見出し画像

ブルートレイン富士・はやぶさの巻

ご覧頂きありがとうございます。

年の瀬も押し迫り、軽く部屋の掃除でもしようかなーと思いまして、
クローゼット内の整理整頓をしていましたら、むかし購入した
ブルートレイン(寝台特急)のヘッドマーク(実物大 レプリカ)の
入ったダンボールが目に留まりました。

開梱してみました

これは鉄道好きな父へ、プレゼントしようと購入したものですが、
当時、足の不自由な父が部屋で転倒してしまい、
入院生活をつづける中、持病の悪化も重なり、治療の甲斐なく
他界してしまったのです。

父へ渡すことが叶わなかったヘッドマークですが、
これを機に開梱してみることにしてみました。

テレビの前に立てかけてみた


このヘッドマークを見ると、父との思い出がよみがえります。

それは、2009年3月に「ブルートレイン富士・はやぶさ」の
運行廃止が迫った頃の話です。
当時父から幾度となくメールがあり、
毎日のように「ブルートレイン富士」の写真を撮影するために、
JR九州の日豊本線沿いへ通っているという内容でした。

JR九州 日豊本線(下り)
大分県 豊前善光寺駅付近 通過
2009/3/11 撮影:父

当方、鉄道は詳しくありませんが、
「ブルートレイン富士・はやぶさ」は九州に入り客車が切り離され
「富士」は日豊本線を下り大分へ
「はやぶさ」は鹿児島本線を下り熊本へ
それぞれの行き先へ向け運行されていたと思います。
・・・(間違えていたらごめんなさい)

父にとっては東京~九州へ運行されていた
寝台特急「ブルートレイン富士」や、それ以前の「急行高千穂」は
新幹線がない時代、横浜から帰省する際に利用していた、若き日の
思い出の列車であったと聞かされていました。

2009年3月13日、
いよいよ「ブルートレイン富士・はやぶさ」の最終運行の日が
やって来ました。
さっそく、九州在住の父から仕事中にメールがあり、
その日、東京駅発下り、最後の「富士・はやぶさ」の写真を
撮ってほしいという連絡でした。
3月13日(金)夕方の東京駅なんて、仕事が定時に終わるか厳しい
よなーなんて思っていたところ、運よく午後から横浜の部署へ外出
することができ、その帰りに東京駅へ立ち寄ろうと目論見ました。

夕方になり横浜での仕事が終わり、猛ダッシュで横浜駅から
東京行きの東海道本線(上り)に飛び乗りました。
ところが車中で、東京駅発の下り「富士・はやぶさ」って18時
何分の発車だったけ?となってしまい、携帯電話のiモードで
調べてみたところ、18時の発車であることがわかりました。
ただ、今乗っている東海道本線(上り)の電車で東京駅に向かうと
「富士・はやぶさ」の東京駅発にギリギリ間に合うか微妙な感じで、
おとなしく横浜駅で下って来る「富士・はやぶさ」を待っていれば
よかったと悔やまれました。

そうしている内に新橋駅に到着しまして、ふと下りホームを
見渡せば老若男女、大勢の人たちが有楽町駅方面を見てカメラや
携帯を構えており、あわせて通過列車の注意を促す構内アナウンス
が聞こえてきました。

わたしは咄嗟に「富士・はやぶさ」が来ると思いまして、
乗っていた上り電車を降り、向かいの下りホームへ駆け寄った
ところで、息をつく間もなく「富士・はやぶさ」が入線して
来ました。
一瞬の出来事で、カバンの中からデジカメを取り出す間が
ありません。
取り急ぎ、胸ポッケに入れていた携帯電話を取り出し、
通過する「富士・はやぶさ」を撮影しました。
今でいうガラケー(FOMA SH903i)で撮ったもので、
シャッタースピード?を合わせることができず、
案の定うまく撮れませんでした。
  新橋駅 通過風景(3枚) ↓

新橋駅 東海道本線(下り)
富士・はやぶさ 通過中
新橋駅 東海道本線(下り)
富士・はやぶさ 通過して行く


結果、東京駅には間に合わず、新橋駅で通過する
「富士・はやぶさ」を見届ける事となりました。
父には期待に応えられなかった旨電話で謝りましたが、
まったく気にしてはなく、翌日の九州、日豊本線に
到達した最後の「富士」の撮影で頭の中がいっぱいの
ようでした。


3月14日になり、
父はいつものように日豊本線沿いへ「ブルートレイン富士」の
撮影に行きラストランを見届けることができました。

JR九州 日豊本線(下り)
大分県 宇佐平野
2009/3/14 撮影:父

最後の雄姿はブルートレイン富士の全体を撮りたかったそうで、
父にとって、この一枚が最後の鉄道写真となりました。

この日、わたしは会社が休みでしたので、自宅でのんびり
過ごそうかと思っていましたが、早朝のテレビで「富士・はやぶさ」
ラストランのニュースを観まして、昨日のリベンジをしたいという
思いが強まり、東京駅へ「富士・はやぶさ」の到着するラストシーンを
見に行くことにしました。

こんどは撮りそこないを考慮し、
一眼レフカメラを準備し、事前に到着時刻を調べ、余裕をもって
自宅を出ました。
日々の通勤ルート、東西線に乗り大手町で降り、東京駅までの
地下通路を歩きました。

東京駅構内に入ると「富士・はやぶさ」のイベントポスターが
あちらこちらに掲示されていました。

東京駅構内・丸の内
地下通路 
掲示されていたポスター


東京駅の改札を抜け東海道本線のホームに向かうにつれ、
人が多くなってきまして、10番線ホームに上がると通勤ラッシュ並みの
人であふれていました。 
向かいの新幹線ホームにも人がいっぱい居まして、
新幹線ホーム側からの方がベストアングルではないかと思われました。

東京駅 10番線
2009/3/14 10時頃

「富士・はやぶさ」は、たしか朝10時頃の到着であったかと
思うのですが、途中遅れが生じているとの構内アナウンスが
ありました。

当日は雨模様だったと思います。
肌寒い中ではありましたが、ホーム上は更に人が増えてきまして、
よいアングルで撮影できるか不安な心境にあったかと思います。
父のためにも無理なく雰囲気だけでも記録したいという気持ちが、
増してきたところで、「富士・はやぶさ」が入線するとの構内
アナウンスが聞こえてきました。
おそらく11時はとっくに過ぎ、かなり遅れていたかと思います。

観衆がカメラや携帯を有楽町駅方面に構え、歓声が聞こえてきまして、
わたしも負けずにカメラを構えて撮ろうかと思いましたが、
観衆と接触し合う状況下、マイペースで撮影することができまん。

わたしのカメラはキヤノンEOS 40D

キヤノン EOS 40D
今でも現役

マニュアル操作をやめ、
オートフォーカスの連写機能で、バシバシ撮ることにしました。

みんなが有楽町駅方面を見てカメラを構えています


すると「富士・はやぶさ」の姿が見えてきました。

みんな撮影に必死のようです(わたしも)


人波に流されながら、
運よく先頭の機関車のところまで、たどり着きラッキーでした。
父に見せたい一心で写真を撮りました。

ちょうど目の前で、先頭が停車しました


停車後、
すぐに先頭の機関車は客車と切り離され、
機関車は神田駅方面に走り去りました。

神田駅方面に向かう機関車


10番線に残った客車、
B寝台★★★も見納めかなーと思い、少しの間、眺めていました。

B寝台★★★客車


いよいよ最後、
客車の扉が閉まるシーンです。
客車は老朽化が進み、わたしが35年前に乗っていた頃の一世風靡を
していたブルートレインの面影はなく、なんだか淋し気に思えました。

機関車側 先頭の客車は「はやぶさ」でした


客車が有楽町駅方面に向け走り出しました。

みんなで最後の客車を見送りました
おつかれさま さようなら ありがとう
・・・歓声があがっていました


「富士・はやぶさ」が10番線ホームを去って、ふと頭上の時計を見ると
お昼12時前になっていました。

ホームの時計


その後、東海道本線の10番線は平常をとり戻し、
先に去った「富士・はやぶさ」の時刻板のところが「回送」
になっていまして、これで東京発九州行きブルートレインに
終止符が打たれたことを実感したひと時でした。


この後、丸の内をブラブラ散歩し書店によって、
家に帰ったと思います。
この時の写真は父へ渡し、満足してもらったような気がします。

尚、先に紹介した日豊本線(宇佐平野)を走る「富士」の写真は
実家で飾られています。


最後に思うこと
・その一瞬、撮り鉄様の気持ちがわかったような気がします
・鉄道写真の撮影は危険をともないますので、ご無理なきよう
・去り行くものは名残惜しい、今を大切にしたい
・老いた親のわがままは、かなえてあげたい

以上、15年前の記憶をたどり記しております。
わかりづらい部分があるかと存じますが、ご容赦ください。


うされもん

いいなと思ったら応援しよう!

うされもん
気に留めていただき、ありがとうございます。 貴重なサポートは、以下の取り組みで使用させてください。  クリエーター活動費  社会福祉活動費  環境保全活動費 よろしくお願い申し上げます。