安泰は、衰退?
「安泰は、衰退?」
会社を辞めるきっかけとなったフレーズの一つです。
「安泰」とは?
おだやかで無事なこと。不安や危険のないこと。また,そのさま。
と書かれている。
私たちは、生きていく中で何を目標にしているのかというとやはり「安泰」を得る目的として仕事や我慢をしてきているのではないのか。
という結論に至る。生きる目的として決してこれだけではないのですが。
今いる会社では、それなりの役職と収入、仕事の自由などが利いて周りの方たちと比べるとかなり裕福だと思う。
この状況は、一般的に言えば現状維持していくと老後も安泰だろうなと思いがちになるが私は、反対に50歳にしてすでに「安泰」な生活が続けば、人間の成長や生きがい、やりがいが果たして得られるだろうかと不安になった。
人によっては、同じ50歳でも「もう、50歳なのだから」という人と「まだ、50歳なのだから」と二通りの考え方があると思う。
前者の方は、きっとこの安泰の生活を維持してのんびり生活していくのだと思う。それも良しだと思う。
でも、私は、ここで自分に終止符を打つということが府に落ちなくて「馬鹿なやつだな」と思われるかもしれないが思い切って今の「安泰」から脱してみようと考えた。
私にとって「現状維持」は、衰退の始まりだと思っている。
なぜなら、現状維持は、今を維持してそこに発展もなければ成長もない。いわゆるバージョンアップしないパソコンと一緒になるということ。
時代は、文明の発展と進化によって大きく変化し続ける。
私たちも同時に進化、成長していかなければどんどん時代に置いて行かれるということになる。
そのためには、あえて渦中に飛び込んでいくモチベーションを持ち続けなければ、いつか置いて行かれると考えてしまうのです。
なのでテーマにあるように「安泰は、衰退か?」というフレーズが生まれた。
周りからは、こんな恵まれた環境から自ら飛び出すなんておかしいんじゃないかと思われてもしょうがないのかもしれないけれど、自分の人生につまらない時間は、あまりにももったいないと思っている。
せっかく、この時代に生まれてきて世の中に勝負できる環境があるのだからただ生きるのではなく、日々、自己の成長につながる時間を有効に使い、成長した自分を世の中を相手に闘う、挑戦、挑むことでそれが「生きがい」「やりがい」になるのではないだろうか。
私は、そんな生き方をしたいし、これまでも自分に正直に生きてきたつもり。ここで「安泰」を選んで毎日、のほほんと過ごすのもよいが今は、まだその時ではないと思う。
もっと世の中のために何かやれるはず。もっと自分を成長させることができるはず。と思う。
いつも、仕事をするうえで「何のために働くのか?」という疑問にぶち当たったときこう考える。
「死ぬまでにどのくらい自分を高められるか?成長させられるか?どれだけ人格者に近づけるか?」と思って生きる意味を再確認する。
生きる目的が、地位や名誉、お金になるとろくな人生にならないと私は、思っている。
結果は、後でついてくるもの。
お金を追えば、お金は、逃げていく。
地位や名誉を追えば、地位や名誉は、遠ざかっていくと思っている。
だからこそ目先の得に振り回されないよう常に自分の身を底辺(大変なところ)に置くようにしている。
安泰、裕福なところに身を置きすぎると大切なものが見えなくなってしまう。そうならないよう自分の身を安泰な場所に置かないようにする行動も大事であると思う。
すべての人が「安泰は、衰退」とは、限らない。
ただ、私の生き方としてそうなってしまいたくない。という理由で書いてみました。
多分、自分の性格上、命尽きるまで何かしらにチャレンジしていくんだろうなと思う。
きっと、何もない平和な生活は、自分にとって合わないのかもしれない。