『ゲイ』をコンテンツ化するゲイって

最近ちょっと違和感を感じていることを書いてみる。
結論まだうまく言語化できていません。。。

ここ5年くらいで世間に『ゲイ』のコンテンツをよく見るようになった。
Netflixの恋愛リアリティショー、カップルゲイYoutuber、セクシャリティをオープンにしているモデルなど、世間的に「この世界にゲイがいること」がオープンになってきているように感じている。

もとより俺もゲイなので、ゲイのコンテンツが増えるのは賛成派ではある。

けれどもどこか違和感があって、このモヤモヤは、今までになかったことが新たに生まれていることに驚いているからなのかもしれない。

題名にゲイゲイたくさん書いて、
「少しでも共感してくれる人がいたらいいな~」とか、
「ゲイである自分を、回りから認めてもらいたい!」とか、
「ちやほやされたい!」とか、
そういう想いが俺にもある。

自分のアイデンティティを周りに知ってもらったり、
自己承認欲求を満たせたり、
自己肯定感を高められるような世間になった。

これは幸せなことではあるけれども、
他人の私利私欲は見えやすくなったと思う。

セクシャリティマイノリティで、
今まで自分の気持ちを押し殺してきた人からしたら、
そういう人を見て、ムムムと思うきっかけにはなるかもしれないなと思った。(俺はそう。SNSってストレスフルだよな、と。)

俺の違和感は、そういった「他人との比較」みたいなところから生まれているような気がする。

まだこの違和感は上手く言語化できないんだけど、、、
もし同じように感じている人がいたら、考えを共有してくれたら嬉しいです。

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