同居する生態学教室と深い関係がありました。特に相馬先生は、花粉の形態学を専門とされており、恩師中村純先生とは学生時代が重なっていました。当時、分類学的な立場から私たちの指導を担当されていました。
研究室では勉強会も開かれており論文紹介後に飲み会も行われ、相馬先生のお人柄に触れることもできました。また、植物分類学教室には、いつも白衣姿の穏やかな木村中外先生がいらっしゃって、廊下でイノモトソウについて質問したとき、ふと「僕はイノモトソウが好きなんだ」と話してくれました。イノモトソウの葉身は単羽状葉で頂羽片があり、シダの中ではすっきりとしたスマートな形は独特です。
こうした会話ができる場に身を置けたこと、幸せでした。
相馬先生には、1992年の国際花粉学会(フランスIPC)の、フランスアルプスへのエクスカーションでご一緒できたこと、懐かしく今でも感謝しております。
さて、この、マオウの花粉が、最近の私の分析結果にも産出していました。
長崎県対馬の約3000年間の植生変遷の中で、不連続ながら2回産出しました。この量では考察を深めることは困難ですが、検出されない時代も含めて、常に中国大陸からの偏西風にはマオウを含む微粒子が含まれ日本列島に到着しているものと考えられます。
将来、莫大な量の花粉胞子の分析処理が進めば、わずかに検出された花粉であっても、その消長が定量化され、大陸の乾燥地の拡大・縮小との関係の考察が可能になるかもしれません。現在、PM2.5で捕捉されている微粒子に花粉データが加味されれば、環境変動の解析の指標となることでしょう。
4 「弥生時代の台風」
那須孝悌氏の論文(1977)には、日本には分布していないシダ植物の胞子化石の発見をもとに、先史時代の台風の痕跡を推定した内容が記されています。以下、二つの論文の概要を引用させていただく。
マオウと異なり、季節風の可能性よりも台風の可能性の高さに言及されている考察に惹かれました。
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