花粉と歴史ロマン その12 銚子へ
銚子半島は、屏風ヶ浦と呼ばれる断崖が太平洋の荒波に侵食されながら、房総半島の地質学的な歴史を見せてくれています。
1銚子の花粉と種子
花粉分析は、計画段階からサンプリング、サンプルの化学処理とプレパラート作成、顕微鏡観察、花粉組成の統計処理、グラフ化、考察へと続きます。
通常は、そこで終わるのですが、銚子の堆積物には花粉が少なく、数回の処理を繰り返しましたが、それでも十分な花粉量を抽出することができませんでした。
2 機械ボーリング
銚子の分析地点には先行研究があり、広く評価されているようでした。ただ、光学顕微鏡では識別が難しい花粉が、同定されており、何とか自分の研究として挑戦してみたかったのです。機械ボーリングの費用はかさみますが、業者の方に事情を説明したところ、大変なご支援をいただきました(C開発(株)千葉支社様、改めて御礼申し上げます)。また、サンプリングの土地の地権者は、勤務先の学生が紹介してくれる幸運もありました。
なのに、分析が終了した段階で、十分なデータが得られませんでした。これでは、結果になりません。どうすれば良いのか?
花粉が含まれていないサンプルを、捨ててしまうことができません。
捨てるのであれば、花粉以外の有機物を探し出そうと、500mlのビーカーに入れ水で撹拌したところ、何種類かの種子が肉眼でわかりました。さらに、底の方から浮き出てきたものがあったのです。
3 オニバスの花粉と種子との出会い
それが、オニバスの種子でした。これは、そのまま年代測定のサンプルとなり、約8,000年前のものと判明しました。「捨てる神あれば拾う神あり」で
犬吠埼の西方、愛宕山の北側に位置する高神東町の低地は、縄文時代は内湾(古高神湾)であり、さらに古い寒冷期は内陸部の池であったところです。地下20mまでの砂質を中心とした堆積物には海水と淡水が交互する環境変化が認められ、ほぼ1万年間の自然史が記録されているのですが、海成層には花粉が少ないのです。
4 植生変遷の新たな課題
1万年前から8000年前にかけて周囲の森はニレ属やケヤキ属を主とする落葉広葉樹の森が広がっていたと考えています。その中には、ウコギ科やアカメガシワ属の花粉が産出しており、先駆的な低木林が分布していたようです。日本各地で分析された花粉帯を見ても1万年前以降の温暖化する時代にニレ属・ケヤキ属の多い層準が共通しています。現在、ハルニレが河川の撹乱に結びつく樹種であること、ケヤキが光に対する要求度の強い陽樹であることから、地形的に不安定な時代であったと推測しています。また、水生植物の種子(イトクズモ属、マツモ属の種子やミツガシワ属の花粉)も発見され、冷涼な東北地方の気温環境が想定されました。
落葉広葉樹林期の後、わずかながら温暖な地域に生育するシイ類(ツブラジイ型)がSEM観察の結果わかりました。また、カシ類の花粉も産出し、温暖な地域との移行的な森林が拡大してきとも考えられました。ただし、海水が侵入してからの砂質堆積物には花粉量が激減し、十分な情報が得られませんでした。この他、銚子地域では潮風に耐性の弱いカシ類の顕著な発達はありませんでした。
地表撹乱の履歴は、急傾斜地の多い地域ではモミなどの針葉樹の増加によって認められる場合もありますが、平坦な地形が卓越する銚子地域では地表の撹乱は局地的に制限されていたようです。下の写真(上)は名洗漁港南側の不動尊の裏手のソナレマツムシソウと(下)は北側の崖から採取した約2000年前の地層から産出したソナレマツムシソウ属の花粉です。この花粉も厚い外膜に特徴があり、草原植生成立の指標になるはずですが、詳細は不明です(花粉と歴史ロマン その13へ)。