留学後に変わったこと1.1 努力
留学を経て人生観とか思考とか色々変わりました。
今回は「努力」に関して、最近私が思う事をつらつらと。
色んな意見があると思うので、
「こんな考え方あるんだ、へー。」
と思ってもらえると幸いです。
私の「努力」に対するイメージ
私が思う「努力」ってこんな感じ↓
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監督「おい、お前ら!なんやこの結果は!!ふざけとんのか?!」
部員「・・・」
監督「言い方悪いけどな、こんな弱小に負けるなんて正直がっかりや」
部員「・・・」
監督「なんで負けたんか、わかるか?」
部員「・・・」
監督「お前らの努力が!足りひんのんやあぁ!!根性入れ直せえっ!!!」
部員「・・・(すすり泣く声)」
~~~
昭和ですね笑
なんか怒ってる?
努力って言葉を分解すると、「努」と「力」という2つの漢字になる。
要は「努」める「力」なんですけど、
なんか「努」と「怒」って似てる?
突然ですが、努力してる人の顔ってどっちだと思う?
A. ( ◞◔◟౪◞◔◟ )
B. (`・ω・´)
まあ、大抵の人がBを選ぶと思う。
Aの顔、ぜったいキモいことを考えてる。
もちろん世の中には、Aの顔をしながら努力してる人も居ると思います。
Bの顔は眉間に皺を寄せて真剣な感じ。
怒る顔を作ってみるとわかるけど、
眉間に皺を寄せて真剣な顔するんですよ。
ということは、「努力」してるときって「怒ってる」ときに似てるんです。
Aの顔しながら怒ったり努力するのって難しい!
「努力」の原動力
さっきの試合でぼろ負けした部活の例では、
「試合に負ける=努力が足りない」という図式。
他にも努力が足りない例として、
「私はデブ=努力が足りない」
「就職が決まらない=努力が足りない」
「テストの点が悪い=努力が足りない」
努力するぞ!と決意する例としては、
「好きなあの子に好かれたい→努力してダイエットするぞ!」
「営業の成績を良くしたい→努力して売り上げをアップ!」
「家が散らかってるのでキレイにしたい→努力して断捨離する!」
以上の例から努力する時って、
何かマイナスの事をプラスにしたいと思ったときなんだと思う。
自分にとってマイナスの事(太っている、成績が悪いなど)に対して、
「これではダメだ!」と「怒る」ことで状況をプラスに変えようとする。
なんか、努力って負のパワーが原動力な気がする。
怒りの感情
「怒り」の感情って、なんであるのか?
何かの本で読んだけど、感情は生存の為に発達したツールらしい。
脳がその人にとって何かマイナスとなり得る状況で、
怒りを発動させる事で、そのマイナスを回避させるみたい。
さっきの部活の例だとこんな感じ。
マイナス要素:試合に負ける
↓
監督:怒り発動
↓
部員:怯える、悲しむ
または監督に共感して、自らの怠惰さに怒る
(↑なんて純粋で良い子なんだ)
↓
怒りのパワーを受けた部員は「努力」しようとする
↓
次回試合に負けることを回避できるかも?
アメリカで変わったこと
私も人生で怒りのパワー発動した事、されたこと多々あります。
みんなも身に覚えあるのでは?
駅の改札で前の人がチャージ不足で急に立ち止まるとか、
めっちゃお腹すいて、この世の全てにイライラするとか、
夜中に蚊が部屋の中飛び回ってるとか。
ちっちゃい出来事まで考えると、
毎日怒ってる気がするのは私だけ??(笑)
それこそロサンゼルスでは、毎日怒りのパワーがフルスロットル!
停留所で待ってるのにバスは目の前を通り過ぎるし、
店員はテキトーやし、
アホみたいに物価高いし、
Amazonの荷物は盗まれるし、
近所で銃撃事件は起きるし、
(以下略)
でもね、私が怒ってもしょうがないのよ。
そういうもんなのよ、ロサンゼルスって。
怒っても何も変わらない。
みなさんは毎日怒って、眉間にボトックスでも取れない、
深ーい皺を刻みたいですか?
私は嫌です。
なので、ロサンゼルスで生活する中で徐々に物事に寛容になっていった。
元々緩い方だったけど、輪をかけて緩くなった。
というより、「切り替えが早くなった」と表現する方が正しいかな。
努ってはいけないのか
かといって怒ってはダメかと聞かれると、それは違うと思う。
私の脳が生存の為に怒りを発動させているのであれば、
怒りは生きるために必要不可欠なはず。
アメリカではさっきも例に挙げたように、
銃が大きな社会問題になっている。
留学中に私の家からそれほど遠くない場所で、
朝に4人兄弟のうち3人(全員10歳以下)が何者かに銃殺され、
その現場を一番上の子供が発見するという残忍な事件が起きたことがある。
これは、「まあしょうがないよね。だって、銃好きな人多いもんね!」
で済まされる事ではない。
選挙権もなく、1年半しか滞在したことのない外国人の私が怒ったところで意味ないかもしれないけど、怒りを原動力に現状を変える必要がある。
努力の良いところ、悪いところ
アメリカではそういった人々の怒りを原動力に、
様々なマイナスが解消された歴史がある。
例として、差別によりかつて黒人の人たちは、
白人と同じバスにすら乗れなかった。
現在も完全に解消された訳ではないが、
彼らは長い闘いの末、白人と同等の権利を勝ち取っていった。
(もちろん、今でも彼らは闘い続けている。)
これは努力の賜物であり、彼らの誇りだと思う。
怒る力は、問題に立ち向かうエネルギーをくれるもの。
ただし、努力し続けると負の力に晒され続けるという副作用もある。
なんせ怒りのパワーなので。
眉間に深い皺が刻まれるのはもちろんの事、
「たいした努力もせず簡単に成功するあいつが許せない」
「こんな状況でヘラヘラしてるのはおかしい、努力すべきだ」
「必死に努力してるのに、なんで報われないんだ」
など、なんだか不幸で嫌な奴になるような気がするんですよね。
必死の努力が報われたら良いけど、箸にも棒にも掛からなかったら最悪!
ダークサイドに堕ちること必須です。
怒りを原動力にして行動できるのは良いけど、
負のパワーが原動力である為に、不幸なるかもねって感じです。
「えーっ、努力してるのに不幸になるっ・・・てコト!?」
「イヤ!!イヤッ、ヤダーッ」
と思ったそこのあなた、実はあるんです。
努力せずに幸せになる方法が。
次回へ続くよ!