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堕ちてからが本当の勝負だ

私の言う堕ちるとは、失敗や心が穢《けが》れる事を指す。
人間は失敗から学ぶ。失敗してもそれを糧とし、学ばなければ意味が無い。
失敗から多くを学びながら、我々は傷つきながら自分の意志で生きている。

その意思は自分自身で身につけるものだ。誰かに言われて成せる事では決して無い。本当の意味を知るには、己を試すしかない。苦難の道を敢えて選んで進む事によって、本来の自分の姿が見えて来る。

当然、簡単な事では無いが、その道を選ばなければならない。
その道を避けて、楽な道を進めば、次も簡単な道を選ぶだろう。
そしていつしか、道はその楽な道しか見えなくなる。

私にとってそれは人生の終わりを意味する。
苦難な道を選び続けているからだ。自ら選んだ事だ。後悔はない。
だが、完全に後悔してない訳では無い。多くの後悔する選択もした。
それが正しい道だったからだ。

しかし、薄汚れた世界では私の叫びなど、一瞬でかき消される世界だった。
私は孤独になっても戦い続けた。そして、当然の如く敗れた。
そして、私は死への道を選んだ。しかし、それについては全く後悔はしなかった。私の全てをつぎ込んで、出来ることは全てやった。心が壊れても壊れても立ち上がり、自分が狂っているのかも何度も思ったが、何とか立ち上がった。

だからその事に関しては一切、後悔は無かった。自殺には失敗した。それには後悔している。私は広島から東京に出て来る時、全ての財産を見込みのある人達につぎ込んだ。借金の返済や、私にいつも悩みを相談していた女性にはずっと前から欲しがっていた犬を買ってあげた。初心に完全に返るしか私に生きる道は無かった。

しかし、私を東京へと誘った幼馴染は、精神の事について一切知らなかった。全ては大丈夫だと言っていたが、用意されたものは塩とお椀と箸だけであった。カーテンも無く夏場で、野菜畑の大きなビニールハウスの光で、
来て早々死にかけた。

私はこれでは無理だと思い、今度は絶対に手放さない全ての物を、東京の友人に送った。そしてハイスペックのゲーミングパソコンさえ売った。買い取りにきた人でさえ、売らないほうがいいと言ったほど、高性能のPCでカスタマイズもして、いいPCだったが売った。

幼馴染は私よりも歳上で離れている。そして、私と同じように父親嫌いであった。幼馴染の父は議員でもありホテルの経営者でもあった。幼馴染は父親に対して、色々意見していた。それは的を得たものであった。ホテルの経営者なら美味しいものを食べなければならないとか、質素な車じゃなくそれなりの車に乗るべきだとか色々言っていたが、質素倹約を旨とした父親は質素を貫いた。私の父の死から、三カ月後肺炎で亡くなった。

彼は以前、私に起きた悲劇に対してそんな馬鹿な事を私の父がする訳がないと、100%思って大笑いをした人物だった。事実だと知るまでに約8時間も要した。しかも母親を同席させたから、信じるまでに至った。

彼はそれほど頭は良く無い。しかも大笑いしておきながら、私がどれほど精神的にダメージを受けているか分からない人だった。彼は自分の父親なんか早く死ねばいいと言っていた。彼が父親の葬式に戻る前に私は彼に言った。「私の父親嫌いと、〇君の父親嫌いには巨大な壁がある事に気づくはずだ」

そして東京に戻ってきた時に、私は聞いた。「悲しかった?」と。
彼は悲しかったと答えた。「並みの人はそういうものよ。金銭関係等のトラブルでも無く、本当に肉親を死ねばいいと思うほど、本心から憎しみが溢れる事の大きさが分かった?」
彼はいまいち理解していないようであった。

彼は幼馴染ではあったがお互いを理解したのは、父親が死んだ数年前からだ。もう少し賢いと思っていたが、的外れで通常の私なら縁を持たないほどの人物だった。彼は私の賢さに驚いていた。そして私は、彼が言っている事はあれほど嫌っていた父親そのものになっていた事に気づいた。

彼から女性関係の話は一切なく、同性愛者かと思うほどだった。そしてお互いの父親が死に、ようやく本音で話せるようになった。我々のような世界では本年で話せる相手は、本当に少ない。いない人もいるくらいだ。私は運良く友人や大学の叔父がいたから助かった。

彼に女性関係の話をふると、彼の父親もそうであった女性蔑視の人間になっていた。飲み会等でも、女性が話に入ってくると女は黙って聞いておけばいいと言うほどであった。そりゃ話が出ないはずだなと私は言った。そして質素という面においても同じになっていた。世界は進む中、新しいものに目を向けず、私と話すようになってから、去年からYouTubeを見だした。

その時点で友人には恵まれていない事や、幼馴染自体に魅力が無い事が分かる。友人に恵まれていれば人間は成長していくし、彼に魅力があれば多くの人が必ず注意するべき点であったからだ。

彼は頑固な上に現実をあまり知らない。私は自分はもう助からないと彼には何度も言った。しかし、彼には理解できず、安易に大丈夫大丈夫と言っていた。自身が信じられないような事があった事を知りながらも、安易に考えていた。

現在、私は彼の全てが見えてきた。彼は私を弱い人間だと言った唯一の人だ。私の悲劇に対して、そう言ったのは理解出来ないからだと知った。
私は強いほうである為、現在でも悩み事などの相談は受けている。
彼は私に一切構わなくなった。彼は打たれ弱く、精神面においても、弱っている私よりも更に弱い。
私は一度電話して相手が取らなかったら、かけてくるまで電話を掛ける事は無い。何かしらの理由で嫌われたかと思うようにしている。
彼と電話で話したのはもう1年近くになる。私は彼に、彼の手に負えるような問題では無いと何度何度も言った。そして死ぬまで解決しない事も言った。正直に話していたのは私であって、彼は甘く考えていた。

そして、彼は自分が悪い事をしたとは思っていない。無理矢理広島から私を引きずり出しておきながら、見捨てた状態だ。

私は以前、親友が独りで誰もいない公園で、弁当を食べている姿を後ろから見ただけで、今の私には助けられない事を悟った。現実問題を解決できる訳でもないし、どうにもできない事を理解したからだった。

私は現在カウンセラーと話はしているが、通常と違い、私の問題は過去にあり、カウンセラーでさえ、私の父母のような人間は理解し難いと言った。父はまだ完全に敵となりその面では理解は出来た。しかし母に関しては全く理解できないと言っていた。私も同様に理解出来ないままでいる。

通常であれば、このように書く事さえ難しい程のものではある。私自身もこのままではまた堕ちると思っていた。しかし、私には『哲学』を学んできた事を考えた。そのおかげで今日も書いている。

彼らの多くは、似たような思想を、当然持っている事のほうが多い。時代も違い、国も違っても人間である以上、同じような事を考えるのは普通なのだ。一度、完全に堕ちたら個人で這い上がることは不可能に限りなく近い。

これは私の受けた印象ではあるが、相当な困難を極める。私はあの日以来テレビも見れなくなり、ネットも見なくなり、日常から完全に離れた。
お酒を飲んでも酔えず、何も考えることすら出来なくなっていた。

私はまだ生きている母親がどのような行動に出て来るのかは予想できていた。その為の準備を始めてた。私の部屋からガソリンを壁に塗り、廊下から階段に塗って二階の居間と、一階に下りるほうにある応接間に炎上するほどのガソリンを置き、居間に来るように、二階の防火扉だけは開けておいた。

母は絶対に自分では動かない。必ず、人に任せて来る事は分かっていた。
私は居間にはガソリンは撒かず、タンクを満タンにしたガソリンを置いていた。最後に母に言われて来る誰かと最期の話をする為にそうした。

それからの日々は何かが変わっていった。行動に移したからかどうかは分からなかったが、突然、負の感情は消え、初めて感じる不思議な感覚だった。
今日は久しぶりに悪夢を見た。目が覚めて久しぶりに鼓動を感じた。
聴診器でも当てない限り、普段は聞こえないほどの心音が枕を通して聞こえた。生きていることを久しぶりに実感できた。

私は負の感情が消えてから、再び自分に起きた悲劇に対するにはどのようにすればいいのかを調べだした。過去を調べあげ、同様に近い状態の人物は三人見つけたが、三者とも自殺か、自殺に近い形で死んでいた。

私はそこから更に調べていった。神の領域まで調べたが、それらしいものは無かった。表の世界には記録されていない裏の世界にはあるのだろうとは分かった。哲学にも神についての討論がされている事は知っていたが、それ以外の神に対することは殆ど無知であった。

私はそれらを調べるうちに、小説を書こうと思った。それまで私は一冊も小説を読んだ事は無かった。それは今でも変わらないが、一応、編集に近い事を頼まれてやっていた時期はあった。私は神や悪魔の事を色々調べ上げて、ドラゴンや天馬などが、何故、創造物として生まれたのかを理由づける事に成功した。矛盾が生じると物語自体の面白みに欠けるからだと思ったから、理由をつけて登場させようと考えた。

そしてアダムが地上に堕とされて、千年以上生きた事等からも人間という生命体とエデンの園との関係性等も理由づけた。いつの間にか夢中になっていた。登場人物や、矛盾の無い理由づけをして、いざ書こうとしたが、初期につまずいた。戦いのアクションを文字にする事の難易度に初めて気づいた。
私は割と小説やノベルを読んでいるカウンセラーにその話をしたが、自分が読んできたものでは、「バーン」とかそういう効果音は目にするが、アクションをメインに、それほど書かれている作品は読んだ事が無いと言った。
ハリーポッターを全巻覚えるほどまでに読んだ後輩にも聞いてみたが、やはり効果音しか無いと言われた。

私はそれからアクションをしっかりと描かれている作品を求める旅に出た。
多くのプロローグを読み漁り、海外ドラマで既に見ていた「ゲーム・オブ・スローンズ」の日本語版のサンプルをAmazonからおとして読みだした。

読んでいくうちにアクションへと入っていった。その表現力の凄さに私はなるほどと思って、プロローグだけを何度も読んだ。物語自体はそれほど苦も無く書けたが、アクションシーンの描写だけが、今でも一番時間がかかる。
難しいからこそ面白い。しかし力作では無いもののほうが受けやすいのが現実だ。


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