コミュニケーションという名のしがらみ
コミュニケーション能力が高いと自己申告する人が苦手だ。
そういう私は、コミュニケーション能力が高くない。
壊滅的に人と喋れない、意思疎通が取れない、と言うほどではないが、的確に物事を説明するのが苦手だ。
自分が考えていることや理解していることを分かりやすく人に伝える、というのがどうも難しい。
雑談も苦手だ。何を話していいかわからないし、昨今話し上手より聞き上手とはいうが、人が話している時に何と返していいか分からない。
余計なことを言って場をしらけさせるのもいやなので、いつも曖昧に微笑んでいる。
それぞれ生きてきた道の違う他人で、常識も人それぞれ違う中で「なるべく分かりやすく話そう!」と思えば思うほど、話はあっちこっちに行きどんどん迷宮入りしていく。
だからこそ、「自分はコミュニケーション能力が高い」と自己申告し、かつ実際その能力を持ち合わせている人に出会うと、どうしようもない気まずさを感じてしまう。
人を気遣い、はきはきしてて、かつ言葉選びも的確で極力相手を不快にさせない、そんな恐らく、様々な経験や勉強から積み上げられたもの(稀に元々持ち合わせている人もいる)を前にすると思わず恐縮する。
そしてコミュニケーション能力が高い人はコミュニケーション能力が高いから、そんな怯える人間にも優しい。
優しいが、その優しさが、正直つらい!
特に何も考えずぼーっと生きてきた自分の愚かさをまざまざと見せつけられているようで本当に気まずい。
勝手に気まずくなってるんじゃない、という話だが、教室の片隅で辞書を読んで過ごしていたあの日々が蘇るようで胃がキュッとする。
無意識的に他人と比較してしまうからこういう辛さが生じるのだろう。
この辛さを克服するには、自分のコミュニケーション能力を上げるか、もう開き直ってありのまま生きていくしかない。
ただ、ありのままぼーっと生きていると、いつか怖い目に遭う気がする。
それに恐怖し何かをどうにかしようと日々何かしらに励む日々。
クラゲになりたい。具体性をもたず大海を漂いたい。
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