「思い出と、その時の感情」の決定的な違いは?
思い出も感情も誰にでもあるものだ。
しかし、思い出と感情は別ものである。
思い出を心に描く時、どういった感情を感じているか
考えた事はあるだろうか?
大抵の人は思い出の中に感情があると
考えているのではないだろうか?
しかし、思い出と感情には決定的な違いがあるのだ。
この答えを考えながら読んで欲しい。
人は考える事によって、飛躍的に自己啓発を得る機会を
生む事ができる。
考える力を磨けば、これまで挑戦できなかった事や、
思い悩んでいた事も自己解決できるようになる。
このように、一見似たもののように見える言葉に対する
間違った知識は多く存在する。
誰もが分からない事に対して、調べる事は多々ある
と思うが、ネットに書いてある言葉は一般的なもので
ある為、正しいとは言えるが、それはあくまでも、
ただの知識でしかない。
自分で考えた抜いたものでは無い事から、
その思想が埋もれていくように、こういった言葉の
違いに対して考える事を忘れていってしまう。
そこに自分の意思は無い。
習慣的なものとなるため、自分で気づくことは
より難しいものへと変わっていく。
まずは二つのGoogleで調べたものを書いておこう。
・思い出・・・過去の体験を思い出すこと。
「―の名場面」。特に、体験した事柄で
今も印象に残って思い浮かべる、その事。
・感情・・・1ー気持。心持。
2ー快・不快を主とする意識のもっとも主観的な側面。
こちらが一般的な知識として、一番思われている事に
なるだろう。Google検索のトップに出る言葉の意味
であるからだ。
中には、初めて知った人もいると思う。
普通に考えれば、簡単な言葉の1つであるがため、
調べずに使う人も少なくはないであろうから
そう言える。
特に感情の2のほうは、全く知られていない
可能性もある。
エッセイ等で文章を書く場合、当て字や文章として
の間違い等は多少多めに見てもいいと思っている。
しかし、意味が違う言葉を書く事は、全ての文章の
意味が違ってくる場合もある。私的な意見ではあるが
それは書くべきでは無いと私は思っている。
それでは本題に入るとしよう。
ある哲学者の言葉に、このような言葉がある。
❝あの時代《とき》を思い出せても、感情は取り戻せない❞
良い想い出を、振り返ってもその時の感情は
決して取り戻せない。という意味になる。
今、頭に浮かんだ何かしらの思い出を、
心が感じたとしても、そこにその時に感じた感情は
存在しない事に気づいた人はいるだろう。
特に熱い情熱や、恋心、怒り等は時間の経過と共に
廃れていく。
「ハンター✖ハンター」の富樫氏はよく哲学者の言葉
を使っている。例えば、
一族を皆殺しにされた主人公の1人でもあるクラピカは、
「私は怒りを忘れる事を恐れている」と最初の段階で
このような発言をした。
どのような怒りでも、ずっと同じように思い続けるのは
難しいものではあるが、怒りそのものは覚えている。
ただ、事の起こりから始まった、その時と全く同じ感情を、
取り戻す事は出来なくなる。それは時間が経過するほど
低くはなってはいくが、許す訳では無い。
あくまでもその時の感情の話だ。
このように対して違いは無いと、思い込んでいる言葉は
数多くある。それは書き手にとっては非常に問題となる
事となる。
伝えたい事を、伝えきれない事になるからだ。
「ジョジョの奇妙な冒険」
の荒木氏は漫画を描くにあたり、緻密に描く事を大切だと
している。第三部の主人公であった空条承太郎の娘が
刑務所に入れられた第六部での話を描くにあたり、
彼は現地である、
フロリダ州立グリーン・ドルフィン・ストリート
重警備刑務所へ取材に行って、空港から刑務所の中まで
念密に調べた上で描いた事を話していた。
実際にマシンガンを持った刑務所職員やその他の事も、
少ないコマに対して、実際に調べる事にかけた時間は
比例しないほど、時間をかけて描いている。
漫画という読み手が分かりやすい絵が入ったもので
あっても、手抜きをしないようにしている。
内容が面白い漫画は、文字数もそれなりに多くなるし、
しっかりと自分で調べて描く精神を第六部でも持って
いたと言う事は、それまでもそうして来たと言う事に
なる。人やネット任せでは納得できないのは、彼の
性格も絡んでくるが、確かな事を伝える事の大切さを
よく分かっている。
私はほんの一部の職業は嫌いだが、
それ以外の職業に対しては偏見は持たない。
コンビニの仕事をしている女性に以前、聞いた事がある。
仕事の話をすると馬鹿にされる事が多くあると、
彼女は話していた。
世の中は需要と供給の安定感で成り立っている。
成り立てるためには、当然、人がいなければならない。
私の父と一度、家の屋上で話した事があったが、
見渡す限り、どこよりも高い場所にいて、
世間の人は羨ましいと思ってると、
口にした。
私は「それはアンタがそう思ってるだけで、
誰もがそう思うとは限らない」と言うと、
「上から見下ろされて、良い気持ちになれる訳が無い」
と答えた。
私と父は全く正反対の思想を持っていた。
それはコネや人生の過程、結果など色々な事に対して、
意見は違っていた。
このあたりの事も、色々な職種の人が言葉を残して
いるが、父のような意見を持つ人は、私が知る限り
存在しない。
多くの偉業を成し得た人たちは、
苛酷な時代背景の世界で生き抜いたり、自殺したり、
もしたが、自分の人生を懸けた言葉を残しているからだ。
春秋時代を後世に残した司馬遷も言っていたが、
「世に尽くした偉大な人たちに対して、あまりにも
惨い結末を迎える事に私は天を呪う」
と言ったほど、歴史的には有能であったが、悲惨な死を
遂げた人は大勢いた。
今でも彼等の言葉が通用するのは、哲学とはあくまでも
現実に対しての意見を見出すものである事
だから、現代、未来に於いても通用する。
それは人間自体は成長してないと言う事になる。
化学は進歩してはいるが、作り手である人間は、
人間としての成長は果たせていない。
それは陰と陽のように、本音と表面には違う思いが
あるからそうなる。
戦争もその1つになる。戦争撲滅と謳ってはいるが、
状況が変われば、その言葉は一瞬で消えて、争いが始まるのが
現実だ。
口では何とでも言える。実際に行動を起こして、
多くの失敗から成功への道を見出して、
人生の大半をつぎ込み、それを言葉として
我々に残してくれた偉人たちの言葉を本当に理解していれば、
世の中は今よりもずっと、平和になるだろう。
要するに薄皮一枚に値する、言葉だけしか知らない人が
多い事を示す。本当の意味を理解をするには、それなりの
知識、賢さが無ければ、それらは無に帰すのが現実として、
我々の目の前で今、起きている。
我々が知るのは、薄皮一枚程度でしかない。
戦争の苛酷さは、体験しないと絶対に分からない。
他の事も同様であるが、体験から経験を経て、人は理解する。
体験と経験も似た意味を持つが、違う意味も持つ言葉の1つだ。
コロナがアメリカを襲った時、隣人が死ぬ世界になった。
日本ではあまり流行しなかった時、色々な意見が飛び交ったが、
実際の所は不明である。
現代を生きる我々でも、自分の時代に起きた事を
知る術がない事も多数あるのに対して、
過去の事など、絶対的な事など誰にも分からない。
それが現実だ。
しかし、多くの歴史学者等は基本的に間違っている。
それは眠っていたモノから予測し続けているから、
本当の歴史と呼びつつ内容は変わっていく。
人間をまずは知る事が大切なのだと、理解していない。
私的な方法で、過去の物事が事実か嘘かを判断できるが、
それには常に柔軟な考えを持つ事が大切になってくる。
そこは気をつけなければ、人としての成長は止まる。
実際に自分の目で確かめたり、調べた上で、考える事が
大切であり、自己啓発にも繋がり、自身の成長が果たされる。
己をライバルとして長年、戦ってきたが、苦痛や苦悩を
越えた時にライバルの自分に勝ったと言える。
その扉を開けた先にも、永遠に続く道と扉はあるが、
頑張ると言う意味を知れば、頑張る事は出来る。
我々は多くの偉人の人生を、残された言葉から
知る事が出来る。命には限りがある。
その命を懸けてまで残した言葉も少なくない。
彼等は我々に対して、はなむけの言葉を残してくれた。
その返礼はそれを活用する事でしか、
返す事は出来ない事である以上、私はその事を実行し、
伝え続けると決めている。